『新校本全集』の「歌曲」の項目において、「ポラーノの広場のうた」として収録されている歌の、賢治自身による謄写版楽譜が世に出たのは、1982年(昭和57年)1月12日に花巻の「やぶや」で開かれた、賢治の元教え子による座談会「宮沢賢治先生を語る」がきっかけでした。
この時、大正15年卒の斎藤盛氏が、「先ほど農民歌の話がありましたが、農民歌というのかどうかわかりませんが、西洋紙に「イーハトーブ ファーマーズソング」という楽譜と、ローマ字で歌詞が書いてあるんですが、それを持っています。」と発言しました。これが契機となって、同年1月16日の『河北新報』に、「宮沢賢治に“幻の農民歌”自筆楽譜見つかる/北上在住の教え子が保存」という見出しの記事と楽譜が掲載されたのです(『新校本全集』第六巻「校異篇」p.227)。
この時に公表された楽譜が、下のものです。
で、私が以前から気になっていたのは、この題名のローマ字表記における「イーハトーブ」の文字です。
拡大すると下のようになっていて、冒頭の文字は「I」の上に横に並んだ2つの点が付いています。
つまり、「Ï」という文字なのですが、賢治はいったいどういう目的で、このような変わった記号の付いたアルファベット文字を用いたのだろうか、というのが私の疑問でした。
アルファベットの上に横に並んだ2つの点を付けるのは、ドイツ語における「ウムラウト記号」が有名ですが、ドイツ語では「I」のウムラウトはありません。
「Ï」や「ï」が実際に用いられているのは、たとえばフランス語で、「naïve」という単語などです。この場合、文字上の「2つ点」の記号は「トレマ(分音記号)」と呼ばれ、母音が連続している際に、二重母音としてではなくそれぞれの母音を単音として発音することを表します(この場合は「ネーヴ」ではなく「ナイーヴ」として)。
しかし、「ÏHATOV」においては母音が連続していませんから、分音記号として用いられているわけでもありません。
また日本語においては、「上代特殊仮名遣」のラテン文字表記において、「イ」の乙音を表すために[ ï ]が用いられるようですが、これも賢治の意図とは無関係でしょう。
そんな折、ちょっと東北地方の方言を調べていると、偶然にも「ï」に出会ったのです。
東北地方各地の方言の多くに共通することですが、「イ」の音は、関東や関西の「イ」に比べると、「ウ」あるいは「エ」に近く発音されます。関東や関西の「イ」が「前舌母音」と呼ばれて、舌の最高部が硬口蓋の最も前方にあるのに比べて、東北地方の「イ」は「中舌母音」と呼ばれ、舌の最高部は、より後方に位置します。
この、中舌母音としての「イ」の発音を、方言学では[ ï ]と表記するのだそうです。下記は、『岩手のことば』(明治書院)より。
また下記は、山浦玄嗣著『ケセン語大辞典』(無明舎出版)における説明の一部。
いずれにおいても、小文字「i」の上の点が二つになった「ï」が使われていることがおわかりいただけるかと思います。
さらに、『ケセン語大辞典』では、著者の山浦玄嗣氏自身が被験者になって、発音時の口腔内の様子の MRI 断層撮影にもとづいた図が、掲載されています。
左が「日本語(共通語)」の‘イ’、右が「ケセン語」の[ ï ]です。
ということで、賢治が「ÏHATOV」と表記したのは、地元岩手の発音に忠実に「イーハトーブ」を表すために、特別に[ ï ]という発音記号を用いたのではないかと、私は思った次第なのです。賢治の時代に、すでにこの[ ï ]という発音記号が使われていたかどうかはまだ調べられていないのですが、機会があれば、昔の方言学の本などを見てみたいと思います。
それにしても、歌の題名を英訳し、歌詞もローマ字で表記する一方で、このように方言による発音にもこだわっていたとすれば、土着性を重んじつつ同時にコスモポリタンでもあった、いかにも賢治らしい感じが私はします。
ちなみに、賢治の方言表記としては、「ぢゃぃ」や「なぃ」のように、ア行音に続けて小書きの「ぃ」が付けられている場合、発音としては「ぢぇエ」「ねエ」のようになることは、昨年の宮沢賢治学会凾館セミナーにおいて、天沢退二郎氏が指摘されていました。たとえば、「風の又三郎」に出てくる「あんまり川を濁すなよ、いつでも先生云ふでなぃか。」という囃し声は、「いつでも先生いうでねエか」という感じになります。
これも、東北の各地に広く見られる現象のようですが、「ai」という二重母音は、一般の「エ」音より口を開いた[ε]という音になるのだそうで、これを賢治は独自に工夫して仮名表記していたということなのかと思います。
「ポラーノの広場のうた("ÏHATOV" FARMERS' SONG)」つめくさ灯ともす 夜のひろば
むかしのラルゴを うたひかはし
雲をもどよもし 夜風にわすれて
とりいれまぢかに 年ようれぬ
組合理事らは 藁のマント
山猫博士は かはのころも
醸せぬさかづき その数しらねば
はるかにめぐりぬ 射手(いて)や蠍
まさしきねがひに いさかふとも
銀河のかなたに ともにわらひ
なべてのなやみを たきゞともしつゝ
はえある世界を ともにつくらん
megumi
hamagakiさま
母音の発音「関西バージョン」と「東北バージョン」をhamagakiさんの解説を頼りに試してみました。
…む、難しい(^^;)。
東北弁が分かりづらいと感じる関西人は少なくないと思うのですが、発音するのも難しいのですね…。
「イーハトーブ」を「ケセン語」風に発音してみると、ほんわかした雰囲気に感じます。
耕生
東北弁のネイティブスピーカーの立場からコメントさせていただきます。
イーハトーブ・ファーマーズ・ソングのÏの表記、言われてみるまであまり深く考えていませんでしたが、その意味するところはhamagakiさんのおっしゃるとおりだと思います。
ドイツ語のウムラウトはaeやueと表記することがありますから、Ïの表記はieのような意味で使われたのでしょう。私は直感的にieと解釈して「賢治らしい几帳面さだ」と思いました。
東北生まれの者にとって、標準語のイの発音は実は結構難しく、日常的にはイとエはほとんど区別されずに使われています。また、イとウも同一の音になることが多く、「土(つち)」と「父(ちち)」は同じ発音(ツズ)になるというやっかいな状況が発生します。さらに「乳(ちち)」も同じ音になりますが、こちらはイントネーションの違いで区別することができます。
英語のiの発音は日本語のイではなく、エに近い音になるので、標準語を話す普通の日本人は苦労させられるようですが、東北の人には逆にその苦労がありません。
宮沢賢治も花巻弁のネイティブスピーカーとして東京時代はいろいろ苦労したようですし、妹のトシも方言では相当苦労したようです(ノイローゼになったほどとか)。今のようにラジオやテレビで標準語をきくことのできなかった大正時代、東北出身者にとって東京の言葉はまるで外国語のように思えたことでしょう。私も大学進学のため、青森から京都に初めて出てきたとき、似たような思いをしましたから、その苦労は察しがつきます。
なお、私の所属する「石川・宮沢賢治を読む会」代表の細川律子さんは岩手の出身で、南部弁で賢治の作品を朗読して全国的に有名です(はまなす文庫主宰)。その軟らかい語り口は押しつけがましさがなく、日本一の賢治の語り部だと私は思っています。毎年、金沢のイーハ陶房で開催される賢治祭(9月21日)のメインイベントは細川さんによる賢治作品の朗読です。下記のサイトで最近の賢治祭の様子を見ることができます。一度訪問してみて下さい。
http://decnonet.livedoor.biz/archives/cat_50013366.html
私自身は朗読は苦手ですが、時々「雨ニモマケズ」を南部弁で読んだりしています。南部弁と言ってもズーズー弁で読むわけではなく、全体のアクセントやイントネーションが変わるだけですが、結構、好評です(のつもり、笑い)。
hamagaki
megumi 様、耕生様、コメントをありがとうございます。
>megumi 様
ご指摘のとおり、「イーハトーブ」をケセン語風(あるいは花巻弁風)に発音すると、ほんわかと優しい感じがしますね。共通語で言う「イー」のややきつい音ではなくて、懐かしいような、「遠野物語」の民俗世界にも通じるような、響きを感じます。
賢治も、こういう雰囲気を出したかったのかなとも思います。
>耕生様
いつも鋭いご教示をありがとうございます。
そうですね。賢治が「方言の発音記号」を知っていてそれを用いたと考えなくても、自分で「 I のウムラウト」として「 Ï 」という表記をしたと考えることもできますね。そう考えれば、この当時に方言学でこんな発音記号が使われていたかとか、賢治がそれを知っていたかとかの問題を前提としなくてもよいわけですね。
それにしても、「石川・宮沢賢治を読む会」は、うらやましいです。実は、私もだいぶ以前に、「イーハ陶房」さんの主催されていた「オンライン賢治祭」というのに参加させていただいたことがありました。これも何かのご縁ですね。