「絵で読む宮沢賢治展」 at 土沢

 今日は、今回の旅行の私の目当ての一つであった、「絵で読む宮沢賢治展―賢治と絵本原画の世界」を見に行きます。会場は、旧・東和町にある「萬鉄五郎記念美術館」です。
 昨年の「平成大合併」による新・花巻市の誕生とともに、新しく花巻に加わった各地区でも、賢治関係のイベントが盛んになっていますね。旧・石鳥谷町における「三月」詩碑建立、旧・大迫町における「稗貫郡役所」(「猫の事務所」のモデルと言われる)の復元・・・等々。

 さて、花巻駅から釜石線に乗ると、20分ほどで土沢駅に着きます。下のような小さな駅舎です。

土沢駅

 入口左の青い看板には、「“銀河ステーション” ここ土沢駅は宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」の始発となった駅(岩手軽便鉄道)です。」と書いてあります。これは、『春と修羅 〔第一集〕」の「冬と銀河ステーション」という作品が、この土沢を舞台としており、「銀河鉄道の夜」におけるジョバンニの旅の起点も、「銀河ステーション」だからです。でも「土沢駅が銀河鉄道の始発」とまで言ってしまうと、ちょっと我田引水かなとも思ってしまいますが、岩手軽便鉄道のこのあたりの風景も、「銀河鉄道の夜」の数あるルーツの一つとなったことは確かでしょう。

土沢商店街 土沢のメーンストリートは、駅の少し北を通り、花巻から遠野などを経て、釜石までを結ぶ「釜石街道」の一部でもあります。
 この街路を賢治は、「冬と銀河ステーション」の中でちょっとしゃれて、「パッセン大街道」と呼びました。

 今日の商店街は、上写真のように万国旗も飾られて、「にぎやかな市日」のようでもありますが、現在この商店街では、美術館の賢治展に合わせて、「賢治・ぶらてく・大街道」と銘打ったイベントを行っているのです。通りに面した30ほどの店舗には、花巻や遠野で活躍する作家の絵画や彫刻などが展示され、「ミニ街かど美術館」とでもいうべき状況になっています。

 さて、「パッセン大街道」からは少し山手の方に上ったところにある「萬鉄五郎記念美術館」は、下のような感じです。

萬鉄五郎記念美術館

 この8月7日(火)~19日(日)までの間は、「雨ニモマケズ手帳」の「実物」が展示されているというので、今日もけっこう大勢の人が来館していました。

 まず「雨ニモマケズ手帳」について言えば、やっぱり「実物」というのは、何とも言えない重みがありますね。実際に病床の賢治が、この小さな手帳をしっかりと手に持って、いろいろ切実な思いを紙面に書き付けていったのかと思うと、感慨が湧いてきます。
 手帳の表紙の端に付いている「鉛筆差し」に注目して見ていたのですが、表面が黒い紙でできたその鉛筆差しは、かなり摩耗しています。その擦り切れ方からすると、ここに鉛筆のような硬い物を差した状態で持ち運び、周囲との摩擦で徐々に擦り減っていった、という様子に見えます。
 ところが、この中にあったはずの「鉛筆」は、これまで写真などでも目にしたことはありません。そのかわり、手帳が革トランクの中から発見された時、この「鉛筆差し」には、「塵点の/劫をし過ぎて/いましこの/妙のみ法に/あひまつりしを」という短歌が書かれた紙が、丸めて差し込まれていたのだということです。
 つまり、この「鉛筆差し」には、ある時期までは鉛筆が差されていたが、その後鉛筆差しとしては用いられなくなり、いつしか賢治の心の最奥の信仰を記した歌が秘められた、ということなのでしょう。鉛筆が差されなくなったのは、この手帳が持ち運ばれなくなった時期、すなわち持ち主が病魔に倒れ、以後は自宅で臥床するのみになった時かと思われます。

 展覧会全体を見終わった後、もう一度この手帳のもとに行ってもう一度じっくりと眺めてしまいましたが、この展覧会の本来の企画は、この手帳ばかりがメインというわけではありません。実は、50人以上にもおよぶ絵本作家が、賢治の作品を様々な形で「絵本化」しているその「絵本原画」を、一堂に集めて展示しているところが、圧巻です。
 賢治の世界が、多様な絵本作家の感性で解釈され、ビジュアル化されている様子は、それはそれでまた見事な作品宇宙を成しているようでした。

 「雨ニモマケズ手帳」実物展示は8月19日までですが、展覧会そのものは9月9日(日)まで行われています。お奨めの展覧会だと思います。