洞熊の絶滅

 「寓話 洞熊学校を卒業した三人」で、三人の生徒を教える先生の「洞熊」というのは、どんな動物なのでしょうか。
 「動物図鑑・動物の名前一覧」を見ても、「動物の名前一覧・GitHub」を見ても、「洞熊(ホラクマ)」という名前はなく、これは現代の日本で一般的に用いられている動物名ではないようです。また、賢治の作品に関してこういう場合にいつも強い味方になってくれる『定本 宮澤賢治語彙辞典』にも、この名前は載っていません。

 そこで、賢治の時代の「洞熊」が何を指していたのか調べるために、例によって国会図書館デジタルコレクションで、この語を検索してみました。
 すると、洞熊というのは、氷河時代に棲息していた大型の熊で、すでに絶滅した動物であることがわかりました。

 たとえば、1895年(明治28年)刊行の『化石学教科書』では、化石で発見されるクマ科の動物について、下のように説明されています。(太字は引用者)

●熊科 Ursidæ 本科ノ動物ハ肉食スルノミナラズ傍ラ又木實、樹根、蜂蜜等ヲモ啖フ而テ其特徴トスル所ハ其大臼齒大ニシテ四角形ヲナシ多峰ヲ具フルト食肉齒ノ發達他ノ食肉類ノ如ク完全ナラザルトアリ〇熊 Ursus 歐洲及印度ノ鮮新ニ現ハレ洪積ニ多ク今モ尚ホ生存ス而テ洞熊 Ursus spelaus(cave-bear)ト稱スル一種ハ歐洲洪積ニ普ク見ル所ノモノニシテ其大ナルコト現世ノ白熊 Ice-bear(U. maritimus)ニ勝レリ〔後略〕

(横山又三郎著『化石学教科書』中巻p.664)

 すなわち「洞熊」は、洪積世(現在の呼称では更新世)に棲息していた熊で、その大きさは、現生の最大の熊であるホッキョクグマよりも大きかったということです。

 また、1906年(明治39年)に刊行された『地史学』では、洞熊と当時の人類の関わりについて、下のように書かれています。(太字は引用者)

此の洞穴住居の一例を擧ぐれば、スウェビヤのアハ谷のものである、此の所の洞穴はホーレフェルス(空岩の意)と稱して、其の中には極々粗製の石刀、馴鹿及び馬の齒の根に穴をあけたるもの、熊の骨、尖らした馴鹿の角、象、犀、馴鹿、羚羊、虎(今の虎より三分一丈大なり)等の骨があつた、是に因て考へて見れば、當時の人類の重なる職業は狩獵であつて、其の目的物の重なるものは洞熊(長さ一丈もあり)であつたのである、此の熊の頭骨を見るに、何れも敲き潰してあつて、下顎は頭骨より引き離され、斧鉞の如きものに細工せられてあり、又肋骨は矢の根に製せられて居る

(横山又次郎述『地史学』p.504)

 上記によれば、当時の人類は、洞熊を主な対象として狩猟を行っており、その骨を斧や鏃に加工して使っていたということです。

 このように洞熊は、既に絶滅したとは言え、氷河時代においては人類との縁も深い重要な動物だったらしいのです。それにもかかわらず、今ほとんどこの語を耳にすることがなくなっている理由は、現在はこの動物は「ホラアナグマ」と呼ばれるようになっているからです。

 Wikipediaの「ホラアナグマ」の項目には、次のように説明されています。

ホラアナグマまたはドウクツグマ(洞穴熊、学名:Ursus spelaeus)は、既に絶滅したクマ科の動物であり、更新世後期(氷期)のヨーロッパ、アジア南西部に生息していた。洞窟の中で骨が見つかることからその名がついた。

 Wikimedia Commonsには、下のように立派なホラアナグマの想像図も載っています。

ホラアナグマ想像図

 また、『ホラアナグマ物語─ある絶滅動物の生と死─』と題して、この動物が氷河時代にどのように生活していて、人類とどんな関わりを持ち、そして結局絶滅に至ったのか、という物語をまとめた本も刊行されています。

ホラアナグマ物語: ある絶滅動物の生と死

ホラアナグマ物語: ある絶滅動物の生と死
ビョーン クルテン (著)
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 ということで、「洞熊学校を卒業した三人」の「洞熊先生」は、氷河時代に絶滅した「ホラアナグマ」だったのです。しかしそれにしても、賢治はなぜこのお話の「先生」として、一般にはあまり馴染みのない、このような絶滅種を登場させたのでしょうか。生徒たちとして出てくる、蜘蛛、なめくじ、狸は、どれも私たちの身近にいて親しみのある生き物なのに、これでは先生と生徒の知名度のギャップが、あまりに大きい感じです。

ニホンアナグマニホンアナグマ
Wikipedia Commonsより

 たとえば私たち一般人は、よく似た名前の動物として、「穴熊」ならばそれなりに知っています。穴熊も穴居生活をしていますし、私たちにとってはよほど馴染みがあり、このユーモラスな賢治の寓話にもぴったりの、ちょっととぼけたような味もあります。
 「穴熊学校を卒業した三人」の方が、何となく親しみは湧く感じがするのですが、どうして賢治は「洞熊学校」としたのでしょうか。

 ここで私が思うのは、上でも紹介したような、洞熊=ホラアナグマの、並外れた「大きさ」です。
 オスの成獣で比較すると、現生種最大のホッキョクグマが体重400-600kg、ヒグマ/グリズリーベアが250-500kgに対して、ホラアナグマは平均350-600kgで、推定体重1トンの個体も発見されているということです。

 このように、ホラアナグマが巨体を持っていたことは、洞熊先生の次のような「教え」を思わせます。

洞熊先生の教へることは三つでした。
一年生のときは、うさぎと亀のかけくらのことで、も一つは大きいものがいちばん立派だといふことでした。それから三人はみんな一番にならうと一生けん命競争しました。

 「教へることは三つ」と言いながら、「うさぎと亀のかけくらのこと」と、「大きいものがいちばん立派だといふこと」の、二つだけしか出てこないのが不思議なところですが、その推敲前の草稿では、下のようになっていました。

洞熊先生は三つのことを教へた。一つは世の中はみんな競争であることで、も一つは、だから何でもほかの人を通りこして大きくえらくならなければならんといふことであった。も一つは大きいものが一番立派だといふことであった。

 すなわち洞熊先生の教えは、➀競争の普遍性、➁他人を追い越し大きく偉くなることの重要性、③大きいものが立派であること、という三点だったようです。
 このように、「大きいものが一番立派だ」ということを教える者としては、自分自身が古今東西のクマの中で最大の巨躯を誇った洞熊(ホラアナグマ)という存在は、まさにうってつけなのではないでしょうか。

 実際、洞熊先生の教えを受けた生徒たちは、蜘蛛の場合は体の大きさには限界があるものの、その巣を二銭銅貨くらいの小さなものから、最後はすばらしく大きく拡大し、さらにあちこち十も網をかけました。
 なめくじは、相撲をして相手を投げてはどんどん食べていき、ついには「途方もなく大きく」なりました。
 狸も、兎や狼をだまして次々と食べ、さらに籾を三升も呑んだ結果、「からだがゴム風船のやうにふくらんで」しまいました。

 それぞれが、必死で競争しながら、「大きいことはいいことだ」という洞熊先生の教えを、忠実に実行したのです。
 しかし残念ながら、最後には三人とも、自滅してしまいます。

 現実に氷河時代に棲息したホラアナグマは、おそらく「大きく偉くなろう」と思ったから巨大化したわけではなくて、寒冷地への適応の結果、大きくなっていったのだと思われます。マンモスなどで典型的に見られるように、非常に寒い環境では、体が大きい方が体積に比して表面積が小さくなり体温を保ちやすいこと(ベルクマンの法則)や、また大量の皮下脂肪を蓄えることで保温効果が上がることなどから、進化とともに体の巨大化が起こる傾向があるということです。現代でも、ホッキョクグマやゾウアザラシの大きさが、それを物語っています。

 いずれにせよ、「大きいことはいいことだ」という価値観を生徒に教え込む先生として、賢治が洞熊(ホラアナグマ)を登場させたのには、こういう特徴があったからではないかと思います。

 さらにそれに加えてもう一つ、三人の生徒が大きく偉くなろうとした結果、みんなそれぞれ自滅してしまったのと同じように、現実世界で巨大化していた洞熊も、氷河期の終わりとともに絶滅し地球上から姿を消してしまったという事実は、上記のような「競争」がもたらす宿命を象徴するものとして、賢治にとっては寓話的な意味があったのかもしれません。

洞熊学校を卒業した三人
「洞熊学校を卒業した三人」(谷内六郎 画:福音館書店『どんぐりと山ねこ』より)