「葛丸」歌碑
1.テキスト
葛丸
ほしぞらは
しづにめぐるを
わがこゝろ
あやしきものにかこまれて立つ。
賢治
2.出典
歌稿〔B〕 668
3.建立/除幕日
1994年(平成6年)5月26日 建立/6月11日 除幕
4.所在地
花巻市石鳥谷町大瀬川 葛丸ダム湖畔
5.碑について
碑になっている短歌は、賢治が盛岡高等農林学校本科を卒業して、ひきつづき研究生として稗貫郡の土性調査のために各地を歩きまわっていた頃の作です。葛丸川ぞいの山の中で野宿をしようとしている時に、詠んだ歌かと思われます。1918年、賢治が22才になる年でした。
この年の4月に友人にあてた手紙では、調査の様子について、「私ハ毎日摂氏〇度ノ渓水ニ腰迠浸ッテヰルノデス。猿ノ足痕ヤ熊ノ足痕ニモ度々御目ニカカリマス。実ハ私モピストルガホシイトモ思ヒマシタ。ケレドモ熊トテモ私ガ創ッタノデスカラソンナニ意地悪ク骨マデ喰フ様ナコトハシマスマイ。」などと書いています。
山歩きには慣れていたさすがの賢治でも、恐怖をおぼえることがあったようです。
歌の中の「あやしきものにかこまれて」という部分は、闇の中にこのような動物たちの気配を実際に感じていたのかもしれませんし、なにかそれ以外の、もっと「あやしきもの」を感じていたのかもしれません。それまでの短歌でも、たとえば「うしろよりにらむものありうしろよりわれらをにらむ青きものあり」などのように、賢治独特の幻覚に近い感受性が表現された作が、いくつかありました。
この頃の土性調査行を題材にしたと思われる童話「楢ノ木大学士の野宿」においては、第一夜の野宿の場所は、「葛丸川の西岸」とされていました。大学士は、野宿の三晩のあいだに、周囲の山々や岩石などがおたがいにかわすユーモラスな会話を聴きますが、まさに自分をかこむ自然そのものを、あやしい不思議な存在として体験したわけです。
おそらく、葛丸川で上記の短歌を詠んだ夜の経験が、後にこの童話として結実したのかと思われます。
引用した手紙のように、賢治は連日にわたってかなり身体を酷使して調査を進めましたが、この年の6月に「肋膜」(結核性胸膜炎)の疑いが出て、翌月には高等農林学校の実験助手をやめることになっています。
歌碑は、石鳥谷の町から葛丸川に沿って10kmほどさかのぼったところの、葛丸ダムのたもとに建っています。碑身は美しい石でできていますが、賢治の作品にもしばしば登場する「
葛丸ダム