新!読書生活~知への旅立ち(2)

 今日は、朝に京都を発って、明治大学駿河台キャンパスの「リバティホール」というところで開かれる「新!読書生活~知への旅立ち」というイベントに行ってきました。関わりのいきさつについては、先日の記事で書いたとおりです。

リバティタワー 新幹線を東京駅で乗り換えて御茶ノ水駅で降りると、明治大学はもう歩いてすぐです。明大通りの楽器屋の並ぶところをを南へ行くと、「リバティタワー」(右写真)という巨大な建物が見えてきます。この建物の1階で今日の催しはあるのですが、開場までまだ少し時間があったので、この建物から明大通りをはさんでちょうど向かい側にある、「カザルスホール」のまわりを歩いてみました。

 これは偶然ながら何かの縁のようなものも感じるのですが、日本最初の室内楽専用ホール「カザルスホール」が建っている千代田区神田駿河台1丁目4番地は、その昔は神田区駿河台南甲賀町12番地と呼ばれ、ここは賢治が1931年の最後の上京の時に宿泊して高熱を出し、覚悟を決めて遺書まで書いた、あの「八幡館」という旅館があった場所なのです。賢治も、自分が泊まっているすぐ近くで、75年後にイベントの話題にされるとは、まさか思ってもみなかったでしょう。
 この「八幡館」に関しては、加倉井厚夫さんが「「宮沢賢治の東京における足跡」を歩く―神田編」において、詳しくレポートをしてくれていますのでご参照下さい。下の写真は、今日私が写してきたものですが、ホール駐車場入口の上あたりが、賢治が泊まっていた二階客室のあった場所だということですね。

「八幡館」跡

 写真を撮って、あたりの空気を吸うと、明大通りを渡ってリバティホールに入りました。受付で招待状を出すと、「活字文化推進会議」の担当者の方が出演者の控え室に案内して下さって、今日のゲストの最相葉月さんと対面させていただきました。名刺を交換した後、最相さんはなんと、ご著書のうち賢治に関して触れた部分のある2冊を、バッグから取り出して私に進呈して下さいました。『青いバラ』(新潮文庫)と、『最相葉月のさいとび』(筑摩書房)です。まさにサプライズの感激!です。
 出演前ということで、簡単なご挨拶だけで退出してホールへ入り、開始を待ちました。いただいたご本には、賢治に触れた箇所に最相さんがていねいに付箋をつけて下さっています。一つは、下記の「地歴の本」のこと、もう一つは、また後日ここに書かせていただきます。

 13時30分になって会が始まると、まず荒俣宏さんが「イントロダクション」を15分話され、その後、お二人の対談です。
 細かい内容は省略しますが、すべてを含むような荒俣さんの大きな包容力と、繊細な感受性でじっくりと言葉を紡ぎ出す小柄な最相さんがぴったりのコンビで、予定された15時30分をかなり過ぎて、それでもまだ聴きつづけていたいような、尽きないお話でした。
 賢治に関しては、最相さんが「銀河鉄道の夜 初期形」に出てくる例の「地歴の本」のことに触れて、賢治が後の推敲でこの「地歴の本」の登場を削除してしまったのはなぜなのだろうか、という問題を提示されました。
 荒俣さんは、以前に「ブルカニロ博士失踪事件」という文章も書いておられるのですが、この問いかけに対しては、博士がジョバンニに具体的な方向や答えを示してしまうのではなくて、もっと未来に開かれたテーマとして、ジョバンニに対しても私たち読者に対しても、課題を残しておこうとしたのではないか、というようなお答え。
 一方、最相さんがこの問題に関して示唆された事柄は、現代の科学や技術の進歩が孕む意味について考えさせてくれるものでした。最近の科学技術は、「ゲノム地図」や「インターネット」などの形で、人類の持つあらゆる情報の「インデックス化」を徐々に成し遂げつつあるように見え、これは賢治の空想した「地歴の本」が、まさに現実化しようとしているとも言えます。賢治は、いったんはそのような壮大なイメージに魅力を感じて「銀河鉄道の夜 初期形」に書き込んだが、その後の推敲の過程で、何らかの理由で自らにブレーキをかけたのではないか、というのです。
 いずれのノンフィクション作品においても最近の科学技術の進歩に肉迫しつつ、「受精卵は人か否か― Life Science Information Net」なども主宰し、科学と人間との関係について慎重に考えつづけておられる最相葉月さんならではの視点と感じました。

 さて、私が今日のイベントにうかがった直接の理由である賢治歌曲ですが、荒俣宏さんが中里介山の長編小説『大菩薩峠』を情熱的に推薦されたのを受けて、最相さんが上記のような賢治話との「接点」として、賢治が「大菩薩峠の歌」というのを作っているということ紹介されました。そして、当サイトの「大菩薩峠の歌」が会場に流されたのです。三番までフルコーラスをかけていただき、配布されたパンフレットにはこの歌の楽譜・歌詞まで挟み込まれていて、曲の後には壇上から最相さんが客席の私を紹介して下さるというおまけまで付いていました。
 あの博覧強記で知られる荒俣宏さんも、賢治に「大菩薩峠の歌」があったとはご存じなかったとのことで、「一般的な宮澤賢治のイメージとは異質だけれど、『大乗つながり』なんですねえ、まさに『修羅の旅』ですねえ・・・」としきりに感心しておられました。


 15時40分頃に対談が終わって会場を後にすると、ごく近くにある「ニコライ堂」(東京復活大聖堂)に寄ってみました(下写真)。賢治も東京の中で愛した場所の一つで、「青銅の穹屋根」とか「ブロンズの円屋根」などと、短歌に詠み込んでいます。関東大震災で損傷を受けて1929年に再建され、また1992年から改修が行われたという現在の姿ですね。
 大都会の日曜日午後に、ぽっかりとそこだけ静かに停止しているような敷地内を少し散歩して、また御茶ノ水駅からJRに乗りました。

東京復活大聖堂