もう今日の昼すぎには花巻を発ってしまいますが、最後に「宮沢賢治記念館」と、周辺の施設に寄っておくことにしました。
荷物をかかえて胡四王山の「宮沢賢治記念館」に着くと、このたび副館長となられた牛崎敏哉さんに、まずご挨拶をしました。あいかわらずお忙しそうにしておられましたが、その後わざわざ最新の「宮沢賢治記念館通信」なども私のところまで持ってきていただいて、かえって恐縮しました。どうもありがとうございました。
館の恒例の「企画展」では、童話「フランドン農学校の豚」を取り上げて、原文テキストの紹介、大がかりでユーモラスなイラスト、人形によるオブジェ、アニメーション映像などを駆使して、作品を手にとるようにわかりやすく示してくれていました(右ポスター)。
たくさんの子どもたちも、面白そうに展示を楽しんでいましたが、私自身は今回の企画展を見て、賢治のこの童話は図らずも現代の「尊厳死」の問題に対しても、一つの問いかけをしてくれているように感じました。
童話では、「家畜撲殺同意調印法」という法律が王から布告され、以後この国の家畜は、自分自身の同意なしに殺されることは、なくなります。しかし果たしてこれが、「慈悲深い」法律だったのか否かは、童話そのものが如実に示してくれています。
形式上は、フランドン農学校の豚は一方的に殺されたのではなくて、その爪印を押した「承諾書」によって、本人も自分の死を納得し受け容れていたのだということが、担保されているかのように見えます。しかし、この「承諾」は、豚の自由意志に基づくものではなく、学校側が豚を監禁し、豚に行動の自由はないという、圧倒的に不平等な環境下でなされたものでした。上のポスターに見るように、豚は威圧する校長の前で、泣く泣く「爪印」を押す羽目になったのです。
人間に関しても、「尊厳死」を法制化すべきという意見や、終末期医療のあり方をめぐって、最近もさまざまな議論が行われていますが(例えばこちらのページ)、これらについても今日はいろいろと考える機会になりました。人間の場合においても、表面上は「本人が自らの死に同意していた」ように見えても、その置かれた状況によっては、現実にいろいろな問題が起こりうるのです。「いのちの重さをみつめて」という、今回の企画展の副題が、まさに実感される思いでした。
この問題については、できればまたいずれ稿を改めて書いてみたいと思います。
さて、牛崎さんにお礼を言って賢治記念館を後にすると、陽射しのまぶしい坂を下りて今度は「宮沢賢治童話村」に行き、ここに昨年9月にできた「わらべ像」を見ました(右写真)。
ご覧のように、生き生きとした子どもの姿の銅像ですが、もともとは賢治の作品とは関係なく、盛岡市出身の彫刻家高橋枡旺(ますお)氏が10年ほど前に、自分のお子さんのために制作されたものだそうです。それを、「国際ソロプチミストアメリカ日本北リジョン花巻」が、設立20周年を記念して、昨年花巻市に寄贈したものだそうです。
童話村の入口からも近い小川のほとりに立っていて、台座のプレートには、「あんまり川をにごすなよ」という、「風の又三郎」(あるいは「さいかち淵」)からの一節が刻まれています。
この後、「イーハトーブ館」に寄って、間村俊一氏の「鉛筆のジョバンニ」展に感嘆し、少しだけ本を買って、空港に向かいました。
これまでいつも花巻空港を発つのは夕方でしたが、今日は真夏の昼の、明るすぎるほどの光の中で、左手に胡四王山を見ながら離陸しました。その山頂のトサカのような巨きな杉の木々も見下ろし、飛行機は次には旧天王山や物見崎の上を、南に向かいました。
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