『屋根の上が好きな兄と私』

屋根の上が好きな兄と私―宮沢賢治妹・岩田シゲ回想録 屋根の上が好きな兄と私―宮沢賢治妹・岩田シゲ回想録
岩田 シゲ 宮澤 明裕
蒼丘書林 2017-12-20
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 賢治の次妹である岩田シゲの回想録『屋根の上が好きな兄と私』は、1987年に亡くなったシゲさんが、70歳を過ぎてから兄賢治の思い出などについて書きとめていたという内容をもとにして、編集されています。
 近親者や親友による賢治の回想録は、弟清六氏によるものをはじめ、これまでに何冊も刊行されており、それぞれに生身の賢治が感じられて、とても興味深いものです。しかしもうこれ以上、新しい本が出るとは思っていなかったところ、昨年末に嬉しい驚きの新刊でした。
 その一つ一つの記述は、生き生きと賢治や家族の様子を伝えてくれますが、中でもやはり目を引かれるのは、トシの死の日のことを扱った「姉の死」という章です。

 そこには、(あめゆじゆとてちてけんじや)というトシの言葉に応じて賢治が「まがつたてつぽうだまのやうに」庭に飛び出し、茶碗にみぞれを取るという、あの「永訣の朝」に描かれた有名な場面において、実はシゲも一緒に庭に出て、雨雪に濡れる兄に傘をさしかけつつ、兄が大事に取った雨雪を茶碗で受けとったのだった、ということが記されています。
 暗い雪空の下、裏庭の「みかげせきざい」の上に賢治が危なく立って、松の枝に積もった雪を取ろうとしているという、これまで私たちが心に描いてきた情景に、これからはその傍らで茶碗を持って傘をさしかけているけなげな妹の姿も、新たに付け加わったわけです。

 これに続く、トシの臨終の前後の描写を、下に引用させていただきます。

 いつの間にかお昼になったと見えて、関のおばあさんが白いおかゆと何か赤いお魚と外二、三品、チョビチョビ乗せて来たお盆をいただいて、母がやしなってあげました。
 ああ、お昼も食べたしよかったと少し安心した気持ちになっていた頃、藤井さん(お医者様)がおいでになって、脈などみて行かれました。
 父がお医者様とお話して来られたのか、静かにかやの中に入つてから脈を調べながら泣きたいのこらえた顔で、
 「病気ばかりしてずい分苦しかったナ。人だなんてこんなに苦しい事ばかりいっぱいでひどい所だ。今度は人になんか生まれないで、いいところに生まれてくれよナ」と言いました。
 としさんは少しほほえんで、
 「生まれて来るったって、こったに自分の事ばかりで苦しまないように生まれて来る」と甘えたように言いました。
 私はほんとに、ほんとにと思いながら身をぎっちり堅くしていたら、父が、「皆でお題目を唱えてすけてあげなさい」と言います。
 気がついたら、一生懸命高くお題目を続けていました。そして、とし子姉さんはなくなったのです。
 その後は夢のようで、いつ夜になったのかどこで眠ったのか、夜中、賢治兄さんのお経の声を聞いていたようでした。
 夜明けに、袴をはいたとしさんが、広い野原で一人、花をつんでいるのがあんまり淋しそうで、たまらなく、高い声で泣いて目を覚ましましたら、賢さんがとんできて、
 「して泣いた? としさんの夢を見たか?」と差し迫った声で聞いたので、また悲しくなって、
 「それだって、一人で黄色な花っことるべかなって言ったっけも」とまた泣きました。

 この箇所で非常に印象的な点の一つは、トシの寿命も残り少ないという状況になった時、父政次郎が「皆でお題目を唱えてすけてあげなさい」と言い、当時は浄土真宗門徒だったシゲも、「気がついたら、一生懸命高くお題目を続けていました」というところです。
 家の宗派の浄土真宗か、それとも賢治の奉ずる法華経・日蓮・国柱会か、という宗教対立において、少なくとも前年の1月まで父と賢治は真っ向から衝突し、激しく論争を交わしていたということですが、この時点で父政次郎は、賢治と一緒に法華経を信じていたトシのために、その「お題目」を唱えるよう家族に促したのです。この政次郎の言動の意味については、栗原敦さんも巻末の「解説」において、「父と子の奥深い通い合い」と指摘しておられます。
 ちょうど昨今は、父親の視点から書かれた小説『銀河鉄道の父』が直木賞を受賞したということで話題になっていますが、これこそ政次郎の人柄を、如実に物語ってくれるエピソードと言えるでしょう。


 あと、上記の引用部分について、私が個人的に感じたこととしては、次の二つがあります。
 一つは、賢治がいくつかの作品に記しているトシの臨終前後の情景は、やはり事実に即した正確なものだったのだなあいう感慨で、上のシゲの夢の話も、「青森挽歌」に出てくる《黄色な花こ おらもとるべがな》という部分と、ぴったり一致しています。私自身、昨年の拙稿「青森挽歌における二重の葛藤」などにおいても、この辺の描写は全て事実と想定して考察を行っており、果たしてこれでいいんだろうかと思うことも時にあったのですが、やはりまあ基本的には、事実と考えておいてよいのでしょう。

 もう一つは、このトシが亡くなった晩に、シゲが夜中に急に泣きだしたというだけで、賢治が飛んで来て「何して泣いた? としさんの夢を見たか?」と差し迫った声で聞いたという箇所についてです。亡くなったその晩に妹が泣くのは当然のことですが、それに対して賢治がここまで決め打ちで、いきなり「トシの夢を見たか?」と聞いてくるというのは、きっと彼はこの晩は誰か家族の夢に必ずトシが現れて、何かの《通信》をもたらすに違いない、そのメッセージを決して逃してはならないと、あらかじめ予期して待ち構えていたのではないか、という気がしてなりません。
 翌年夏に、やはりトシからの《通信》を求めて、樺太まで旅をすることになる賢治のこだわりは、既にこの時もう始まっていたのかと思います。