佐藤通雅著『賢治短歌へ』(1)

 先月出版された、『賢治短歌へ』(佐藤通雅著,洋々社)という本を読みました。

賢治短歌へ 賢治短歌へ
佐藤 通雅(著)
洋々社 2007-05
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 著者の佐藤通雅氏は、『宮沢賢治 東北砕石工場技師論』(洋々社)によって2000年に「第10回宮沢賢治賞」も受賞された、現在の賢治研究の第一人者の一人でもいらっしゃいますが、自らが歌人としても長年活動をしてこられた立場から、賢治の短歌の全体像を展望し、またその技法や独自性を緻密に分析したのが、この本です。
 従来は賢治の短歌に関しては、「「冬のスケッチ」をへて、童話や詩へ移行していく前哨戦、すなわち文学者によくある若書きという受けとめ方が一般的だった」(本文より)のに対して、佐藤氏は、一見「恣意的で荒唐無稽」に映るこれらの短歌が、じつはきわめて特異で独創的な作品群であると認めつつ、その特徴を時系列に沿って検討していきます。そこには、短歌の技法に通じた実作者ならではの蓄積や視点が、活用されていきます。

 本書の論の中心は、「短歌は、基本的に<一人称詩>としての性格を負っている」(『作歌の現場』)という佐佐木幸綱氏による規定を出発点としつつ、結局は賢治の短歌が、その一般的な<一人称詩>からどのようにずれており逸脱しているのか、ということを明らかにしていく作業であると言えます。
 たとえばまず著者は、

ちばしれる
ゆみはりの月
わが窓に
まよなかきたりて口をゆがむる

という比較的有名な作品を引用しつつ、次のように説明します(p.15)。

 一人称詩とは、べつにいえば、作品の背後にひとりの<私>がいて、思いを叙べる詩ということだ。この定義を基本線とするなら、賢治の歌は奇妙にずれている。「ちばしれる―」には「わが窓」とあるから、一人称詩かと、はやとちりしたくなる。が、よくみると<私>の思いを叙べることには主眼がおかれていない。どちらかといえば、「まよなかきたりて口をゆがむる」月のほうが主役なのである。

 あるいは、賢治が中学2年(1910年9月)の岩手山登山の折の連作と推測される五首――著者によれば、「既成の歌観にはじまり、そこからふみはずすまでを、偶然にも順序よく並べている」――は、次のようなものです。

75 風さむき岩手のやまにわれらいま校歌をうたふ先生もうたふ。

76 いたゞきの焼石を這ふ雲ありてわれらいま立つ西火口原

77 石投げば雨ふるといふうみの面はあまりに青くかなしかりけり。

78 泡つぶやく声こそかなしいざ逃げんみづうみの青のみるにたえねば。

79 うしろよりにらむものありうしろよりわれらをにらむ青きものあり。 

これらついて著者は、まず「75、76はともにほとんど非個性的な作品である」、77も「既成歌観の文法内におさまっている作品といえばすむ」と評価して、78に進みます(p.82)。

 78になると、「かなしかりけり」のレベルから一段上昇して、火口湖の色のすごさをよりリアルに示す。ただし「いざ逃げん」は自分の思いであり、「見るにたえねば」も同様だ。一人称としての文学形式を、踏襲している。
 最後の79「うしろよりにらむものあり―」には、注目しておきたい。火口湖の青がうしろからじぶんをにらんでいる気がする、それほどの畏怖感をおぼえる―とうたっている。そう意識しているのは、いうまでもなく賢治自身だから、その意味ではやはり一人称文学の枠内にある。しかし、77や78と対比させつつみれば、作者の意識の域からはみだしてしまうなにかを感じざるをえない。「かなし」などという感傷をしりぞけんばかりに、畏怖感がおしよせはじめているからだ。作者がいて、対象があるという一人称文学の約束事が、ここにきて転倒しようとしている。
 この転倒が、文学的策略・修辞・技法となるのは、前衛短歌以降である。賢治の場合は、まったく無意識の産物だ。その無意識がどのようにして生じたのか、もういちど75から79へとよみかえしてみると、はじめの段階では作者がいて、岩手山や雲・西火口原・湖などの対象を目の前にしている。しかし77の「あまりに青くかなしかりけり」、78の「みずうみの青の見るにたえねば。」を頂点として、主役は湖自身へと移ってしまう。つまり賢治という主体は後退し、対象との同化がはじまり、ついには両者の境界は視界から消え去ってしまう。

 あと一つ引用をさせていただくと、

32 黒板は赤き傷受け雲垂れてうすくらき日をすすり泣くなり。

に対しては、

 赤い傷に痛みをおぼえたのは、なによりも賢治自身だったはずだ。しかし、ほとんど同時に黒板に感情移入してしまっている。その結果、自分と対象との境界はほとんど霧消してしまう。作者が主軸となって成立する、一人称としての文学からは、あきらかなふみはずしだ。

と述べ、「この「ふみはずし」によってこそ、賢治短歌は成立した」と、著者は言明します(p.89)。
 そしてこれこそ、この本が新たに切り拓いて私たちに示してくれた、賢治短歌に対する著者独自の観点であると言ってよいだろうと、私は思います。

 著者は引きつづき、この賢治特有の「一人称文学からのふみはずし」とはいかなるものか、粘り強く追求していきます。
 その過程では、たとえば次のような比喩も出てきます(p.106)。

 短歌が基本的に一人称形式であることは、前提としたい。主語「われ」が、明示されている場合も、省略されている場合もふくめて、一首の背後には「われ」がいる。ただし従来は、目でたとえるなら、水晶体を通過して網膜に焦点をむすぶ「われ」を、一人称と考えてきた。そこを広義にとらえたい。網膜に像を結ばず、もっと後方に結ぶ場合もありうる。それは、一見すると「われ」不在と映るが、かなたまで射程距離をのばせば、「われ」をとらえうる。
 賢治の場合、たしかに水晶体をとおりながらも、眼球内では焦点を結ばない。網膜を通過したはるかな後方に初めて焦点をみとめることができる。

 ただ、これはかなり理解が難しい「たとえ」です。著者はまるで、「網膜に「われ」の像が結ばれる」と言っているかのように読めてしまいますが、実際には網膜に像を結ぶのは、「われ」の反対側にある「対象」のはずです。「賢治の場合」に関しても、上で見たような賢治短歌の特徴(たとえば「自分と対象との境界は霧消してしまう」こと)と、「網膜の後方に焦点をみとめる」ことがどうつながるのか、いま一つピンときません。

 しかし、著者はこのような地点も越えて、<みる>という現象に注目しつつ、さらに前進していきます。
 古橋信孝という人のエッセイの中の、「(沖縄の)民族社会では、人間を植物も含めて地上の生き物全体のなかの一つとみなしているのだと思う」、「植物には目がない。目があることによって、動物は異種を見分け、区別する」という示唆を受け(p.172)、さらに佐佐木幸綱氏のエッセイにおける、「<見る>ことは、ついには、見た対象を支配下に置くか置かないか、あるいはまた、見てしまったものに対して責任をとるかとらないか、その決意、選択の場の謂だと言ってよい。表現とは<見る>ことによって生じた関係性に対する判断にほかならないのである」という主張を足がかりにしつつ(p.173)、賢治の短歌の本質に迫っていきます。

 それなら、賢治はどうか。彼には、<みる>ことによって対象を支配する発想がない。あるのは、植物的発想だ。動物的な目をもたないから、網膜に焦点を結ぶことをせず、したがってえたいのしれない一人称となっていたのではないか(p.174)。

 宮沢賢治もまた、山を、川を、空を、空のはてをみる。周辺のあらゆるものをみている。だのに、<みる>能動性からは奇妙にずれている。対象を支配下におく発想がはじめから脱落しているためであり、異種として区別しないためでもある。だから、彼の取り上げる山にも川にも木にも雲にも、<われ>から独立した魂が生じ、それ自体が自在に活動する。私たちは、そこに賢治のアニミズムをみてきた(p.177)。

 (賢治は)<みる>以前に<みる>を放棄し、「地上の生き物全体のなかの一つ」に身をおいているからだ。賢治においては、坂も丘も、その他あらゆる自然物も、「生き物」であることを保証されている。
 一人称詩型として、奇妙なずれのある理由がやっとみえてきた。前衛短歌は、近代以後、一人称であるために狭小化した形式を乗り越える方法として、多様な<われ>を設定した。仮構としての、劇としての<われ>を取り込むことによって、格段の自由をえたともいえる。賢治の歌も、そこにいて交叉が可能になった。しかし彼の<われ>の多様性は、方法としてでなく、<われ>そのものを他とおなじ位置に解消させるところに成立するものだった(p.180)。

 こういうわけで、賢治短歌の奇妙さの由来を技法的未熟さにもとめるのは、まったく当をえていない。一人称詩型をとりながらも、一人称を解体したがる無意識の欲求が結果させているとみるべきだ。それを<超一人称>の方向といっておきたい(p.186)。

 賢治のアニミズム的傾向に関する説明、また賢治の世界観が基本的に、「<われ>そのものを他とおなじ位置に解消させる」側面があることについては、私も著者の上の説に、まったく賛成です。
 そして、短歌の分析から導かれたこの論が意義深いのは、この見方は次の時代に賢治が創作する「心象スケッチ」にも、ほぼ同様にあてはまるというところにあります。「賢治という主体は後退し、対象との同化がはじまり、ついには両者の境界は視界から消え去ってしまう」=「自分と対象との境界はほとんど霧消してしまう」=「<われ>そのものを他とおなじ位置に解消させる」・・・、様々な表現で述べられているように、「自」と「他」の境界が曖昧になり、ついにはそれを「一体」としてとらえたものが、賢治の言うところの「心象」だったのです。
 もちろん著者も、その点を指摘しておられます(p.60、p.85)。


 引用が非常に多くなって申しわけありませんでしたが、以上で『賢治短歌へ』という本全体の、5分の3くらいまできたところです。
 次回には、この本を読んでいる時にちょっと思いついた、賢治の「心象」という知覚形態を理解するための一つのモデルについて、書いてみたいと思います。

[ つづく ]