賢治の貴種流離譚

 折口信夫は、日本の神話や民話、物語などの構造を特徴づける一つの原型として、「貴種流離譚」という形を取り出してみせました。
 これはもともとは、天上界で罪を犯した幼い神が、天を離れて人間界に流れ込み、辛苦を味わった後に人間としての死に至り、再び神界に転生するという神話の形式です。「竹取物語」において、かぐや姫が天上で罪を作ったために地上の竹の中に生まれ落ち、この世でさまざまな経緯があった後、また月の世界に帰ってしまうという筋書きはその典型ですし、折口はまた「源氏物語」の「須磨」「明石」の巻で、禁断の恋を犯した光源氏が、都を離れて辺境で流謫の身となり、「澪標」の巻でまた都に返り咲くというストーリーも、その例として挙げています。
 貴種流離譚という説話構造のパターンは、「山椒大夫」「愛護若」「小栗判官」など中世に起こった説経節においても、広く用いられるものになっていきますし、さらに折口は「義経記」で、源義経という若きヒーローが兄頼朝によって都を放逐され、弁慶とともに諸国を放浪するという話が、広く民衆に愛好されていく背景にも、貴種の流離という「型」を見てとります。

 折口が取り出した貴種流離譚の典型においては、主人公は「おさがみ」という言葉のように、年は若く何らかの高貴な性質を帯びており、それがある種の罪や不遇のために理不尽な環境に追いやられますが、そこで出会った「はぐくびと」によって守られ、世話をされます。主人公はそこで、無力な存在として苦労を重ねた後に、死を迎えて転生するか、あるいはただちに神として昇天する、という結末に至ります(折口信夫「小説戯曲における物語要素」,『日本文学の発生 序説』所収)。

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 さて、このような枠組みをもとにして考えてみると、例えば賢治の童話「雁の童子」は、典型的な「貴種流離譚」の形をとっていることがわかります。
 物語の初めの方で、撃ち落とされた雁から人間の姿になった老人は、死ぬ間際に次のように言います。

 (私共は天の眷属でございます。罪があってたゞいままで雁の形を受けて居りました。只今報ひを果しました。私共は天に帰ります。ただ私の一人の孫はまだ帰れません。これはあなたとは縁のあるものでございます。どうぞあなたの子にしてお育てを願ひます。おねがひでございます。)

 このようにして、老人から依頼を受けた須利耶圭は「雁の童子」を育て、時々まるで大人のようなことを言う童子の様子に驚き、一種の畏敬の念も抱いていきます。
 そして、都の郊外の廃寺跡から天童子の壁画が掘り出された年の春、雁の童子に「お迎ひ」が来て、この世での生を終わるのです。

 つまりこの童話は、幼い高貴な童子とその罪による降下、「育み人」の登場、この世での生涯と天への帰還という型に則っており、まさに「貴種流離譚」のお手本のような構造を備えているわけです。
 そこで、気をつけて賢治の他の作品を見てみると、例えば「双子の星」において、チュンセとポウセは彗星に騙され(しかし王様の許可なくお宮を離れたということにおいては罪を犯し)、海の底に落とされて、ひとでになってしまいます。そこで二人は、他のひとでたちに馬鹿にされたり、鯨に呑まれそうになったりというような目に遭うのですが、最後には海蛇の王様に助けられ、竜巻に乗って天上への帰還を果たします。
 これも、「貴種流離譚」の一例と言えるでしょう。

 また「サガレンと八月」は、途中までしか書かれていない未完の断片ですが、主人公タネリは、くらげを透かして見てはいけないという母親の禁制を破ったために、犬神によって海底に拉致され、そこで苦難が始まるというところで中断しています。普通の男の子と思われるタネリは「貴種」とは言えませんが、連れ去られていく途中で、「ああおいらはもういるかの子なんぞの機嫌を考えなければならないようになったのか」と思って涙し、小さな蟹の姿にされてしまうところなどは、明らかに彼の運命が「没落」であり「流離」であることを示しています。罰によって垂直に下降するこのような動きは、貴種流離譚に特徴的と感じられます。
 そしてもしも、賢治がこの作品を中断せずに終わりまで書いていたら、最後にはタネリは何らかの形で地上に帰還できたのではないかと私は想像しているものですから(「「サガレンと八月」の続き」参照)、そうなればこの物語は、めでたく貴種流離譚として完成するのです。

 さらに、このように貴種流離譚として不完全な形のものも含めて考えていくならば、私としては「貝の火」も気になってきます。
 主人公のホモイは、もとは無邪気な兎の子供でしたが、身を挺してひばりの子供を助けたために、鳥の王から宝珠を贈られ、いったんはすべての動物たちから尊敬される存在になります。しかし、徐々に慢心したホモイは、他の動物をいじめたり、しまいには狐に騙されて鳥を捕まえる片棒をかつぐという愚行に走ったために、宝珠は砕け、さらに失明するという罰も受けてしまいます。
 お話としてはここで終わるのですが、ここまでの筋書きを通覧すると、ホモイという元来は無垢で献身的な子供が、その尊い行いにより敬われる身分(=貴種)になったものの、まもなく「罪」を犯してしまったためにその地位を剥奪され、さらに「光のない世界」に追放されるという形になっており、これはまさに「貴種の流離」という構造にほかなりません。完成された「貴種流離譚」となるためには、この後の主人公の遍歴や帰還が必要となりますが、「貝の火」という物語は、その前半部の断片と考えてみることも可能なのです。

 ところで「貝の火」を読む多くの人は、ホモイが受ける罰の苛酷さに恐れおののくとともに、一種の理不尽さも感じるのではないでしょうか。確かにホモイがやったのは愚かで悪いことであり、彼が宝珠を持つ資格はないとしてそれを失うのは当然の報いだとしても、しかしまだいたいけない子供の両目までつぶさなければならない道理が、はたしてあるのでしょうか。
 この問題については、これまで様々な解釈がなされてきたと思いますが、ここで私が思うのは、もしもこの「貝の火」という童話が、全体としては貴種流離譚を成す「大きな物語」の、始まりの部分であると考えれば、この理不尽さも納得できるのではないか、ということです。
 「サガレンと八月」でも、タネリが禁忌を破ったために哀れな蟹に変えられて、チョウザメの下男になるという現存部分だけ終わっては、あまりに理不尽で救いのないお話ですが、私たちはこれが未完のものだと知っており、まだこの後には何か続きがあると思うので、特に違和感を覚えないのです。
 また「雁の童子」でも、前々世の童子が敵の王に殺され、その際に出家の身でありながら恋をしたたという「罪」のために次世では雁として生まれ、そして空を飛んでいたら自分以外の眷属全員が人間によって突然撃ち殺され、天涯孤独になってしまったというところで終わっていたならば、これほど理不尽な話はありません。しかし実際には、その後の須利耶圭との出会いと、短いけれども意味の深い日々の暮らしがあり、「おぢいさんがお迎ひをよこしたのです」に続く童子の最期の言葉があったおかげで、これは宝石のように美しく完成した作品となっているのです。

 すなわち、「貝の火」においても、お話が終わった後のホモイは、ハンディキャップを背負ってきっと様々な困難に立ち向かわざるをえないでしょうが、しかし彼が毅然と生きて命を全うし、そしてその死の間際には、あの幼い日の罪について、雁の老人のように「只今報ひを果しました」と言うことができたならば、そこで大きな円環が閉じたと感じられるでしょう。
 つまり私が思うのは、「貝の火」という物語は、読む者がその後のホモイの生の厳しさと、しかしなおそれを引き受けて生きていく彼の勇気とを想像することによって、はじめて理不尽ではない均衡を保つことができるのではないか、ということです。

 ということで、以上のように賢治の作品の中には、「貴種流離譚」という視点でとらえられるものがいくつかあると思うのですが、しかしはたして賢治自身は、そういう「型」というものを意識して、創作をしていたのでしょうか。
 折口信夫が、「貴種流離譚」という概念を提唱しはじめたのは大正時代の中頃で、1918年に発表した「愛護若」という論文において、この説経節を天皇や親王の流離譚と比較検討したあたりが、最初期の論及かと思われます。これは、賢治が童話の創作を始めるよりも早い時期ですから、理屈としては、賢治がこのような「型」を知った上で童話を構想したということも、考えられなくはありません。
 しかし、当時の賢治の関心領域に「折口信夫」という名前など全くなかったように思いますし、所蔵していた本や彼の残したメモ類にも、こうした分野と関連するものは見当たりません。すなわち、賢治が「貴種流離譚」などという概念を下敷きにして童話を書いたという可能性は、棄却してよいように思われます。おそらく彼は、幼い頃から接してきた様々な物語や説話の中から、無意識のうちにこのような「型」を体得し、それが自然に創作に反映していったのでしょう。

 ただ、上に見たように「雁の童子」や「双子の星」といった賢治の重要な作品に、そして部分的な形ではさらに「貝の火」や「サガレンと八月」にも、共通した一つの「型」が読みとれるということは、彼がこの原型に対して何かひそかな愛着を抱いていたのではないかと、思わず私は想像してしまいます。
 生前の賢治は、周囲に対して必要もないのに何故か申しわけないという気持ちを感じている節があったり、自分を犠牲にしなければならないような衝動に駆られているようだったり、何か「原罪意識」のようなものを持っていたのではないかと思わせるところがあります。
 また、「雁の童子」を読むと、童子について記されたエピソードには、「脳が疲れてその中に変なものが見える」という、賢治が自らの体験として短歌に詠んだようなものがあったり、魚を食べたくないと言って泣き出すというこれもまた賢治のような訴えをしたり、まるでこの童子は賢治自身の自画像ではないかと思わせるところもあります。

 つまり、これは全く私の勝手な空想なのですが、ひょっとして賢治自身も、この世における自分のこの人生が、実は何かの罪を帯びて墜ちてきた、貴種の流離としての身ではないかと、どこかで思っていたのではないか……、などと思えてくることがあるのです。

 たとえば、「サガレンと八月」や「貝の火」を、大きな貴種流離譚の断片と想定するのと同じように、私たちに見えている彼の生涯も、何か大きな物語の「一部」であると考えてみたら、その全貌はどんな様相を呈してくるでしょうか……。
 ……世界の東の果ての島国の北の町に、古着屋の息子として生まれたこの子供は、時々不思議なことを言ったり、美しい言葉で詩を書いたりしつつ、人のために自分の体を壊すほど無理をした挙げ句に、結婚もせずに37歳の若さでこの世を去ったわけですが、彼のこの生涯は、ひょっとしたら前世の誰かが故あって、身をやつした姿だったのかもしれません。
 もしも彼がこの辛苦の生涯によって、何か大切な「報ひを果し」、今はもう別の世界に還っていったのだとしたら、彼のこの世の生の軌跡に対して私たちが感じてきた切ない寂しさも、少しは和らぐような気がするのです。