水溶十九の過燐酸石灰

 「小岩井農場」のパート七に、次のような一節があります。

  (こやし入れだのすか
   堆肥たいひ過燐酸くわりんさんどすか)
  (あんさうす)
  (ずゐぶん気持のいゝどこだもな)
  (ふう)
〔中略〕
 (三時の次あ何時だべす)
 (五時だべが ゆぐ知らない)
過燐酸石灰のヅツク袋
水溶すゐやう十九と書いてある
学校のは十五%だ

 賢治が、小岩井農場で使っている肥料について農夫に尋ね、その「過燐酸石灰」が入っている袋を見て、そこに記されている「水溶十九」という文字を確かめたところです。農学校で用いている製品を思い出し、「学校のは十五%だ」と比べています。

 さて、この「過燐酸石灰」というのは、代表的な化学肥料の一つで、「窒素、リン酸、カリ」という植物の生育に欠かせない三大要素のうち、リン酸を施すために使われるものです。リン酸は、特に植物のエネルギー代謝や、タンパク合成、生殖過程に不可欠で、とくに開花や結実に関わるため、「花肥(はなごえ)」「実肥(みごえ)」とも呼ばれます。
 歴史的には、「化学肥料の父」と呼ばれるドイツのリービッヒが、従来から肥料として使われていた骨粉(主成分は種々のリン酸カルシウム塩)に硫酸を作用させると、肥料としての効力が増すことを1840年に発見し、この有効成分が、水溶性の第一リン酸カルシウム(Ca(H2PO4)2・H2O)であることを突き止めました。その後1843年には、骨粉よりも大量に得られるリン鉱石に硫酸を加えるという製法によって、大規模な肥料工場がヨーロッパに次々と建設されるようになります。
 日本では、1886年から高峰譲吉が取り組み、1888年より量産が始まっています。

 「過リン酸石灰」という名称で呼ばれるのは、単一の化学物質ではなく、骨粉やリン鉱石などのリン酸カルシウム塩に硫酸などの強酸を作用させて得られる物質の総称で、主な成分は上記の第一リン酸カルシウムと、硫酸カルシウム(石膏)ですが、その他に第二リン酸カルシウム、リン酸マグネシウム、リン酸鉄、リン酸アルミニウム等も含んでいます川瀬惣次郎著『肥料学』
 このうち、第一リン酸カルシウムが水溶性で、肥料として施すと速効性にすぐれていることから、これを「水溶リン酸」と呼び、過リン酸石灰全体のうちに水溶リン酸が占める比率をもって、肥料としての品質の指標としているのです。これが「水溶十九」の意味でした。

 賢治自身も所蔵していた肥料学の教科書である川瀬惣次郎著『肥料学』(明文堂1921,右写真は国会図書館デジタルライブラリーより)のp.514には、過リン酸石灰の水溶リン酸含有量による品質分類が、下の表のように載せられています。

水溶リン酸の含有量と品質

 これによれば、「水溶十九」であった小岩井農場の過リン酸石灰は「優等品」であり、「十五%」であった農学校の肥料は、「普通品」だというわけです。
 さすがは当時最先端の小岩井農場!ということで、農学校教師の賢治としては、少しうらやましい気持ちが湧いたのかもしれません。
 農夫との最初の会話において、(堆肥ど過燐酸どすか)(あんさうす)とあるのは、火山灰性の酸性土壌においては、過リン酸だけを施したのでは土壌中に含まれる「アロフェン」という粘土鉱物とリン酸が結合してしまって植物が吸収できなくなるので、堆肥などの有機肥料と一緒に施肥すると、吸収がよいのだということです。

 賢治は晩年に、東北砕石工場の販売促進案として、「貴工場に対する献策」という企画書を鈴木東蔵に出していて、その中で「石灰岩抹」を肥料として売る際に、「炭酸石灰」という名称にすることを提案しています。この方が、「どこか肥料としては貴重なものでもあり、利目もあるといふ心持ちがいたします」と書いていますが、そのような言葉のイメージは、すでに化学肥料として有名になっていた「過燐酸石灰」との名前の類似に由来している部分も大きかったのではないかと、ふと感じました。

 ところで、最近ももちろん「過リン酸石灰」は、肥料として重用されていて、ちょっとアマゾンで調べても、下記のようにたくさんの製品が出ています。

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 いちばん上の商品の袋には大きく「17.5」と書いてありますが、他の製品もいずれも水溶リン酸の含有量は17.5%で、川瀬惣次郎の『肥料学』では「中等品」にあたるこれが、最近は主流のようですね。