今年も、9月21日の賢治祭に続いて、9月22日には宮沢賢治賞・イーハトーブ賞贈呈式、賢治学会定期総会、宮沢賢治学会イーハトーブセンター功労賞贈呈式、参加者交流・懇親会、9月23日には研究発表会とエクスカーションという、一連の行事が行われました。
私は、9月21日の夜遅くに花巻に着いて、22日、23日と参加してきました。
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まず9月22日午前は、花巻市の主催による、宮沢賢治賞・イーハトーブ賞の贈呈式です。
今年度の宮沢賢治賞は大妻女子大学名誉教授の杉浦静さん、イーハトーブ賞は木版画家の伊藤卓美さん、イーハトーブ賞奨励賞はイラン在住の日本文学研究者のアスィエ・サベル・モガッダムさんと、画家・イラストレーターの海津研さんです。
花巻市長および宮沢賢治学会イーハトーブセンター代表理事からの賞の贈呈の後、杉浦静さんと伊藤卓美さんによる記念講演が行われました。
宮沢賢治賞の杉浦静さんは、「「セロ弾きのゴーシュ」の生成─賢治草稿の
「銀河鉄道の夜」や「風の又三郎」については、その先駆形「第三次稿」や「風野又三郎」も全集本文に掲載されているのだから、もしもこちらの初期形「セロ弾きのはなし」を掲載するとしたらどうなるか、という「準本文化」の試案も示されました。
イーハトーブ賞の伊藤卓美さんは、「宮沢賢治」と「民俗芸能」をライフワークとして木版画を制作してこられましたが、賢治については、「日輪と山」や「月夜のでんしんばしら」など自筆の水彩画の原色の再現を試みた木版画が、いくつか示されました。当時の水彩絵の具の品質や、清六さんが後から白黒の画像に彩色した関係で、今の私たちが暗い感じの絵だと思っている賢治の水彩画が、当初はもっと明るい色調だった可能性が指摘されました。
また、「民俗芸能」に関する独自の調査の成果として、50年ほど前に伊藤さんが8ミリフィルムに収めた「原体剣舞」の貴重な記録の一部が、ステージ上に映し出されました。通常の原体剣舞は「稚児剣舞」と言って、子供たちによって演じられる初々しいものですが、過去にはこのように、青壮年の舞手たちが勇壮に演ずることもあったということで、賢治の詩「原体剣舞連」の雰囲気には、こちらの方がマッチする感じです。
下の動画は、その一部の3分半ほとです。
dah-dah-dah-dahh
夜風 とどろきひのきはみだれ
月は射 そそぐ銀の矢並
打つも果 てるも火花のいのち
太刀の軋 りの消えぬひま
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
太刀は稲妻 萓穂 のさやぎ
獅子の星座 に散る火の雨の
消えてあとない天 のがはら
打つも果てるもひとつのいのち
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
太鼓と撥の音が、「dah-sko-dah-dah」と聞こえてくるようです。
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22日午後は、賢治学会定期総会が行われた後、イーハトーブ奨励賞受賞者お二人によるリレー講演がありました。
アスィエ・サベル・モガッダムさんの講演は、1990年にご夫君の日本留学とともに来日したことを契機に日本が好きになって、以後ずっと日本に関わる活動をしたいと思い、帰国するとテヘラン大学の日本語学科に入学し、その後同学科の教員となって、2回の日本留学を経て、イランで初の宮沢賢治詩集と宮沢賢治童話集を刊行し、さらに在イラン日本大使館で日本語学校の教師も務めておられるという、この30年あまりの濃密な軌跡のお話でした。
日本の古代に万葉集があり、現代でも一般人が俳句や短歌を作るように、イランでもペルシア帝国の時代から現代に至るまで、広く国民に詩が愛好されているということです。彼我の国の間には、宗教や文化の違いはありますが、サベルさんは宮沢賢治の自然観や世界観に深く共感しつつ、その詩や童話を翻訳刊行された様子が印象的でした。
海津研(カイズケン)さんは、様々な自作のイラストやアニメーションを映しながら、賢治に対する思いを語ってくださいました。沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」のために作成された絵画やアニメーション原画も、深い感動を呼ぶものでした。
下の美しい絵は、賢治の「二十六夜」の一場面です。
その後、宮沢賢治学会イーハトーブセンター功労賞の贈呈式と、イーハトーブ・サロン、懇親会と続きました。
本年度の宮沢賢治学会イーハトーブセンター功労賞は、花巻市石鳥谷地区で代々農業を営んでおられる、板垣寛さんが受賞されました。板垣さんは、そのお父様が宮沢賢治から直接受けた農業指導を引き継ぎ、現在も毎年陸羽一三二号を栽培しておられます。また、石鳥谷地区に「葛丸」歌碑や「三月」詩碑を建立する際には多大な尽力をされるなど、地域における賢治の顕彰活動の、中心を担ってこられた方です。
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9月23日の午前は、宮沢賢治イーハトーブ館において、「宮沢賢治研究発表会」が行われました。
今年の発表内容は、下記のとおりです。
- 賢治詩における「さんさ踊り」考
(森 義真) - 宮沢賢治の肥料設計書の時代的制約 ─好ケイ酸植物である水稲を巡る考察─
(田知本 正夫) - 『児童文学』と中野会、そして、宮沢賢治晩年の作品の改稿理由
(森中 秀樹) - 「雁の童子」論 ─ミーラン第3、5寺壁画と絡めて─
(鈴木 健司)
23日の午後は、「エクスカーション」として、バスに乗って大迫町に残る賢治の足跡を訪ねました。
大迫では、「早池峰と賢治の展示館」を見学後、館長の浅沼利一郎さんも合流して、賢治が常宿とした石川旅館跡や、当時のままの建物が残る桜井旅館、郵便局跡、花月という料亭跡を見学し、またバスに乗って、風の又三郎の舞台の一つと言われる火ノ又分教場跡を、見てまわりました。
細かい準備をしていただいた、賢治学会の企画委員会の皆様と浅沼利一郎さんには、本当にお世話になりました。
下記は、「早池峰と賢治の展示館」前での記念写真です。皆さんありがとうございました。
しなこ
賢治学会の2日間の詳細をご紹介くださり、ありがとうございました。楽しく読ませていただきました。それにしても、70年代の、オトナが舞う原体剣舞の、なんと素晴らしいことでしょう。驚きとともに繰り返し見入ってしまい、YouTubeの停止ボタンをなかなか押せないほどでした。あの映像は、ほんの少しだけ早回しになっているのでしょうか?半世紀を経た古いものでしたら、いずれかの段階で機材の関係でなんとなく早回しっぽくなっているのかしらと思いましたが、もしそうでないとしたら、踊り手さんたちはものすごい運動量ですよね。あの扮装で面を被ってあのスピードで踊り続けると、トランス状態になって、神がかり的にもなるでしょうね。本当にめったに見られないものを見せていただきありがとうございました。
それにしても、賢治さんの「原体剣舞連」の詩の素晴らしさにも、改めて胸を打たれました。
hamagaki
しなこ様、コメントをありがとうございます。
原体剣舞の映像が、少し早回しになっているのかどうか?ですが、
映像の踊りや太鼓の撥の動きと、太鼓の音や掛け声はシンクロしていますので、もしも映像が早回しになっているとすれば、伴奏や掛け声も早回しということになります。
しかし、太鼓の低音の響きや、掛け声の声調などは、早回しによって音程が高くなっているような感じはしませんので、やはりこの動画は正しいスピードなのではないでしょうか。
ご指摘のように、物凄く目まぐるしい動きで、それこそトランス状態になりそうですね。
この動画の完全バージョンは、イーハトーブ館の図書室に所蔵されているということでしたので、ご覧になることも可能かと思います。