今回の旅行も終わりに近づいてきたので、お土産なども買っておくために、今日はまず盛岡にある紫根染・茜染の専門店「草紫堂」へ行くことにしました。
まず、東北本線に乗って盛岡駅で降り、駅前から「盛岡都心循環バス・でんでんむし」に乗りました。これは100円で盛岡市内中心部を巡ってくれる便利なバスなのですが、確か以前は「岩手公園」だったバス停の名称が、今日見ると、きちんと(?)「盛岡城跡公園」に変更されていたので、去年のあのニュースを思い出しました。このバスは、「岩手県交通株式会社」という民間会社が運営しているのですが、公園の「愛称」使用について、盛岡市当局から「協力依頼」とか「圧力」とかあったのでしょうか?
それはさておき、「でんでんむし」を「上の橋町」バス停で降りて、少し西の方に行くと、黒漆喰でできた明治時代の「井弥商店跡」が見えてきました(右写真)。当主だった村井弥兵衛は、金田一勝定がのし上がってくる前に、岩手の財界を牛耳っていた人ですね。
角を曲がってさらに南の方に歩いていくと、ちょっとハイカラな趣のある大正時代の「消防番屋」の交差点があり、その通りを渡ってすぐに、「草紫堂」がありました。
明治時代になって、「南部紫根染」の伝統技法がいったん途絶えてしまっていたというのは、賢治の童話「紫紺染について」にあるとおりのようです。ただ、童話では「山男」がその技術を持っていたという筋書きであるのに対して、現実には、秋田県花輪地方にかろうじて残っていた知識をもとに、大正時代に盛岡に設立された「南部紫根染研究所」が、実用的に復興したという経緯だそうです。そして、その研究所の主任技術者が創業したのが、この「草紫堂」だということです(右写真)。
静かな雰囲気のお店に入ると、NHKの朝ドラ「どんど晴れ」を見て静岡からやって来たというお客さんもおられたりして、やはりテレビの影響はあなどれないようです。
そのような中でも、お店の人は紫根染の実際の製法を説明してくれたり、とても親切に応対してくださって、お土産用の手提げ袋やブックカバーや、それからあの番組中でも見慣れた「のれん」を買いました。
「草紫堂」のサイトには、紫根染の歴史の紹介とともに、「宮澤賢治と紫根染」というページもあったりして、興味深いさまざまな事柄が紹介されていますので、お奨めです。
店を出ると少し南に歩き、今度は「盛岡バスセンター(中三前)」からまたバスに乗って、盛岡駅に戻りました。一つの用事を終えて、まだお昼前だったので、午後は平泉に行ってみることにしました。
平泉の中尊寺には、賢治の詩碑を見るためにこれまでも行ったことはあったのですが、今回は、賢治の岩手中学時代の修学旅行にちなんだ場所を調べてみたかったので、中尊寺の「弁慶堂」や「鐘楼」、毛越寺の芭蕉句碑、高館義経堂などを訪ねてみました。
この時に平泉で見た内容については、また日をあらためてご報告いたします。
下写真は、高館の上から見た、束稲山と北上川です。束稲山では、明日の晩に「大文字の送り火」があるのですね。
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