「ウィリアム・テル」のオルゴール

「宮沢賢治学会会報」第39号 先日の賢治学会総会の折りに配布された「会報第39号」に、佐藤泰平さんが「<暁のモティーフ>とオルゴール」と題した興味深いエッセイを掲載しておられました。
 その内容は、「風景とオルゴール」(『春と修羅』)の52行目が、初版本では

ひときれそらにうかぶ暁のモテイーフ

となっているのですが、その手前の詩集印刷用原稿の段階では、初めは

ひときれそらにうかぶウヰリアムテル暁のモティーフ

となっていて、その後の手入れで

ひときれそらにうかぶロシニ暁のモティーフ

と推敲されたことに着目されたものです。そして、この「暁のモティーフ」とは、ロッシーニ作曲「ウィリアム・テル序曲」の第一部「夜明け」の部分のことを指しているのだろうと、推定しておられます。

 おそらくこの「ウィリアム・テル序曲」の第一部「夜明け」を、賢治が農学校の生徒たちに聴かせたであろうことは、佐藤泰平氏によれば、『岩手毎日新聞』大正14年7月11日・12日に、賢治たちが生徒38名を引率して岩手山登山をした際の紀行文として、次のような文章が掲載されていたことからも推測できます(佐藤泰平氏の文章より引用)。

お鉢廻りを逆にして黎明二時半頂上に来た東の地平と雲との境一筋繞る暗い瑪瑙の環それは次第に光を増しかがやき燃えて光芒を射やがてとけたやうな太陽がゆらぎのぼったときわれわれはわれら幾百代の祖先たちのなしたやうに掌をうち瞑想した、背後はおゝ見よそれこそロシニのウヰリアムテル序典スヰッツルの夜明けの景色でないか、その桔梗色や緑にかすんだ山々の向ふに、寂しく銀を戴いた富士の形の鳥海山も見えた。(花巻農学校・佐藤政丹)

 また、佐藤泰平氏は、賢治教え子である佐藤栄作氏(花巻農学校5回生)から、以下のような話を聴取したそうです(引用同上)。

 賢治先生はね。授業中にね。職員室からラッパ付きの蓄音機を教室に運んでくるんですよ。そしてスイッツルの夜明けのレコードをかけて下さるんです。説明つきでね。その説明がとても上手でね。私の目の前にスイッツルの山や湖などの風景が拡がるんです。うっとりしながらレコードを聴いていましたよ。何回か同じレコードをかけてくれました。

 賢治が、ロッシーニの「ウィリアム・テル序曲」の、とりわけ「夜明け」の部分を好んで生徒に聴かせていたことは、これらの史料や証言から確かなようですし、賢治自身も好きだったのでしょう。

 そうすると、「風景とオルゴール」(詩集印刷用原稿)の最後の方で、

ひときれそらにうかぶウヰリアムテル暁のモティーフ
電線と恐ろしい玉髄の雲のきれ
そこから琴の星がうかぶ
   (何べんの恋の償ひだ)
そんな恐ろしいがまいろの雲と
わたくしの上着はひるがへり
   (オルゴールをかけろかけろ)

として登場する「オルゴール」も、そのすぐ前に出てくる「ウィリアム・テル序曲」なのではないかと、さらに佐藤泰平氏は考察を進められます。
 そして、オルゴール店のオーナーだった知人に確認したり、各地のオルゴール博物館を巡ったりして、オルゴール化された「ウィリアム・テル序曲」を周到に調査されました。そして、「ウィリアム・テル序曲」の第一部「夜明け」、第三部「牧歌」、第四部「スイス独立軍の行進」のオルゴールが存在することをつきとめられたのです。

 この「風景とオルゴール」という作品は、『春と修羅』の中でもとても重要な位置を占めているものだと私は思うのですが(過去記事「わたくしは森やのはらのこひびと」参照)、この中の「オルゴール」については、登場の仕方が唐突で、個人的には謎のような存在でした。
 このたび、佐藤泰平氏が着目し調査された成果によって、その「オルゴールの謎」に迫る一つの扉が開けたような気がします。

 すなわち、この作品の最後の方で賢治が

   (オルゴールをかけろかけろ)

と言うのは、、「ウィリアム・テル序曲」の第一部「夜明け」のオルゴールだったのかもしれないのです。あるいは、その有名さと威勢のよさからは、第四部「スイス独立軍の行進」だったのかもしれません(佐藤泰平氏は、こちらが「(オルゴールをかけろかけろ)の音楽ではないだろうか、と思った」と書いておられます)。

◇          ◇

 ところで私自身は、「ウィリアム・テル序曲」のオルゴールなど実物ではなかなか聴くことはできませんので、今日は DTM で「ウィリアム・テル序曲」のオルゴール風抜粋を作ってみました。
 下記から、MP3をお聴ききいただくことができます。

 まず、第一部「夜明け」です。

「ウィリアム・テル序曲」より第一部「夜明け」(3.66MB)

 次に、運動会などでおなじみの、第四部「スイス独立軍の行進」です。

「ウィリアム・テル序曲」より第四部「スイス独立軍の行進」(2.45MB)


 もっとも、本物のオルゴールは、こんな風には動作しないでしょうけれど。

ロッシーニ「ウィリアム・テル序曲」