盛岡市内丸にある「岩手公園」は、賢治の文語詩「岩手公園」に描かれ、園内にはその詩碑もあるので私も何度か訪れた思い出の地ですが、盛岡市当局はこの公園の名称の変更を計画しているのだそうです。
形の上では、法的な正式名称としての「岩手公園」は残して、「愛称」を付けるということになるようですが、上記記事を見ても、盛岡市は「愛称を広めることで事実上の名称変更としたい」と目論んでいるようですね。
これに対しては、上記記事の中にもイーハトーブセンター会員の方の反対の声が掲載されていたり、下記には市会議員からの疑義も出されています。
そしてついに6月26日には、その愛称を検討する第一回の「懇話会」が、下記のように開かれました。
座長には、今月1日に岩手大学に設置された「宮沢賢治センター」代表の望月善次氏が選ばれたということですが、出席した委員7人のうちで、新名称を付けることに賛成は4人、慎重論は3人とのことで、先行きは予断を許しません。と言うより、望月先生のお立場は、非常に難しいものではないでしょうか。
ところで経済的に見ると、最近は施設の名称というものに驚くほどの市場価値が見積もられていて、「ヤフードーム」などは命名権料が5年間で25億円、「味の素スタジアム」は5年12億円、岩手のお隣の「フルキャストスタジアム宮城」でも毎年2億円の値が付いています(いずれも「命名権.com」参照)。もちろん、一度に数万人を収容するスポーツ施設とはいちがいに比べられませんが、それでも盛岡市の観光ビジネス的には、この公園に何か気のきいた名前を付けて、新しいセールスポイントにしようという戦略は、それなりに理解できることではあります。
しかし、市民や市議会の意見を聴取する手続きをほとんど踏んでいないことや、「愛称を広めることで事実上の名称変更としたい」という盛岡市の手法が何か正攻法ではない姑息な印象を与えるなど、今回の一連の動きにはどうしてもマイナスのイメージが付きまとっています。
盛岡市当局の計画では、今年9月15日の「岩手公園開園100周年記念日」には、新しい名称を発表するとのことですが、このままでは「しこり」を残すことにならないか、今から心配です。
さて、その記念日の翌週の賢治忌(9月21日)に、花巻農業高校に賢治の銅像ができるという話は以前にもご紹介していたところですが、下記にもう少し詳しい記事が載っていました。
こういう話ならば、まあ反対する人もないかと思っていたのですが、記事によれば「これまで銅像建立に難色を示してきた遺族も了解済み」とのことで、従来は宮澤賢治氏のご遺族(宮澤家継承者)は、彼の銅像を作ることには反対しておられたんですね。
その反対理由は、記事後半によれば「像建立は賢治精神に反する」ということで、ここで何をもって「賢治精神」とするのかは難しいところだと思いますが、まあ「偶像崇拝を排する」というような意味なのでしょうか。
しかし、「像建立は賢治精神に反する」というような「御触れ」が出るものならば、何かの拍子に「ブログ制作は賢治精神に反する」などと言われてしまうんじゃないかとか、こういうのを見ると私などはちょっと不安になってしまうのです(笑)。
それはともかく、上の記事の最後に、「花巻農高では、賢治が作詞した『日ハ君臨シカガヤキハ……』という『精神歌』を、校歌がわりに歌っている」と何気なく書いてありますが、この問題については、下の記事をご覧下さい。
たしか、花巻農業高校と北上農業高校が統合される時にも、その新名称に関して、花巻側はこれまでの「花巻農業高校」、北上側は「イーハトーブ高校(?)」を主張して、なかなか決まらなかったような記憶があります。
上記記事によれば、「校歌は新校舎の位置決定後に制定する」とのことで、「現在は学校行事などの際は校歌の代わりに賢治が作詞した『精神歌』を歌っている」とありますが、このこと自体はそれほど困ったことなんでしょうかね。
「まだ校歌がないので行事の時には『精神歌』を歌っている」というのは、80余年前の賢治在職中とまったく同じ状況なだけで、別にノー・プロブレムじゃないかとか、それよりかえって「賢治先生の時代」に戻ったようで、今しばらくはいいんじゃない、とか私などは思ってしまいます。
それよりずっと難題なのは、校歌の前提となる「新校舎の位置決定」の方だろう?!と思えるのですが、なぜ岩手日報が「校歌決まらず」の方を重視するのか、よくわかりません。
今後、学校の場所を正式に決めるにあたっては、花巻と北上との間でまた綱引きが行われるのではないかと心配です。しかしそう思ってみると、今回の「賢治立像」の建立というのは、花巻側が現在地に重みを付けるための「布石」を打ったのではないか?などと「賢治精神に反する」ようなことまで考えてしまう、今日この頃です。
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