「歌曲の部屋 ~後世作曲家篇~」に、高田三郎による無伴奏混声合唱曲「水汲み」をアップするとともに、podcast でも公開しました。
この曲は、1968年から1969年にかけて作曲された合唱組曲『心象スケッチ』の第一曲で、あとの曲は、「森」「さっきは陽が」「風がおもてで呼んでいる」です。
以前に林光の「高原」をアップした時に、toyoda さんがこの「水汲み」にも言及したコメントを下さり、その時に私はこの曲をあらためてCDで聴きなおしてみて、次にはぜひこの演奏を作成してみたいと思っていました。
「春と修羅 第三集」に収められている「水汲み」をテキストとした素朴で平易な小曲ですが、労働というものが持つ「反復」「疲労」「浄化」というような特性を、曲全体として象徴しているようで、また深い宗教的な情緒もたたえているように、私には感じられます。詳しくは、解説ページをご覧下さい。
演奏は例によって VOCALOID で、ソプラノとアルトを Meiko が、テナーとバスを Kaito が担当しています。下は、その MP3 ファイル。
水汲みぎっしり生えたち萓の芽だ
紅くひかって
仲間同志に影をおとし
上をあるけば距離のしれない敷物のやうに
うるうるひろがるち萓の芽だ
……水を汲んで砂へかけて……
つめたい風の海蛇が
もう幾脈も幾脈も
野ばらの藪をすり抜けて
川をななめに溯って行く
……水を汲んで砂へかけて……
向ふ岸には
蒼い衣のヨハネが下りて
すぎなの胞子(たね)をあつめてゐる
……水を汲んで砂へかけて……
岸までくれば またあたらしいサーペント
……水を汲んで水を汲んで……
遠くの雲が幾ローフかの
麺麭にかはって売られるころだ
正直言って私は、『春と修羅』と『第三集』を比べると、これまで『第一集』の方を好んでいたと思うのですが、このような作品を読むと、『第一集』にはなかったような深い魅力もあらためて感じます。
『第一集』の諸作品が、縦横無尽に天地を駆けめぐるような「精神」の躍動を示しているとすれば、ここに見られるのは、それとはまた異なった、「身体性」とも言うべき領野の認識ですね。
ところで、カワイ出版によるこの混声合唱組曲『心象スケッチ』〔付・「稲作挿話」〕の楽譜(下写真)は、「受注生産品」という位置づけになっていて、5冊以上を同時に注文しないと買えないという仕組みでした。このため、今私の手もとには、同じ楽譜があと4冊、新品の状態で残っています。
このまま4冊を死蔵していてももったいないので、もしもご希望の方がいらっしゃいましたら、定価1470円(本体1400円+税70円)にて、お頒けしたいと存じますので、管理人あてメールにてご一報を下さい。
toyoda
ありがとうございます。まさか「水汲み」が聞けるとは思いませんでした。
音楽は面白いもので、合唱の音取りですでに
詞の内容は理解できていますが、合唱になると
……水を汲んで砂へかけて……
この次に来る展開がいつも音の力で新鮮に、
又は意外性を持って心にせまったのを覚えています。
次に展開する緊張感が音楽の魅力ですね。
音によって詞の魅力に気づかされました。
言葉と音の関係は、深いものを感じます。
偶然、昨日この歌のバスパートを一緒に歌った
O君と会い、10年ぶりに会い当時のことを
話していました。
賢治の詩は、詞の内容を想像することに
楽しさを感じます。
hamagaki
toyoda 様、こんばんは。コメントをありがとうございます。
先日いただいたコメントのおかげで、私自身あらためてこの曲に向き合うことができました。
この「水汲み」という詩は、以前から読んではいたのですが、今回の作業中、何度も楽譜に合わせて歌ってみたことで、何かさらに、賢治の言葉の奥深いところまで触れられたような感じがしたのです。
これがまさに、「音楽の力」なのだと思います。
このたびは、ありがとうございました。