「雁の童子」における転生経過

 先日花巻で行われた「宮沢賢治研究発表会」において、鈴木健司さんが「「雁の童子」論 ─ミーラン第3、5寺壁画と絡めて─」という発表をされました。この中で鈴木さんは、「雁の童子」の終わり近くで、童子が須利耶圭に対して言う「私はあなたの子です」との言葉について、

① 雁の童子は前々世において、絵師であった須利耶圭の実の子だと言った

② 雁の童子は現世における育ての親である須利耶圭に対し、あなたの子と言った

という、二種類の解釈の可能性を指摘されました。
 ①であれば、現世で雁の童子の養父である須利耶圭は、過去世においては実父だったということになるのに対して、②であれば、童子は須利耶圭が現世で養父であるということを、あらためて言ったにすぎない、ということになります。
 今日はこの問題について、考えてみたいと思います。

 ところでその考察のためには、この物語の中で雁の童子や須利耶圭が輪廻転生を繰り返している経過がけっこう複雑そうですので、その過程の整理から行ってみます。

 まず、「雁の童子」の物語の初めの方で、童子が登場する場面です。

 そのとき俄かに向ふから、黒い尖った弾丸が昇って、まっ先の雁の胸を射ました。
 雁は二三べんらぎました。見る見るからだに火が燃えだし、世にも悲しく叫びながら、落ちて参ったのでございます。
 弾丸が又昇って次の雁の胸をつらぬきました。それでもどの雁も、遁げはいたしませんでした。
 却って泣き叫びながらも、落ちて来る雁にしたがひました。
 第三の弾丸が昇り、
 第四の弾丸が又昇りました。
 六発の弾丸が六疋の雁を傷つけまして、一ばんしまひの小さな一疋丈けが、傷つかずに残ってゐたのでございます。燃え叫ぶ六疋は、悶えながら空を沈み、しまひの一疋は泣いて随ひ、それでも雁の列は、決して乱れはいたしません。
 そのとき須利耶さまの愕ろきには、いつか雁がみな空を飛ぶ人の形に変って居りました。
 赤い焔に包まれて、歎き叫んで手足をもだえ、落ちて参る五人、それからしまひには只一人、まつたいものは可愛らしい天の子供でございました。
 そして須利耶さまは、たしかにその子供に見覚えがございました。最初のものは、もはや地面に達しまする。それは白い髭の老人で、倒れて燃えながら、骨立った両手を合せ、須利耶さまを拝むやうにして、切なく叫びますには、
(須利耶さま、須利耶さま、おねがひでございます。どうか私の孫をお連れ下さいませ。)
 もちろん須利耶さまは、馳せ寄って申されました。(いゝとも、いゝとも、確かにおれが引き取ってやらう。しかし一体お前らは、どうしたのだ。)そのとき次々に雁が地面に落ちて来て燃えました。大人もあれば美しい瓔珞をかけた女子おなごもございました。その女子はまっかな焔に燃えながら、手をあのおしまひの子供にのばし、子供は泣いてそのまはりをはせめぐったと申しまする。雁の老人が重ねて申しますには、
(私共は天の眷属でございます。罪があってたゞいままで雁の形を受けて居りました。只今報ひを果しました。私共は天に帰ります。たゞ私の一人の孫はまだ帰れません。これはあなたと縁のあるものでございます。どうぞあなたの子にしてお育てを願ひます。おねがひでございます。)と斯うでございます。
 須利耶さまが申されました。
(いゝとも。すっかり判った。引き受けた。安心して呉れ。)
 すると老人は手を擦って地面に頭を垂れたと思ふと、もう燃えつきて、影もかたちもございませんでした。

 童子とその祖父や母親たちが、雁の姿で空を飛んでいたところ、童子を除く六羽が鉄砲で撃たれました。撃たれた六羽は、まずは雁の姿のまま焔に包まれて燃え、途中で空を飛ぶ人の姿に変わって、地上に到達します。童子は撃たれませんでしたが、やはり地面に落ちて「可愛らしい天の子供」の姿になります。
 そしてその中の白い髭の老人が言うには、彼らは「天の眷属」だが罪のために雁の形になっていて、童子を除く6人は報いを果たして天に帰るが、童子だけはまだ帰れないので、須利耶圭に養父となってくれというのです。

 ここで、雁の姿をしていた7人は「空を飛ぶ人の形」に変化しています。「人の形」とは言っても、老人は「私共は天の眷属」と言っており、その中の女性は「美しい瓔珞」をかけていますし、「私共は天に帰ります」と言って姿を消すのですから、雁から姿を変えた後の彼らは、「人間」ではなくて「天人」だったということがわかります。

 それでは、彼らが「雁」から「天人」の形に変わったのは、いったいどういう種類の現象だったのでしょうか。

 この「変身」の様子を見ると、雁が撃たれて燃えながら落ちる途中に姿が変わっていますから、これは何らかの「魔法」の力によるものではないかと、まずは思われます。
 もしも輪廻転生によって雁から天人になるのであれば、いったん雁としては死んで、その後あらためて天界に生まれるというのが、本来の仏教の教理に従った形だと思います。
 ところが彼らは、いったん雁としては燃えて死んだのかもしれませんが、その場ですぐに、大人の天人の姿に変わっています。これは、「死後に天界に転生した」という形には見えません。
 すなわち、彼らは天人として罪を犯したために、死なずにそのまま魔法で雁の姿に変えられ、その報いが果たされたので、ここでもまた死なずにそのまま天人に戻った、という現象だったのではないかと思われるのです。

 しかし物語中には、上記の解釈では理解できない箇所が出てきます。上記引用の少し後で、須利耶圭は童子に対して次のように言うのです。

(お前は今日からおれの子供だ。もう泣かないでいい。お前の前のお母さんや兄さんたちは、立派な国に昇って行かれた。さあおいで。)

 須利耶圭が「お前の前のお母さん」と言っているのは、引用箇所中の「美しい瓔珞をかけた女子おなご」のことでしょう。「その女子はまっかな焔に燃えながら、手をあのおしまひの子供にのばし、子供は泣いてそのまはりをはせめぐった」というのですから、この二人は母子だったに違いありません。
 この、天に昇った童子の母親のことを、須利耶は「お前の前のお母さん」と呼んでいるのです。
 「前のお母さん」とは、「前世のお母さん」ということではないでしょうか。

 もしも「前世のお母さん」ではないとすると、その解釈の一つの可能性として、童子の養母となる須利耶圭の妻のことを「今のお母さん」と位置づけ、それと対比する意味で実母のことを「前のお母さん」と呼ぶ、ということがありえるかもしれません。
 しかしよく考えてみると、やはり養父が養子に対して、実母のことを「前のお母さん」と呼ぶというのは、どうしても不自然です。実母はあくまでも、「本当のお母さん」でしょう。
 そうなると、やはり「前のお母さん」とは、「前世のお母さん」と考えるしかないようです。

 鈴木健司さんとアスィエ・サベル・モガッダムさんの共著の「宮沢賢治テクストにおける「前のお母さん」に関する一考察」(『賢治研究』138号, 2019)においても、「ひかりの素足」で「大きな人」が楢夫に「お前の前のお母さんを見せてあげよう」と言う場面を取り上げ、家で楢夫を待っている母親のことを大きな人が「前のお母さん」と呼んでいるのは、この時点で既に楢夫は死んでおり、天界の存在として生まれ変わっているので、その母はもう「前世の母」にになってしまっているからだと、著者らは解釈しています。
 ここでもやはり、賢治の言う「前のお母さん」は、「前世のお母さん」なのです。

 ということは、童子にとっては「雁」の姿だった状態は「前世」であり、彼はこの日いったん雁としては死んで、人間として新たに生まれたのだ、ということになります。雁→人間の変身は、魔法によるものではなく、輪廻転生だったのです。
 これは、通常の輪廻転生の形態とはかなり異なっており、童子はこの世に赤ん坊として生まれてきたのではなく、いきなり人間の子供の姿で、登場してきたわけです。

 そうであれば、雁の姿だった老人や女性が、銃で撃たれて天人の姿に変わったのも、童子と同じく輪廻転生だったと解釈しなければならないでしょう。彼らは、大人や老人の姿で、天人として誕生したのです。
 そして、雁→天人の変身が輪廻転生なのだとしたら、その前の「罪があってたゞいままで雁の形を受けて居りました」というのも、天界から畜生界への輪廻転生だったと解釈しないと、一貫性がなくなります。

 つまり、老人たちは、天→畜生→天、という輪廻を経たわけであり、童子の方は、天→畜生→人間→天、という輪廻を経験したことになります。

 そうすると、現世における童子の養父母は須利耶夫妻であるのに対して、では童子のこの世の実父母はいったい誰なのか、という問題が生じてしまいますが、この問題はこれ以上追わずにおくことにします。

 以上が、「雁の童子」の物語冒頭における転生の概要ですが、次に物語の最後の場面で、倒れた童子が明らかにする過去世の因縁と転生経過について、見ておきます。

 童子と須利耶夫妻が暮らす沙車の町はずれで、昔の寺院跡が発掘され、三人の天童子が描かれた立派な壁画が見つかったと聞いて、須利耶圭と童子は出かけて行きます。以下、少し長くなりますが、童子がこの世を去るまでの様子です。

 そしてお二人は町の広場を通り抜けて、だんだん郊外に来られました。沙がずうっとひろがって居りました。その砂が一ところ深ふかく掘られて、沢山の人がその中に立ってございました。お二人も下りて行かれたのです。そこに古い一つの壁がありました。色はあせてはゐましたが、三人の天の童子たちがかいてございました。須利耶さまは思はずどきっとなりました。何か大きな重いものが、遠くの空からばったりかぶさったやうに思はれましたのです。それでも何気なく申されますには、
(なる程立派なもんだ。あまりよく出来てなんだか恐いやうだ。この天童はどこかお前に肖てゐるよ。)
 須利耶さまは童子をふりかへりました。そしたら童子はなんだかわらったまゝ、倒れかかってゐられました。須利耶さまは愕ろいて急いで抱き留められました。童子はお父さんの腕の中で夢のやうにつぶやかれました。
(おぢいさんがお迎ひをよこしたのです。)
 須利耶さまは急いで叫ばれました。
(お前どうしたのだ。どこへも行ってはいけないよ。)
 童子がかすかに云はれました。
(お父さん。お許し下さい。私はあなたの子です。この壁は前にお父さんが書いたのです。そのとき私は王の……だったのですがこの絵ができてから王さまは殺されわたくしどもはいっしょに出家したのでしたが敵王がきて寺を焼くとき二日ほど俗服を着てかくれてゐるうちわたくしは恋人があってこのまゝ出家にかへるのをやめやうかと思ったのです。)
 人々が集まって口口に叫びました。
(雁の童子だ。雁の童子だ。)
 童子はも一度、少し唇をうごかして、何かつぶやいたやうでございましたが、須利耶さまはもうそれをお聞きとりなさらなかったと申します。

 黄色マーカーを付けた箇所が、鈴木健司さんが問題にされている童子の言葉です。

 須利耶圭が、出土した古い壁画に描かれた天童子を見て、その様子が雁の童子に似ていると童子に言った時、童子は倒れかかって「おぢいさんがお迎ひをよこしたのです」と言い、続けて「お父さん。お赦し下さい。私はあなたの子です。この壁は前にお父さんが書いたのです」と、語り始めます。
 そして、壁画制作後まもなく、敵の侵略によって王が殺されて童子は出家し、敵王の捜索を逃れるために俗服を着て隠れ、さらに童子には恋人がいたので出家に戻るのをやめようか迷った、という細かい経緯が明かされます。

 この部分に関して、童子は出家の身でありながら恋人がいたことや、そのため出家に戻るのを迷ったことが、後に童子たちが雁の姿に変えられてしまう原因となった「罪」である、という解釈がなされることがあります。たとえば宮澤哲夫氏は、『宮澤賢治 童話と〈挽歌〉〈疾中〉詩群への旅』において、次のように述べておられます。

 もし贖罪に値する罪があるとすれば、恋情のために信仰を棄てるというこの最後の部分でしかありえない。ここで原稿用紙一四葉の右側外の赤インクの書き込み「童子の十六の恋を記せ」を想起すると、作者は宮廷に仕えていた童子を一六歳に想定していたようだ。すると、一六歳の少年の背信の罪によって、一族の全てが罪を得て雁の姿となって天上から追放されたということになる。厳しい定めではあろうが、それが童子の背負った宿命と思われるのである。(上掲書p.78)

 しかし、冒頭の老人の言葉によれば、童子たちは「天の眷属」であった時に何らかの罪を犯して、雁に変えられてしまったのです。
 これに対して、童子が「お父さんが書いた」と言う壁画は、天ではなくこの地球における人間界の地下から、掘り出されたのです。天界は、その最下層の「四大王衆天」でも「地上三万由旬」の高さにあるとされており(『国訳阿毘達磨倶舎論』)、1由旬は一説には7kmと言われていますので、地上21万kmの高層に位置します。他の天はさらに高いところにありますが、このような遙か天空で描かれた壁画が、人間界の地下から出土するとは考えられません。
 さらにまた、敵の王が攻めてきてこちらの王を殺すなどという戦闘や殺戮も、天界において天人同士の間で行われるはずがありません。天界には、快楽しか存在しえないのです。

 したがって、須利耶圭の過去世の者が天童子の壁画を描き、戦争で王が殺され、童子の過去世の少年が出家したり恋人があったりしたというのは、すべて「人間界」における出来事だったはずです。
 童子が語ったような、壁画作成や戦争などの出来事があった後、どのような過程があったかはわかりませんが、その後いずれかの時点で童子は天界に転生し、そこで何かの「罪」があって、祖父や母親らと一緒に、さらに雁の姿へと転生することになったのだと考えられます。

 ここで、天の童子の壁画が描かれた時代と、須利耶圭が童子を育てていた時代との間に、どのくらいの時間経過があったのか考えてみましょう。
 「雁の童子」の物語の中で発掘される天童子の壁画は、鈴木健司さんをはじめ様々な研究者によって、ミーラン第三寺址および第五寺址から出土した、「有翼の天使像」をモデルにしたものと考えられています。このミーラン遺跡の天使像は、紀元3世紀頃に描かれたものと推定されています。

 一方、「雁の童子」の冒頭では、須利耶圭の従弟が、鉄砲で次々と6羽の雁を撃ち落とします。このように連続して発射できる様子からすると、これは火縄銃のように一発撃つたびに火薬や銃弾を詰める型式ではなく、連発式の銃だと思われます。実際に物語中でも、「あとで従弟さまの申されますにはその鉄砲はまだ熱く弾丸は減って居り……」と描写されていますので、やはり連発銃と考えられます。
 火縄銃が発明されたのは、15世紀のヨーロッパですが、連発銃が実用化されたのは、1860年代のアメリカで、南北戦争の時だったということです。
 つまり、須利耶圭の従弟が雁を撃ったのは、どんなに早くとも1860年代以降ということになります。オーレル・スタインがミーラン遺跡の発掘調査をするのは1907年からですから、物語中で壁画が発見されるのも、この時代をイメージしているのかもしれません。

 いずれにせよ、須利耶圭の過去世の者が天童子の壁画を描き、童子の過去世の者が恋をした時から、須利耶圭が雁の童子に出会うまでの間には、少なくとも1600年ほどの歳月が流れていたということになります。
 これは、人間にとっても、雁のような動物にとっても、何十世代を重ねる時間に相当します。

 ……ということで、以上で検討した「雁の童子」「童子の祖父」「須利耶圭」の転生経過を図にすると、下のようになります。

20241006c.png

 青の線が童子を、緑の線が須利耶圭を、茶色の線が童子の祖父を、表しています。
 左の端で、人間界において青と緑の線が並んでいるのが、須利耶の過去世の者が天童子の壁画を描いた時代です。童子の「私はあなたの子です」という言葉を、実の親子という意味に解すれば、この時代に二人は、実の父と子の関係だったことになります。父子でなかったとしても、同じ王の治世に、同じ町で暮らしていたのです。

 その後の二人の転生経過は不明ですが、童子はある時期に天に生まれたはずです。そして、そこで祖父だった者や母親らと一緒に、何らかの罪で畜生界に堕ち、雁になってしまいます。

 それからどれほどの時間を、彼らは雁として飛び続けたかはわかりませんが、童子の祖父は、「からだに弾丸を七つ持ってゐた」ということですから、様々な苦難を乗り越えてきたのでしょう。

 そんなある日、祖父や母親は須利耶圭の従弟に銃で撃たれて、天界に戻っていきます。童子は、人間の子供となって須利耶圭に育てられ、天童子の壁画が出土した後、また天に帰るのです。

 以上の経過のうちで、「雁の童子」という物語の主要部分は、右端の方のピンクの色を付けた部分で、全体像の中ではごく一部です。
 過去世で壁画が描かれた時代からは、上で見たように1600年以上の時間が経過しているわけですが、このような悠久の時間を背後に秘めていることによって、物語の壮大さが醸し出されています。

 さて、冒頭にご紹介した、「私はあなたの子です」という童子の言葉をめぐって、鈴木健司さんが提出された解釈の問題については、どう考えることができるでしょうか。
 鈴木さんご自身は、この言葉を②の意味に、すなわちこれは童子が須利耶圭に対して、「私は現世におけるあなたの育ての子です」と言ったのだと解釈しておられます。そんなことは須利耶圭にとってわかりきったことであるのに、なぜ童子は今さらここで養父に向かって言ったのか、ということが問題でしょうが、その前の「お父さん。お許し下さい」という言葉に続けて、童子は「これから私は天に帰りますが、それでも私はあなたの子であり続けます」という、養父を深く思う気持ちを伝えようとしたのだと、考えられるかもしれません。

 これに対して①の解釈は、「私はあなたの子です」に続く、「この壁は前にお父さんが書いたのです」という言葉との連続性を、重視していると言えるでしょう。過去世において、私はあなたの子であり、まさにその時お父さんが壁画を描いたのだ、と理解するわけです。
 こちらの解釈の方が、よりドラマチックですし、冒頭部分で「須利耶さまは、たしかにその子供に見覚えがございました」と語られたり、老人が童子について「これはあなたと縁のあるものでございます」と言ったり、最後に壁画を見た須利耶が「この天童はどこかお前に肖てゐるよ」と言ったりしていることが、すべて伏線として回収されることからしても、一般に多くの人はこちらの読みを採用しているようです。

 鈴木健司さんが、①の解釈の方を採られる理由としては、老人の「これはあなたと縁のあるものでございます」という言葉に比して、実の親子というのは「縁が濃すぎる」ように感じられるというのが一つ、それからもう一つには、絵師である須利耶圭の過去世と童子の過去世が親子だったと考えるよりも、童子の過去世は王族の一員だったと考える方が、この物語全体を「貴種流離譚」として読む解釈が成り立ちやすい、という事情があるようです。

 しかし、上の図に見るように、天童子の壁画が描かれた時代に二人が親子だったとしても、それから1600年以上の年月が経ち、その間には須利耶圭も何十回も様々な転生を重ねたでしょうし、童子も天に生まれたり雁になったりしているのですから、はるか昔の親子の縁は、かなり「薄まって」いるのではないかと、私には感じられます。
 また、過去世で童子と絵師が親子であっても、その後に童子は天に生まれて「貴種」となり、その時の罪によって「流離」するのですから、「貴種流離譚」は十分に成立すると思われます。

 ということで、私としては、②の「童子と須利耶圭は過去世において実の父子だった」という方の解釈を、採りたく思います。

 ただし、賢治が残した「雁の童子」草稿の題名わきには「未定稿」と記されており、文中にも「Episode 間を一の美しい女性によって連結せしめよ!」とか「近代的の淡彩を施せ」などの書き込みがあり、冒頭で雁の老人が物語る場面にも、「この分を夢とするか否や?」と記されています。これは物語としては、まだまだ未完成な部分が相当残っていたのではないかと思われるのです。
 童子が、「そのとき私は王の……だったのですが」と述べる部分の「……」の残存も、その未完成性のためではないかと思われますし、ここで童子が「俗服を着て隠れていた時に恋人がいて、出家に戻ることを躊躇した」ことが、何か意味ありげに書かれているために、これがあたかも雁に転生させられる原因となった「罪」であるかのように読めてしまうところも、整理がしきれていないように感じられます。この部分が、天界の出来事ではなく人間界のことと推測されるのは上で確認したとおりですが、ひょっとしたら賢治自身、この箇所の舞台が天界なのか人間界なのか、十分区別せずに書いていたのかもしれないとも思ったりします。

 しかしこのように、物語が整理されない謎を孕んだままで提示されているところも、あたかも遺跡から発掘された古い文書のように、お話に神秘的な雰囲気を添えてくれている面があるようにも感じます。

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ミーラン遺跡出土の有翼天使像(Wikimedia Commonsより)