朝は5時半に起きて、伊丹発8時25分の飛行機に乗り、9時50分頃に花巻空港に着陸しました(車輪はちゃんと出たようです)。
名古屋の上空では、雲も晴れてきれいに伊勢湾が見えていたのですが、岩手県のあたりに来ると雲海が厚く、その雲を下に通り抜けると山々は残雪に覆われ、地上では時おり粉雪も散らついていました。
今日は、岩手軽便鉄道沿いの「岩根橋」にその昔にあったという発電所跡を見に行くつもりなのですが、先月あたりに予想したよりは、まだ雪がけっこう残っていそうです。
実は、私は3年前の夏にも、この岩根橋発電所跡を見てみたくて足を運んだことがありました。しかし、この時は生い茂る木々の葉っぱと下草のために見通しがきかず、位置を確認することもできずに終わったのでした。
発電所があった側――猿ヶ石川の南岸には、人が通れるような道は付いていないので、場所の見当を付けるには対岸から見るしかありません。そのためには、木々が葉を落としている時季で、なおかつ雪もない時を狙おうとかねてから思い、今年の暖冬ならば3月下旬には大丈夫かなと思っていたのですが、最近の寒の戻りで、当ては外れてしまいました。
しかし、とりあえず現地に行ってみます。
新花巻駅からJR釜石線に乗ると、20分ほどで岩根橋駅に着きます。ちなみにこの駅は、猿ヶ石川の北側にあります。
岩根橋駅から国道を300mほど西へ歩いて、踏切を渡って引き続き西へ100mほど西に行くと、岩根橋地区集会所へと南に曲がる道がありました。この道を川の方へ下って、集会所の前も通りすぎて、猿ヶ石川にぶつかるところに、古い「吊り橋」の橋脚だけが残っているところを見つけることができました(右写真)。
古いけれど、石組みの立派な橋脚です。ご覧のように、対岸にもちゃんと続きの橋脚が見えています。ここにこんな物があったとは、一昨年の夏には全く気がつかなかったことで、やはり今は樹木が葉を落としてくれているおかげでした。
この橋が、その昔は駅と発電所との間の、人の往来に使われていたと思われますので、目当ての岩根橋発電所跡は、この対岸あたりのどこかにあるはずということになります。
そこで、目の前の猿ヶ石川を渡るために、今来た道を一度引き返して、東の方ににかかっている「野金山橋」という小さな橋で南岸にわたり、その橋のたもとからは全く道のないところを、川に沿ってそろそろと、もう一度西へ歩きはじめました。
山の北側でもあるので雪はまだかなり積もっていて、一歩ごとに大きく足が沈みます。鹿か何かの足跡が付いていたので、最初はその径路をたどっていました。しかしそのうち、雪の下は土だろうと思って踏んだ所が、なんと小さな流れに張った氷の上で、氷を踏み抜いたあげく存分に水に浸かってしまったりもしましたので、それからは苦労してもう少し山かげを歩いて、どうにか上の写真の対岸のあたりまでたどり着くことができました。
そこから山側の方に少し進むと、そこにまさに発電所跡がありました。
石組みで造られたアーチには、二つのトンネルが見えます。ここが、発電に使った水の排水口でしょう。
そこからさらに上に行くと、やはり石で造られたいろいろな構造物がありますが、雪も積もっているので、今ひとつ全体像がつかみにくいところです。
しかし、「宮守村風土記」の中で「アンコール・ワット」に喩えられている雰囲気の一端は、下の写真からも少し感じていただけるかと思います。
建物跡の傍らには、「岩根橋發電所記念碑 大正七年十一月書」と書かれた石碑が、苔むして立っていました。
碑文は、次のようなものでした。
「大正六年三月工ヲ起シ翌七年十一月竣成ス隧道ノ長サ三千尺ニシテ水量一秒時ニ六百立方尺ヲ流下シ落差六十尺ヲ有ス千五百馬力ノ水車及ビ千百キロボールトアンペアノ發電機各二臺ヲ備フ費ヲ投スル金五千萬圓ナリ茲ニ当事者ノ氏名ヲ刻シ後ノ記念トス
取締役社長 金田一勝定
常務取締役 金田一国士
(以下、役員や設計者や工事担当
者の名前が続くが省略)」
「岩根橋発電所詩群」の作品を見ると、賢治はある時、夕方から夜にかけて、この発電所を訪問したことがあったようです。冒頭の写真の吊り橋を渡る時もすでに暗かったはずで、怖くはなかったのだろうかと心配してしまいます。
また、『春と修羅』の「カーバイト倉庫」という作品もこのあたりが舞台ですが、「発電所(下書稿(三))」に、「川の向ふのカーバイト工場」とあるように、猿ヶ石川の北岸に工場や倉庫があったということです。
つめくさ
雪根あけしてきた森歩き、タネリのようですね。
空路、川道、足元にご注意ください。
つぶはまちほたての夜か岩根橋 詰草
hamagaki
つめくさ様、ご心配いただいてありがとうございます。
実際、発電所跡にたどり着いた時には、喜んで思わず雪の積もった水門の上を歩いていって写真を撮ったり、さらに石組みをどんどん上に登って行こうとしていたのですが、途中で何度も滑り落ちそうになったりしているうちに、「これは本当に危険なことをしているな」と自覚して、てっぺんまでは行かずに引き返すことにしました。
おかげで、無事に家に帰ってくることができました。
筋肉痛 t の自乗に比例して (発電所帰り)
哲路王
先日、セミナーで遠野に行ってきました。
発電所は何処にあったのだろうかということが話題になり、その時、同席していた加倉井さんから「ちょうど浜垣さんのブログにその訪問記が載りましたよ」というご指摘を受けました。
以前、岩根橋に行ったときにうろうろと歩き回っていたのですが、どこにも見つからずにいたのですが、まるで反対側だったようです。
雪の中の写真ではありますが、まさに「近代遺跡」と呼ぶにふさわしい大建築だと思います。
林の中にひっそりと「詩への愛憎」の詩碑でも建ててみたいところです…
hamagaki
哲路王さま、お久しぶりです。コメントをありがとうございます。
私も今回のセミナーに行きたかったのですが、スケジュールが合わず断念しました。加倉井さんによる報告を拝見すると、夜遅くまでの「自主懇親会」も、とても楽しかったようでうらやましいかぎりです。
そのかわりと言うわけでもありませんが、皆さんが通られる3日ほど前に、私も自主的に釜石線沿線に行ってみたわけです。
実は、私は3年ほど前に、宮守村(当時)の役場の方にメールを出して、「岩根橋発電所跡はどこにあったのですか」とお聞きしてみたことがありました。村の総務部の方がご親切に返事を下さって、発電所跡のだいたいの場所を地図でお教えいただいた上で、「現地に行くには、川沿いを歩いていくしか方法がないのですが、道らしい道もなく危険であることから、近くに行くことはまず不可能です」とのお答えをいただいていました。
今回は、まだ雪の残る中でちょっと無謀なことをやってしまいましたが、目の前に石造りの大きな構造物が見えてきた時には、さすがに感激でした。(^^)v
そうですね、ここに「詩への愛憎」の詩碑でもあれば、個人的には感激はさらに百倍!という感じです。
またいつかお会いできる機会もあると思いますが、今後ともよろしくお願い申し上げます。
哲路王
うーん、やはり事前準備は欠かせない、ということですね。
いつも行き当たりばったりなので、逃しているものも多いようです…
hamagaki
私の「事前準備」は、せいぜい村役場の方に「教えてメール」を出すというだけの安易なものだったのですが、「つり橋の跡がある」という情報は、一番の力になりました。
南岸の道なき道を歩きながら、対岸に橋脚跡を目視できたからこそ、「あと少し」と思って進み続けることができたと思います。
本日、新たなエントリで周辺の地図もアップしてみました。
遠い岩根橋
発電所は戦後もしばらく稼働していましたし、廃止後も吊り橋は(昭和30年代まで?)通行可能でした。子どもの頃、風に揺れる吊り橋をこわごわ渡った記憶があります。岩根橋駅のすぐ近くには、かつてのカーバイド工場の土台やレンガ壁がまだ草に埋もれて残っていると思います。賢治の詩には、雲を見て岩根橋の方までという言葉が出るものがありますね。
hamagaki
「遠い岩根橋」さま、書き込みをありがとうございます。
そうですか、発電所は戦後も稼働していて、さらにしばらくの間、吊り橋も渡れたんですね。
カーバイド工場跡とおぼしき煉瓦の構造物は、私も以前に川の北岸に確認したことがありました。
賢治の時代の遺物が、だんだんと姿を消していくのは寂しいことですが、多くの場所で、今がまさにそのぎりぎりの時期なのかもしれませんね。
このたびは、貴重なご教示をいただきまして、ありがとうございました。
(賢治の詩で、雲が岩根橋の方までというのは、「毘沙門天の宝庫」でしたね。)
遠い岩根橋
掲載からかなり経った記事へコメントを付けましたので、読む人がいるのか危ぶんだのですが、きちんと応えていただいてありがとうございます。実は、私の祖父はこの発電所の技手だったのです。賢治が訪問した日も働いていたかもしれませんね。カーバイド工場が大火災を起こして跡形もなくなったとか、発電所の社宅では電気で大きな風呂を沸かしていたとか、いろんな話があります。
hamagaki
遠い岩根橋さま、再度の書き込みをありがとうございます。
そうですか、お祖父様が岩根橋発電所の技手をしておられたとは、この場所は本当に深い思い出の地なのですね。
カーバイト工場の火災、発電所の電気で沸かしたお風呂など、貴重なエピソードをお教えいただきまして感謝申し上げます。
お祖父様が「賢治が訪問した日も働いていたかもしれない」というのは、本当にワクワクするようなイメージです。
賢治の「発電所Y技師に寄す」(下リンク)という作品草稿では、かなり脚色された技師が登場しますが、賢治が発電所を訪ねた1925年4月2日に、実際に何らかの形では技師に会ったのでしょうから、もしもそれがお祖父様だったら・・・と、いろいろと想像はふくらみます。
https://ihatov.cc/haru_2/166_3.htm