新美南吉・青春日記(1)

 このサイトをご覧いただいている ゆふ様が、『新美南吉・青春日記―1933年東京外語時代―』(明治書院,1985)という本の一部コピーを送って下さいました。1933年はちょうど賢治の没年ですが、南吉は20歳、東京外語学校の2年に在籍していた年で、現時点ではとりあえずこの年の日記だけが公刊されているようです。
 以前、「新美南吉の引用した「春と修羅」」というエントリへのコメントにおいてネリ様が触れられた「南吉の日記」とは、内容的にはこれのことでしょうね。

 で、この期間の日記において、新美南吉が賢治について触れた日としては、次の3日があるようです。

四月十六日 日曜日
長崎からきた一柳と本郷座に暴君ネロを見る。今の時勢にクリスチャニチイだの信仰だのをかつぎ出したつてどうして夢中になることが出来ようや。中学生だつた頃‘海から帰る日’を書いた頃、あの頃の俺はすでに今の俺の中にあまりにきはくに存在する。
芸術とは純なもの、形のみのもの、その方向と思想を問はぬとは思ひつゝも、やはり認識のひくい思想を内容とする作品は、リアルな感がなく打つて来ない。必ずしも宣伝的でなければならぬとは言はぬ。
長崎から来た男に長崎の話をきく。エキゾチックな長崎のにほひ。――出島や異人淫売婦。けれど、けれど、俺の求め、慕ひ、あほがうとする男はこんな男でもあんな男でもない。深い男がほしい深い男が。

俺の触覚にふれたもの宮島けん治(ママ)の短い童話。

四月十七日 月曜日
宮島けん治(ママ)の童話にしげきされて昨夜、一ぺんを軽い気持ちで書きあげた。“蛾とアーク燈”

Dickens の Copperfield とともに小栗風葉集を買つて来た。

新学期になつてから洋書を十冊近く買込んだが、みな古本ばかりだ。

(中略)

十一月二十九日 水曜日
屋根の上には本当に霜らしいものが見えた。道は、氷り始める頃のぬかるみのあの状態、いく分固くなつて、直線のすじが一ぱい出来てゐる、あの状態になつてゐた。電車にのつてからも手を出して本を読む元気がなかつた。女学生が教科書を見てゐた。あんな赤い手をして冷たさうだなあと思つた。
学校の帰りに、三崎町の開成中学の校庭で中学生が野球をやつてゐるのを、平川がぽかんと見てゐたので声をかけた。本郷元町の、東洋女子医専の向へのコンクリート建ての三階に下宿してゐた。あがつて夕方までゐた。アランポーの詩やテニスンの詩を読むと言つてゐた。宮沢顕治(ママ)の死んだことをきいた。宮沢顕治(ママ)はいゝ童話が沢山あるだらう。“朝の童話的構図”、あれはすばらしい感覚的な童話だつた。五時半には約束通り二幸の地下室へ行つたら、もう清水たみ子が待つてゐた。本当におとなしい女で、こちらでもてあましてしまつた。五十銭の supper をモナミでおごつてやつたのに、ほんの三分の一ほどしか喰べなかつた。不けいざいな話さ。大久保まで一しよに歩いて行つた。呼吸をはづませてゐたので始めて、俺の歩調が彼女には早すぎたのだと分つて歩をゆるめた。赤い鳥社をすぎた細い長い暗い路だつた。


 1933年4月16日の夜、賢治の何らかの童話に刺激された新美南吉は、「蛾とアーク燈」という短篇を一気に書き上げたわけです。
 この「蛾とアーク燈」は、『校定 新美南吉全集』において3ページに満たない掌篇で、南吉の自筆原稿末尾には、「一九三三・四・十六」と記されています。偶然でしょうが賢治と同じような日付の記法ですね。

 その童話の内容は、次のようなものです。
 ある「活動小屋」の中に、一匹の白い蛾が迷い込んでいました。上映が始まって、スクリーンに映っている花を見つけた蛾は、暗い館内を飛んでいき、銀幕上のその大きな花にとまってみます。しかしその花には香も蜜もありませんでした。失望した蛾は、「明るい光がほしい、明るい花が」と願って、強い光を放っている映写機に向かって飛んでいきます。しかし、眼も眩むような映写室に入るや否や、蛾は一瞬のうちに映写技師に叩き落とされて、死んでしまうのです。

 終始、蛾の視点から映画館内の様子が描かれ、その独り言によって、この世界が蛾からはどのように感じられるのかということが記述されます。背景に、一方には暗闇、他方には眩しい光があり、耳には「ヂーヂーヂー」と、「蟲が鳴いてゐる様な」映写機の音が聴こえつづけています。

 短い生涯において美しいものを求めつづけ、結局わずか29歳で夭折してしまった新美南吉自身の一生を予示するかのような、これは儚く哀しい短篇です。南吉が亡くなったのは1943年3月22日ですから、この作品が書かれてからほぼ正確に10年後にあたり、ここには何か、運命の不思議のようなものも感じられてしまいます。


 で、私がここで気になるのは、新美南吉がこの頃に読んで「しげき」を受け、彼が「蛾とアーク燈」を書くきっかけとなったのは、賢治の童話のうちどの作品だったのだろうか、ということなのです・・・。

[ この項つづく ]