「ツェ」ねずみとグリム童話

 賢治の童話「「ツェ」ねずみ」は、主人公の徹底的な憎ったらしさとともに、その細部の描写が何とも魅力的で、読んでいると思わず頬が緩んできます。

 天沢退二郎さんが『新修全集』の解説に書いておられるように、ねずみの通り道に「床下街道」という名前が付いていたり、金平糖を護衛する蟻が「四重の非常線を張って」いたりする様子も微笑ましいですし、いたちの「ちゃうど、たうもろこしのつぶを、歯でこつこつ噛んで粉にしてゐました」といった律儀な日常や、そのいたちが急にツェねずみに責められると、「たしかにあったのや」とか「おまへの行きやうが少し遅かったのや」などと、なぜか関西弁のような口調になるのも、可愛らしいです。
 「償ふて下さい。償ふて下さい。」というあの連呼は、子供の頃に初めて読んだ時にはよくわからず不思議な響きで、ずっと印象に残りました。

 ところで、このいかにも賢治らしくて面白いお話は、その構造においては、グリム童話の「狼と狐」と、ぴったり重なり合うのではないかと思うのです。

 ドイツ・ヘッセン州に伝わるという「狼と狐」のあらすじは、下記のとおりです。(Wikipekia「狼と狐」より)

 狐より強かった狼は狐を家来にしていた。しかし、狐は狼と手を切りたくて仕方がなかった。

 ある日、狼は「赤狐、なにか食べるものを持ってこい。さもないとお前を食べるぞ」と言った。狐は「近くの農家に子羊が2匹いるから、それを1匹頂きましょう」と言った。狐は子羊を1匹盗みだして狼に渡した。狼はその子羊を食べたが、それだけでは足りず、もう1匹の子羊を食べようとしたが失敗して、百姓に容赦なく殴られた。狼は失敗して殴られたことについて狐に文句を言った。それに対して狐は「どうしてあんたは、そう意地が汚いのです」と答えた。

 あくる日、狼はまた「赤狐、なにか食べるものを持ってこい。さもないとお前を食べるぞ」と言った。狐は「私が知っている農家のおかみさんがパンケーキを今晩焼きます。それを頂きましょう」と言った。狐は家に忍び込んでパンケーキを6枚持ってきて狼にあげた。しかし、狼はそれだけでは足りずに残りのパンケーキを食べるために忍び込んだが失敗して、狼は力の限り殴られた。狼は失敗して殴られたことについて狐に文句を言った。それに対して狐は「どうしてあんたは、そう意地が汚いのです」と言った。

 三日目に狼は「狐、なにか食べるものを持ってこい。さもないとお前を食べるぞ」と言った。狐は「私の知っている男が家畜を殺して、塩漬けにした肉が入った樽を地下室においています」と言った。狼と狐は地下室に入り、塩漬けの肉を食べた。その間、狐は食べながらあたりを見渡し、入ってきた穴を通れるか試していた。狐がそんなことをしている間も狼は食べ続けた。そうこうするうちに、百姓が狐の飛び跳ねる音に気づき、地下室にやって来た。狐は一目散に穴から逃げ、狼もその穴から出ようとした。しかし、狼は食い過ぎで腹が膨らみ、穴を通り抜けることが出来ず、百姓に打ち殺された。

 狐は狼が死んだことで意地汚い古なじみと手が切れたことを喜んだ。

 狼は、いつも狐のおかげで食べ物にありつくのですが、毎回欲を出してはへまをしでかし、痛い目に遭います。本来なら、狼は狐に感謝すべきところなのに、自分がドジを踏んで失敗するたびに、理不尽にも狐のせいにして責めるのです。
 上のあらすじでは「狼は失敗して殴られたことについて狐に文句を言った」とあるだけですが、岩波文庫版(金田鬼一訳)によると、狼が1日目に狐を責めた言葉は、次のようになっています。

「このやろう、えらくだまくらかしゃがったな」と、狼が言いました、「もう一ぴきの子羊をとってこようと思ったら、百姓どもがおれをふんづらめえて、綿みてえにぶちのめしゃがった」(岩波文庫『完訳 グリム童話集2』p.358)

 また、2日目も失敗した狼は、次のように狐に八つ当たりします。

「てめえ、おれをひでえだましかたしゃがったな。百姓めら、おれをとっつらめえて、おれの生皮を、なめし皮にしゃがった」と、狼がどなりつけました(岩波文庫『完訳 グリム童話集2』p.359)

 狼は自分の失敗を棚に上げて、何の落ち度もない狐のせいにするのです。

 このように狼が、とことん他罰的であるところは、ツェねずみも全く同じです。

「いたちさん。ずゐぶんお前もひどい人だね、私のやうな弱いものをだますなんて。」

「柱さん。お前もずゐぶんひどい人だ。僕のような弱いものをこんな目にあはすなんて。」

 狼もツェねずみも、自業自得である失敗を、「相手が自分をだましたのだ」と無理矢理こじつけて逆恨みし、相手を責めるのです。

 そして最後には、狼もツェねずみも、因果応報・身から出た錆によって破滅を迎え、もはや逆恨みもできなくなって、読者は溜飲を下げます。

 こうして見ると、「「ツェ」ねずみ」と「狼と狐」が同じ構造をしているのは、おわかりいただけるでしょう。これほど共通点があるからには、賢治はこのグリム童話を知っていた上で、独自の形に翻案したのだろうと思います。

 ところで二つのお話において、ねずみと狼は同じような他罰性・逆恨みを呈しますが、両者の対照的な点は、ツェねずみはいつも自分が「弱者」であることを言い立てるのに対し、狼は「強者」として威張り散らしているところです。
 周囲の者にとっては、「強くて嫌な奴」ももちろん厄介だし関わりたくはありませんが、「弱くて嫌な奴」の方が、よりいっそう憎たらしくて、ムカつくのではないでしょうか。

 「嫌な奴」を狼からねずみに置き換えた賢治の心中には、こういう人間心理の洞察もあったのかもしれません。

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