一昨日に花巻から送られてきた、宮沢賢治学会イーハトーブセンターの会誌『宮沢賢治研究Annual Vol.26』(2016)に、拙稿「宮沢賢治のグリーフ・ワーク ―トシの死と心の遍歴―」を、掲載していただきました。
昨年11月の「第7回イーハトーブ・プロジェクトin京都」で、竹崎利信さんの「かたり」とともにお話ししたこと、それから今年の5月に岩手県大槌町の講演会でお話しさせていただいたことを、論文の形にまとめてみたものです。
これはそもそも、文学の「研究論文」として書いたというものではなく、上記のような成り立ちの経緯が示すように、東日本大震災の復興を支援するための催しの場で、あるいは被災地の方々に直接語りかける場で、宮沢賢治という人の、一つの等身大の「像」を描いてみようとしたものでした。「あの宮沢賢治も、死別の悲しみを抱えて尋常ではない苦悩を体験し、そしていつしかその悲しみを引き受けて、また歩いて行った人だった」ということを、跡づけてみようとしたものです。
そのような事情もあってこの論文は、賢治の作品テキストを批判的に検討してみたり、「創作」のダイナミズムに分け入ったりするというようなものではなく、賢治が書いた言葉を、言わば作者の「生の声」として、受けとっていくものでした。
ですから、巻末の「編集後記」において編集者の方が、この論文について「作品と作家の距離が密接であるため、一見、かなり素朴な作家論と映ることも否めません」と、評しておられるのは、まさにご指摘のとおりと思います。これはただ素朴に、ナイーブに、作品のままに作家を浮き彫りにしようとしたものにすぎません。
しかしこの「編集後記」の上記の箇所の少し後で、「そして、その意図のもと、私たちは、賢治のいわば同伴者となり、愛する人の「不在」から「遍在」を受け入れるに至る、彼の「グリーフ・ワーク」を疑似体験することになります」と評していただいた言葉は、今回の論文を投稿させていただいた私にとって、とても嬉しい贈り物でした。
「第7回イーハトーブ・プロジェクトin京都」でも、大槌町の講演会でも、何とかして皆さんと一緒に賢治の同伴者となって、彼の心の旅を一緒に体験してみたいということが、微力ながら私が目ざそうとしたことだったからです。
つめくさ
本日拝読しました。
terpentineの匂もするさわやかなご論考。
いつも新鮮な情報をありがとうございます。
hamagaki
つめくさ様、お忙しい中で拙稿をお読みいただいたことに、感謝申し上げます。
その内容の多くは、従来からこのブログに時々書いていたことの寄せ集めの部分が多く、それでいて結構長いので、『宮沢賢治研究Annual』の貴重な紙面を取ってしまってちょっと申しわけないような気もしています。
「terpentineの匂」と言っていただけると、救われる感じがします。
ありがとうございました。
藤野正孝
宮村通典先生からの御紹介でこの本文を読ませていただきました。これはまさに金字塔のような玉稿でした。
宮村先生がおっしゃっていた、大震災で突然すべてのものを失った人たちへの接し方、悲しみを忘れさせて立ち上がらせるのではなく、忘れずにそれに向き合いながら自らの中に生きる力、復興へ向かう活力を得させていく寄り添いの大切さを宮村先生から「グリーフワーク」というのだと教えてもらいました。私はこの言葉を知らなかったので聞きましたら、このことについては浜垣さんに大槌で講演してもらったということで、本文にたどり着いた次第です。ありがとうございました。
一関市東山町 藤野正孝
hamagaki
藤野正孝さま、拙稿をお読みいただきまして、誠にありがとうございました。
そして過分なコメントをいただきまして、誠に恐縮に存じます。
東日本大震災を契機として、そして個人的な事情も相まって、最近はトシの死後の賢治の思いを、ひたすらたどろうとしています。
恐れを知らぬ僭越な試みではありますが、どんどん深みにはまっていくような、底の知れない思いがしています。
私も一昨年に大槌を訪ねた際に、宮村通典先生にはいろいろとご教示をいただきましたが、これからもいろいろな方に教えていただく必要を、痛感しています。
藤野様には、2010年夏の「グスコーブドリの大学校」で、「〔停車場の向ふに河原があって〕」の舞台を訪ねて陸中松川や猊鼻渓を巡った際に、お世話になりました。
その節は、本当にありがとうございました。
どうか今後とも、よろしくお願い申し上げます。