「貝の火」というお話を読んだ後には、何となく不条理な感覚が残ってしまいませんか。
野原に出ると悦んで、一人でぴんぴん踊っていた無邪気な子兎ホモイは、年相応に愚かでもあり、子どもらしい万能感の手綱を取りかねていました。「貝の火」の宝珠を授かってからも、むぐらをいじめたり、狐に騙されて鳥の捕獲を容認したり、思い上がったことを言ったりもしましたが、結局そのために最後には宝珠を失い、嘲笑され、失明してしまいます。
もちろんホモイに落ち度があったのは確かですが、しかしこれでは、犯した罪と罰の重さが不釣り合いではないか、いたいけない子どもが、なぜこんな目に遭わないといけないのかなどと、やり場のない気持ちも起こります。
この物語が、「因果応報」という掟の厳しさを描いていることには、誰しも異論はないでしょう。冒頭でホモイがひばりの子を救助したという「因」に対して、貝の火を授かるという「果」があり、その後の過ちの集積という「因」に対して、最後で貝の火を失うという「果」があるというのが外枠で、これがお話の骨格をなしています。
しかし、きっと皆さんもお気づきでしょうが、その二つの大きな因果にはさまれた途中経過においては、ホモイの行動(因)と、貝の火の様子(果)とは、なぜかほとんど相関していないのです。そればかりか、ホモイが悪いことをして父に叱られ、「もう曇ってしまったぞ」とか「今日こそ砕けたぞ」とか言われるごとに、逆に貝の火はいっそう美しく燃えたのです。
ここが、この物語に不条理さを感じてしまう、もう一つの点なのだろうと思います。
「貝の火」は、前日までは「今日位美しいことはまだありませんでした」という様子だったのに、ある日突然「小さな小さな針でついた位の白い曇り」が現れ、その日の夜中には、もう火は消えていました。もしも「貝の火」が、もう少し早くからホモイの行動に対して警告を与えてくれていたら、彼も「慢」に陥らずに反省して行いを改めたでしょうし、注意をしていた父親の威信が揺らぐこともなかったでしょう。
ホモイも父も、「貝の火」に複雑に燃える光の紋様を読み解こうとして、毎日その様子を注意深く観察します。そこには、ホモイの行いを判断するための何らかのメッセージが表現されているのではないかと、期待したのです。
しかしこの方法は、見事に裏切られました。貝の火の様子は、ホモイへの評価を映す鏡ではなかったのです。
では、それは何を映していたのか?という疑問が浮かびますが、ここで下記に、物語における「ホモイの行動」「父の行動」「貝の火の様子」を、一日ごとに表にしてみました。
|
ホモイの行動 | 父の行動 | 貝の火の様子 |
---|---|---|---|
第一日 |
皆の尊敬を集めるようになり、自分は「大将」になったと考えた。狐を少尉に任命する。 |
朝はすでに外出していた。夜は家族一緒に御馳走を食べる。 |
玉の美しいことは昨夜よりももっとです。 |
第二日 |
鈴蘭の実を集めるよう母に言われるが、大将がそんなことをするのはおかしいと、代りにむぐらに命令する。日光に弱いむぐらにはできず、怒って脅す。 |
ホモイがむぐらを脅したこと、りすに過量の鈴蘭の実を集めさせたことを、強く叱る。貝の火は曇ってしまっているだろうと言う。 |
一昨夜よりももっともっと赤くもっともっと速く燃えてゐるのです。 |
第三日 |
狐が盗んできた角パンを受けとり、今後は狐が鶏を捕るのを咎めないよう約束させられる。 |
盗品の角パンを見て怒って踏みにじり、ホモイを叱る。玉は砕けているだろうと言う。 |
お日さまの光を受けてまるで天上に昇って行きそうに美しく燃えました。 |
第四日 |
狐にそそのかされ再びむぐらの家族をいじめる。 |
ホモイがむぐらをいじめるのを見つけてむぐらを助け、ホモイを叱る。 |
今日位美しいことはまだありませんでした。赤や緑や青や様々の火が烈しく戦争をして、地雷火をかけたり、のろしを上げたり、又いなずまが閃いたり、光の血が流れたり・・・。 |
第五日 |
動物園を作ろうと狐に言われ、深く考えずに興味を持つ。 |
狐が捕えた鳥のことはホモイから知らされていない。狐の角パンを家族で食べる。 |
一所小さな小さな針でついた位の白い曇りが見える。 |
第六日 |
夜中に眼をさまして、貝の火がもう燃えていないことに気づき、泣き出す。狐が網で鳥を捕えていることを父に話す。 |
狐が鳥を捕えていることをホモイから聴き、狐と対決して鳥を逃がしてやる。貝の火が曇ってしまったことを鳥たちに言う。 |
夜中に火は消えていた。 |
第一日はともかく、第二日以降のホモイは悪いことばかりしています。しかし、貝の火はそれにおかまいなく、美しく燃えつづけます。
これに対して、お父さんの行動はずっとほんとうに立派です。つねにホモイの行動に注意を払い、問題があれば厳しく叱ります。第六日には、一人で「いのちがけ」で狐と対決し、捕えられていた鳥たちを助けるという勇敢さも見せます。
その行動は父親として模範的にも思えますが、全体の中でもしも何か責められるべき点があるとすれば、第四日と第五日の夜に、狐が盗んできてホモイに渡した角パンを、家族で一緒に食べてしまうところです。第三日には、盗んで来たものは食べられないと言って、「土になげつけてむちゃくちゃにふみにじる」といういさぎよい態度を見せたのに、第四日には貝の火が美しく燃えつづける様を見て、何か自信をなくしたように、狐の賄賂を受け入れてしまったのです。
さて、この表を眺めていると、結局「貝の火」の様子は、ホモイの行動にではなくて、実は父親の行動の方に相関していたのではないかと、思えてきます。
第二日からホモイはむぐらをいじめますが、父はそんなホモイを厳しく叱ります。第三日の父は前述のように、狐が盗んで来た角パンを断固として拒否し、ここでも正義を貫きます。
第四日にも、ホモイと狐がむぐらをいじめていたところへ、父が介入して可哀そうなむぐらを助けてやります。父子が帰宅した時点では、貝の火はこれまでで一番というほど美しく燃えていましたが、その後に父は、狐の角パンを食べるという過ちを、初めて犯します。この後の貝の火の様子は、翌日までわかりません。
第五日の父は、昼間のホモイの行動のことは知りませんが、貝の火に小さな曇りができていることを告げられ、気を揉みつつ熱心に磨きます。しかし、曇りはとれるどころかだんだん大きくなってしまいました。そして、この日も前日に続き、狐の角パンをみんなで食べたのです。
貝の火の光が消えてしまったのは、その晩でした。
つまり、父親が正しい行動をしていた間は、(ホモイの行動に関係なく)貝の火はますます美しく燃え、父が過ちを犯した時に一点の曇りが現れ、まもなく火が消えたのです。こう考えると、少なくとも「因果関係」のつながりとしては、わかりやすくなります。
この「貝の火」という物語では、主人公であるホモイが、最後まで父親への依存から抜け出せずにいるところに、不満を感じるという意見もあります。
一方、これをホモイというよりも「父親の物語」として見ると、そこにはまた別の情景が現れてくるようにも思われます。
耕生
「父親の心」と「貝の火」を組み合わせてみると、確かに一致しますね。私も同じように、この「貝の火」の展開に違和感を持っていましたので、妙に納得しました。
この貝の火、現代風に言うと「メキシコオパール」に該当するのでしょう。先日、市内の宝石屋さんを冷やかしで覗いていたら、その宝石が飾りなしでショーケースに並べられていました。鮮やかな赤の中に緑や青の色彩が混じる「貝の火」です。ところが、この石、定価がついていません。恐る恐る聞いてみたら、黙ってケースの裏を見せてくれました。○十万円!と思って、よく見ると、なんと○万円でした。難しい値段です、手が出そうで手が出ない。これに金とか白金をのリングを付けて飾ると、きっと○十万円になるんでしょうね。
ところで、小菅健吉に関する調査の事ですが、元日本女子大大学院生さんと連絡がとれました。目下、出会いの場と時間をどう設定するかという段階です。できれば小菅家の方も同席いただければ最高なのですが、難しい場合は、二人だけでも東京で面談できればと思っています。ちょっと別件で上京する用もあるので、近日中に対面が実現するかもしれません。いろいろと芋づる式に解明されることが多く、「あっ」と驚く結論が出てくるかもしれません。請う、ご期待です。
先日のメールにいろいろなファイル(講演用スライドなど)を添付したのは、氏にメールが転送された場合に、私のことをよく理解してもらいたい、というか他意のないことをわかって欲しかったからです。その節はいろいろとご迷惑・ご心配をおかけしました。その後も、相変わらず軽躁状態ですが、パソコンが新機種にバージョンアップしたかのように動き回っています。
最近は学術論文が自宅でインターネット経由で簡単に(ほとんど無料で)入手できるので研究調査は大変、楽になりました。いま、新発見の予感に胸を躍らせています。
ゆき@果報は寝て待て
父子関係というのは私にはきっとわかりません。けれど、子は母親の遺伝子をも受け継ぐ父とは別の個体なら、子は父のコピーではないし、子は「親の因果が子に報い」ということを引き受ける存在でもないと思います。
私が『貝の火』のお話を読んで気になるのは、ホモイの「その後」ですね。
因果応報は、道徳の教材としては良いのかもしれませんが、暮らしの中ではズレてるくらいが丁度いいです。因果応報にこだわると、時に逆の論理で人をとても傷付けることがありませんか?
「○○の行いが悪かったから、貝の火がくもりホモイが失明した」という因果応報にとらわれてしまうと、ではその逆の「失明した人は、その人などの行いが悪かったから」という考えに陥ってしまう。(逆は必ずしも真ならずなのでしょうが…。)そしてそこで思考停止してしまうだけでなく、失明したその人の行いを責め「追及」し追い詰めるということまで起こってしまう人間社会です。結果、失明に対する次の手立ては何も講じられなくなってしまいます。
因果応報を否定するつもりはありません。過ちを繰り返さないための原因「追究」や正しい生き方なるものの「追求」も大切だと思います。けれど同時に、「禍福は糾える縄の如し」「人間万事塞翁が馬」のようなホモイの「その後」があることを願います。
阪神大震災後18年。あらゆる災禍に遭った人も皆、過去の行いではなく、「その後」が逞しくあることをお祈りします。
遊心
この「貝の火」の原稿表紙には次のような円環状の言葉が著者によって記されているようです。
吉→慢→凶→戒→吉→(これの繰り返しで実際は円環状)
ですから、この「貝の火」は単なる因果応報の話ではないんですね。反省したホモイの目が治ることはないかもしれませんが、別の幸せが待っていることでしょう。
例えば音楽の才能に目覚めるとか、弱者の立場になって考えることができるようになるとか、新たな出会いがあるとか。必ずしも五体満足ばかりが人生ではないと思います。吉の時は慢心に陥らないよう、凶の時はしみじみ反省して新しい吉を作る努力をしましょう。あれ、これって以前にもコメントしたような気がします・・・。皆さんがよくご存じの話をぐだぐだ述べてしまったかもしれません、ご寛容に願います。
今回、ペンネームを変えましたが、春になって畑を耕せるようになったら、もとの耕生にもどります。ちなみに耕生のエスペラントはkulturisto(耕す人)、遊心(遊ぶ人ludisto)、そしてhomojは人々という意味で、ホモイはエスペラントから来ているという説が有力です。
まあ、何でもかんでもエスペラントにしてしまうのも考え物ですが、イーハトーブは岩手の卵の意でIha-tovoイーハトーボだという方もおられます。賢治自身、この両者をごっちゃにして使っています。
Ïhatovo Farmers Songなどもありますね。
また、グスコーブドリノの伝記に出てくるオリザはï稲の学名Oryza sativaに由来しますし、「セロ弾きのゴーシュ」のゴ-シュはフランス語の「左利き」(ちょっとウスノロの意味も)から来ているようですし、賢治は博学だったんですね。
農芸化学出身だからドイツ語にも達者です。「小岩井農場」に出てくるder heilige punkut(聖地点)など、最近の学生さんは英語しか勉強しないから意味不明かもしれませんね。
少し話が飛びますが、第2外国語の重要性(他の言語を学ぶと英語という言葉、つまりヨーロッパの辺境の地で生まれた方言の構造が逆によく見えてくる)を力説しているのですが、私の主張はどうも当局に受け入れてもらえません。しかたがないので自主サークルのような形で、「すぐに話せるエスペラント会話教室」を開いたりしました。現在、開店休業状態ですが、気長にやっていきたいと思っています。
ノーベル経済学賞を受賞したゼルテン教授は○○理論(カオス?)で有名ですが、高名なエスペランティストでもあり、語学習得におけるエスペラントの有意義さを、そのカオス理論で証明しています。つまり、ドイツの学生を二つのグループに分け、ひとつは英語だけを3年間、もう一つはエスペラントを1年間と英語を2年間学習させた場合、後者の方の学習到達度が有意に(=95%以上の確率で)高かったそうです。この講演は亀岡で、エスペラントと日本語同時通訳で行われました。ゼルテン氏のエスペラントは完璧に流暢なエスペラントでした。
実際、私は5年ほど前にイタリアのフィレンツェで開催された世界エスペラント大会に参加しましたが、不思議に良く通じました。おまけにイタリア語も一部ですが、わかるので重宝したものです。金子みすゞの写真をカラーコピーしていたら、お店の人が「Bela、bela!」と盛んにいっていたので鼻を高くしました。belaはエスペラントでもイタリア語でもラテン語でも「美しい」の意味なのです(多分)。
この時、私は金子みすゞのエスペラント訳詩集を徹夜で仕上げ、市内のインターネットカフェでプリントアウトしてからコピーし、1冊1ユーロで路上販売したのですが、10冊完売しました(へたなオカリナを吹いて人寄せをしたり、結構苦労しました)。ひとりのスイス人は「これで日本語の勉強をするから」といって、全部の漢字にかなのルビを振ることを条件になんと30ユーロ(当時のレートで4,000円くらい)で購入してくれました!
この話も以前書いたかもしれません。どうもあちこちのブログにコメントしているので、混線気味です。重複していたらお許しください。
遊心
書き忘れました。
上記の吉・慢・凶・戒の図に、次の言葉が添えられているそうです。
因果律に陥る事なかれ
これには賢治のスマートな意志、運命という逆風に打ち勝とうとする強い意志を感じますね。
長々と何度もコメントして申し訳ありません。
以後、自粛します。
遊心
またまた、間違いました。
調べてみたら、正確には次の通りでした。
吉→吝→凶→悔→吉→(これの繰り返しで実際は円環状)
また、赤インクの添え書きは次の通りでした。
「因果律を露骨ならしむるな」
最近、省エネのために、家で唯一暖房の入っている居間でパソコンに向かっているので、いちいち書斎(と言えるほどの立派なものではありませんが)に行って、全集をめくるのを怠り、頭の記憶に頼ってしまうと、このような間違いを犯してしまいます。
上記コメントの訂正をお願いします。
それにしても人間の記憶というのは面白いものですね。間違ってはいても、何となく意味が通じていますから(笑)。
ついでにもうひとつ。
福嶋章氏が精神病理学的立場から、賢治の行動のパターンを「周期性性格(チクロチミー)」であると「診断」しているようですが、わかりやすく言うと、「そううつ病」ですね。宮澤賢治はそううつ病だったようです。
実はこの私が典型的そううつ病(最近では双極性気分障害と呼ぶ)で、主治医から「あなたのような典型的パターンは私も初めてです!」といわれる程です。どういうわけか、私には精神科医に知り合いが多く、どの医師からも「躁状態はウツの裏返しだから再度ウツに墜ちることを予想して、あまりハイにならないように気をつけなさい」と一致したセカンド・サードオピニオンをいただいています。
私の、この躁うつの輪廻は、これで5回目になります。
躁状態になると頭脳というか、神経回路の回転が一気にバージョンアップしたような感じになり、言葉はひとりでにあふれ出てくるので、私はただそれを拾っているだけのような感じになります。人との会話でも、相手の応対の先の先まで読んでしまうので、次々に適切な言葉や質問が出てきます。車の運転は、まるでF1レーサーが普通車に乗っているような感じです。これが、ついこの間まで、電話に出ることも、車の運転もおっかなびっくりやっていた者と同じとは見えないはずです。
宮澤賢治にも、こんな状態があったことは皆さんがよくご存じの通りです。すなわち、盛岡中学校時代、盛岡高等農林高校時代、東京へ家出し、筆耕のアルバイトをしながら國柱会の布教宣伝を手伝い、夜は膨大な童話原稿を執筆していた時代、そして花巻農学校の教員時代、羅須地人協会活動時代、そして最後に東北採石工場のサラリーマン技師時代、いつの時も必ず次のウツに墜ちていき、輪廻を繰り返しています。
もしかしたら、「春と修羅」第1集補遺の「堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます」などは、このウツへの転落を心象スケッチ風に読んだのかもしれません。そうした角度から読んでみると妙に納得が行きます。
あるいは「雁の童子」の転落神話もそのような意味が含まれているのかもしれません。ただ、それを理解することができるのは同じ様な体験を経た者でしか有り得ないというのが悲しい事実です。人はこの状態を病気としてしか捉えません。本当は少し違うのです、と言ってもやはりわかってもらえない。最後は、この世に絶望して三途の川を渡りたくなる、と言うのがいつものパターンです。
今は全能感というか千里眼のような感じで、何でもできるのですが、いずれ壁に突き当たることは容易に想像できます。その時の配慮を今、この調子のいい時に準備できるかがひとつのカギになりそうですが、調子のいい時はどんどん物事が進むので、面白くて仕方がなく、中々ブレーキをかけるのが困難です。むしろ、今、頭が回っている間にたくさんの事をやっておこうといった感じになり、寝る間も惜しんで活動するということになります。
こういった輪廻の循環を穏やかに断ち切るにはどうすればいいかですね。半村良のSF短編「青い太陽」に同じ様な話が載っていました。主人公は全能性の人間から普通の人間に見事にソフトランディングしています。興味をお持ちの方はぜひ読んでみて下さい(角川文庫の半村良SF短編集)。
しかし、躁うつは病気ではなく本当は別の現象なのではないかについて論考したのが、私の「新人類の誕生-うつ病に関する体験論的考察」です。しつこいですが、拙著に関心をお持ちの方はご連絡下さい。ワードまたは一太郎の文書ファイルでメール添付でお送りします。
本当かどうか未詳なのですが、近くの地域NPO法人が心に病を持つ人のために農作業で治療をする活動を行っています。そこの事務局長さんにこの論文と、もうひとつ「ガーデニングから自給農業へ-農的幸福と地域住民の役割-」という、以前、私が町の生涯学習大会で基調講演をした時の講演要旨というよりは論文(原稿用紙約35枚)をお送りしたところ、先日、「先生のあの論文二つを我々はバイブルとして拝読しております。先生のご復帰を心から願っております」との言葉をいただいてしましました。ただ、私は、このNPO法人がHPなどで規約と役員をまず初めに持ってくるのが肌に合わず、少し距離を置いて見ています。
本当はだれしも仲間が欲しいのです。皇室の雅子様も同じ悩みを抱えています。「共に旅ゆく心」こそがウツの孤独な世界から人を救うことができる、これが「新人類の誕生」の結論です。
長々とコメントしてしまい、申し訳ありません。
遊心
またまた、間違いました。
調べてみたら、正確には次の通りでした。
吉→吝→凶→悔→吉→(これの繰り返しで実際は円環状)
また、赤インクの添え書きは次の通りでした。
「因果律を露骨ならしむるな」
最近、省エネのために、家で唯一暖房の入っている居間でパソコンに向かっているので、いちいち書斎(と言えるほどの立派なものではありませんが)に行って、全集をめくるのを怠り、頭の記憶に頼ってしまうと、このような間違いを犯してしまいます。
上記コメントの訂正をお願いします。
それにしても人間の記憶というのは面白いものですね。間違ってはいても、何となく意味が通じていますから(笑)。
ついでにもうひとつ。
福嶋章氏が精神病理学的立場から、賢治の行動のパターンを「周期性性格(チクロチミー)」であると「診断」しているようですが、わかりやすく言うと、「そううつ病」ですね。宮澤賢治はそううつ病だったようです。
実はこの私が典型的そううつ病(最近では双極性気分障害と呼ぶ)で、主治医から「あなたのような典型的パターンは私も初めてです!」といわれる程です。どういうわけか、私には精神科医に知り合いが多く、どの医師からも「躁状態はウツの裏返しだから再度ウツに墜ちることを予想して、あまりハイにならないように気をつけなさい」と一致したセカンド・サードオピニオンをいただいています。
私の、この躁うつの輪廻は、これで5回目になります。
躁状態になると頭脳というか、神経回路の回転が一気にバージョンアップしたような感じになり、言葉はひとりでにあふれ出てくるので、私はただそれを拾っているだけのような感じになります。人との会話でも、相手の応対の先の先まで読んでしまうので、次々に適切な言葉や質問が出てきます。自称、千里眼です。車の運転は、まるでF1レーサーが普通車に乗っているような感じです。これが、ついこの間まで、電話に出ることも、車の運転もおっかなびっくりやっていた者と同じとは見えないはずです。
宮澤賢治にも、こんな状態があったことは皆さんがよくご存じの通りです。すなわち、盛岡中学校時代、盛岡高等農林高校時代、東京へ家出し、筆耕のアルバイトをしながら國柱会の布教宣伝を手伝い、夜は膨大な童話原稿を執筆していた時代、そして花巻農学校の教員時代、羅須地人協会活動時代、そして最後に東北採石工場のサラリーマン技師時代、いつの時も必ず次のウツに墜ちていき、輪廻を繰り返しています。
もしかしたら、「春と修羅」第1集補遺の「堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます」などは、このウツへの転落を心象スケッチ風に読んだのかもしれません。そうした角度から読んでみると妙に納得が行きます。
あるいは「雁の童子」の転落神話もそのような意味が含まれているのかもしれません。ただ、それを理解することができるのは同じ様な体験を経た者でしか有り得ないというのが悲しい事実です。人はこの状態を病気としてしか捉えません。本当は少し違うのです、と言ってもやはりわかってもらえない。最後は、この世に絶望して三途の川を渡りたくなる、と言うのがいつものパターンです。
今は全能感というか千里眼のような感じで、何でもできるのですが、いずれ壁に突き当たることは容易に想像できます。その時の配慮を今、この調子のいい時に準備できるかがひとつのカギになりそうですが、調子のいい時はどんどん物事が進むので、面白くて仕方がなく、中々ブレーキをかけるのが困難です。むしろ、今、頭が回っている間にたくさんの事をやっておこうといった感じになり、寝る間も惜しんで活動するということになります。
こういった輪廻の循環を穏やかに断ち切るにはどうすればいいかですね。半村良のSF短編「青い太陽」に同じ様な話が載っていました。主人公は全能性の人間から普通の人間に見事にソフトランディングしています。興味をお持ちの方はぜひ読んでみて下さい(角川文庫の半村良SF短編集)。
しかし、躁うつは病気ではなく本当は別の現象なのではないかについて論考したのが、私の「新人類の誕生-うつ病に関する体験論的考察」です。しつこいですが、拙著に関心をお持ちの方はご連絡下さい。ワードまたは一太郎の文書ファイルでメール添付でお送りします。
本当かどうか未詳なのですが、近くの地域NPO法人が心に病を持つ人のために農作業で治療をする活動を行っています。そこの事務局長さんにこの論文と、もうひとつ「ガーデニングから自給農業へ-農的幸福と地域住民の役割-」という、以前、私が町の生涯学習大会で基調講演をした時の講演要旨というよりは論文(原稿用紙約35枚)をお送りしたところ、先日、「先生のあの論文二つを我々はバイブルとして拝読しております。先生のご復帰を心から願っております」との言葉をいただいてしまいました。ただ、私は、このNPO法人がHPなどで規約と役員をまず初めに持ってくるのが肌に合わず、少し距離を置いて見ています。
本当はだれしも仲間が欲しいのです。皇室の雅子様も同じ悩みを抱えています。「共に旅ゆく心」こそがウツの孤独な世界から人を救うことができる、これが「新人類の誕生」の結論です。
長々とコメントしてしまい、申し訳ありません。
hamagaki
ゆき 様
書き込み、ありがとうございます。
因果論に縛られずに生きたい、というのは私も同感です。
しかし人間、「よりよく生きたい」という望みを持ち続けていると、いつしか「どうすればよりよく生きられるか」という考えの連鎖にはまっていってしまいますよね。
賢治も一方では、美しいものを見て感動すると我を忘れて「ほほーっ」と叫んで踊り出すなど、因果など超越してしまう時も人一倍多かったのでしょうが、もう一方では、例えば自分が病気になったのも、自らの「慢」が招いたものだなどと意識しつづけている人でした。
結局は、「一瞬一瞬を」生きることと、「よりよく」生きようとすることと、二つの側面を同時に生きて行くしかないのでしょうが、現実にはご指摘のような隘路に陥ることがしばしばです。
人間が、自らを襲った大きな災厄に対してどういうスタンスをとるべきかという問題も、煎じ詰めるとこの二つの方向性の配合に尽きるのかもしれませんが、その場合に自らと災厄の関係を位置づける「因果」というのは、(例えば行いが悪いから失明したとかいうような)すでに世間に流通しているありきたりの筋書きではなくて、それぞれが自分のために新しい物語を紡ぎ出すというようなことが必要になってくるのかなあと感じています。
何かややこしい話になってしまってすみません。昨日からまた震災について考えていて、そんなことを思います。
遊心 様
こんばんは。
賢治の場合は、周囲から病的と感じられるほどの気分の変調ではなかったようですが、やはりご指摘のように、明らかに躁うつの波があったと解釈するのがしっくりきますね。福島章氏による年表は、おおむねそのとおりと思います。
御地ではまだまだ厳しい寒さが続くかと思いますが、お風邪など召されませぬよう。
Makes sense
声や言葉が届かない理由がわかりました。
KATSUDA
お久しぶりです。
ご存じかと思いますが、西村真由美「宮沢賢治『貝の火』論―父と子の欲をめぐって―」(『待兼山論叢』39、2005年)
http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstream/11094/9377/1/KJ00005352659.pdf
がホモイの父に焦点をあてていますね。パンを食べるということだけではなく、ホモイが持ち帰った玉を見て「これは有名な貝の火という宝物だ」と言って大切に保管することで玉への執着心、欲を出したのが父親で、赤い火はその欲の象徴であり、それが燃えさかるのは良い意味ではないのだと。
そう言われると、確かに作品中「美しい」と何度も書かれていますが、それはホモイ父子が欲の炎を誤って美しいと認識したことを示すのではないかという気もしてきます。
また西村さんは触れていませんが、最後に「貝の火が今日位美しいことはまだありませんでした。それはまるで赤や緑や青や様々の火が烈しく戦争をして、地雷火をかけたり、のろしを上げたり、又いなずまが閃いたり、光の血が流れたり」として、戦争のイメージが現れるのも気になります。この次に美しい花の映像も出るので戦争一色ではありませんが、いろいろな色の火が燃えながら動いているのを見て、ただちに「戦争」と解釈できるのだろうか、また戦争を「美しい」と見るのは賢治にはふさわしくないと思えるので、これはホモイ父子の見方なのか等々。
「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」では、サンムトリの噴火を見たネネムが踊り出し、みんなもつられて踊ったとき
「クラレの花がきらきら光り、クラレの茎がパチンパチンと折れ、みんなの影法師はまるで戦のように乱れて動きました」
とありますが、茎が折れるとか、影が「戦のように」動いたというのは、楽しい踊りの描写とは違う唐突感があります。
両作品とも失墜の直前に戦のモチーフが現れるのは関係があるようにも思いますが、この点はまだ十分考えていません。
いずれにしても、貝の火が「美しい」と書かれていることと、それが本来のあり方(正しい心の持ち主が持っているときに見せる映像)であることとは別なのではないかと、西村さんの論考に従って考えました。
hamagaki
KATSUDAさま、こんにちは。
西村真由美氏の論文をご教示いただきまして、ありがとうございます。
お恥ずかしながら私はこの論考を存じ上げませんでしたが、ホモイ父子の「欲」について、鋭い分析がなされていることに、感動しました。「貝の火」の変化は、まさにこの「欲」の動態を表しているとも読めるわけですね。
「戦争」と「美」のイメージに関するご指摘にも、共感します。
「戦争を『美しい』と見るのは賢治にふさわしくない」という感覚はたしかにそうなのですが、たとえば押野武彦氏が『宮沢賢治の美学』において指摘しておられるように、昭和初期の日本に響き始めていた軍靴の音や国家主義的な風潮の中で、賢治が描く「美」の中に、「戦」の雰囲気を漂わせるものがあるのも事実です。
押野氏は、「審判」の下書稿に出てくる「最近代の戦術は/蓋ろ詩(ポエム)であらねばならぬ」という一節を引用したり、塚本邦雄氏が「命令」という詩に、日本浪漫派に連なる「ますらをぶり」の系譜を見たりしていることを挙げ、さらに短篇「大礼服の例外的効果」において、「国体の意義」をめぐる論争と、金彩に飾られた大礼服の美しさが対置されているところも引用されています。
賢治は、単純に戦争を「美しい」と賛美しているわけではもちろんありませんが、そこに非常に危うい「美」が宿っていて引き込まれそうになることを感じとった上で、「貝の火」が燃える描写や「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」の踊りに、そのような魅惑的で陶酔的な危うさを描いたのかとも思ったりします。
匿名
貝の火の輝きは所有する者の愚かしさの象徴。
故にホモイが狐にたぶらかされるままに悪虐を極めれば、美しさはこれまでに無い物となる。
逆に父の言葉などを受け止めて慈悲や善意を思い出す事で宝石は曇りを帯び、持ち主が真に王たる知性理性を獲得するに至って魔石は人を魅惑する力を失い、次の愚かな獲物を求めて飛び立つのである。
結末におけるホモイの失明も北欧神話に見られる主神にして賢者であるオーディンの苦行を模した物であり、母兎の様に単に現実に則した悲劇と見るのは間違い。彼は痛みと片目の光を代価に鳥たちから慕われる存在=『王』が持つべき知恵を学んだのであり、故に辛くとも同時にいちばんさいわいなのである。
hamagaki
コメントをありがとうございます。
「貝の火の輝きは所有する者の愚かしさの象徴」というのは、逆説的ですがとても興味深い見方ですね。
このお話が持っているある種の「理不尽さ」を思うと、確かにそのような解釈も一理あるような気がしてきてしまいます。
ただ「鷲の大臣」が、災害救助のために英雄的な行動をした際には、この玉は「いっこうきずも曇もつかないでかえって前よりも美しくなった」という話とは矛盾してしまいますが、これも一つの「伝説」でしょうから、真偽のほどはわからないと考えることもできるでしょう。
このたびは、新たな見方をご教示いただき、ありがとうございました。
匿名からhamagakiへの返信
鷲の大臣のエピソードに関しては仰る通り伝説なので正確性と明瞭さを欠き、そこからでは既に亡くなっている大臣の死因、死亡時期、貝の火との関連性などは解る物ではありません。
この部分で明確なのは大臣が避難活動に邁進していたという『事実部分(その際の大臣の心理思考・人格の善良性・行動動機等は判別不能)』と、火山噴火で貝の火がおよそ回収困難な、既に紛失同然の状態に置かれていたのにも関わらず、事後あるいは事件の最中に健在ぶりを確認されている事です。
さてここで1つの問題が浮かび上がります。果たして賢明とされる大臣は臣民の避難、または事後処理に忙殺される中で、一体どうやって貝の火を回収した、あるいは存在の確認に成功したのでしょう?
現実的に考えるなら大臣という立場から配下の者を派遣して事に当たらせたのでしょう。
しかしこれは事態が完全に近い形で収束してからでなければ、TPOを弁えない職権濫用と公私混同に当たります。しかも伝説の語り口からして、貝の火の存在確認は噴火騒動の最中である可能性が高いと思われます。であれば、鷲の大臣は民衆を安全な状況に誘導する善行を積む反面、部下に対しては危険を配慮しない道具として扱った挙句、私物の回収を命じていた事になり、その人物像は伝え聞く内容からはかけ離れた物となります。
これらの推測は状況証拠を都合よく組み合わせた結果なので、あくまで可能性の1つに過ぎません。実際の大臣は伝説の通りに賢明であり、噴火災害への対処を一心不乱に行い、あるいはその聖職に殉じる中で命を落とし、人々から真実惜しまれながら亡くなられた可能性、またその場合、貝の火の健在を確認したのも全く無関係な者が安全な時期に偶然発見し、大臣が所有していたという過去の経緯に照らし合わせて伝説が形作られただけという可能性も等しく存在します。
いずれが正しいかは判りません。ただ賢治の作品は少なくないケースで物事に対して二元的・多元的な視野・価値観を以った捉え方を貴ぶ風があり(例えばやまなしのクラムボンは人間というマクロの視点からは観測すらできない無価値な存在だが、蟹というミクロの視点からは名義づけ定義づけ興味の対象となり得る有意義な存在という見方ができる)、その考え方に照らし合わせるのなら、結末部分のホモイの失明もまた、やはり理不尽な悲劇という一側面のみで捉えるべきではないと思います。
ただまぁ、仮に貝の火の正体が前回語った様に悪質な魔石で、ホモイの片目失明も賢者の智慧を得る試練だったとしても、善良な一平民の彼は痛みを伴い将来王となる兎生なんかより、父母との平和な日常の方が有り難かったでしょうけね。
hamagaki
詳しいご説明を、ありがとうございます。
先日の私のお返事は、表面的なものにすぎず恐縮でしたが、その後あらためて、「貝の火の輝きは所有する者の愚かしさの象徴」であり、所有者が真に知性を獲得すると光を失い飛び去ってしまうという仮説の当否について、自分なりに考えてみました。
いろいろ考えてみると、少なくとも以下の三つほどの理由で、なかなか難しいのではないかと、私には思われました。
一つには、この童話の展開を見ると、ホモイの持つ貝の火が光を失ったのは、彼が何らかの成長を遂げた可能性のあるタイミングとは一致しておらず、逆に狐が網で鳥を捕獲するのを許容し、さらに狐に脅されて捕らわれた鳥を残して逃げ帰るという、ホモイが物語中で最も愚かな行いをした、その晩のことだったのです。
火の消えた玉を見たホモイは、大声で泣くことしかできませんでした。
そしてホモイが何かを獲得したとすれば、それは火が消えた翌日に宝珠によって失明してからのことで、すなわち彼がその所有者ではなくなってからのことに思われます。
二つ目には、もしも「貝の火の輝きは所有する者の愚かしさの象徴」だとすれば、これは物語世界の中で全ての生き物たちによって信じられている貝の火の働きとは正反対なわけで、実は皆が騙され続けているのだということになり、それがこの仮説の魅力でもあるのですが、実際問題として物語中の長い歴史において、貝の火を賜った多くの者たちや、その周囲の一般の衆生を、貝の火が騙し続けることは果たして可能なのか?という問題です。
ホモイの例でも、上に述べたような難点はありますし、鷲の大臣の場合も、たとえばコメントで提示していただいたように、「実は部下を危険にさらして貝の火の回収にあたらせた」という、自己中心的な愚行を想定をする必要などが出てきます。
しかし鷲の大臣の場合は、もしもそこまで貝の火が大切ならば、小さな玉ですから避難指揮に出る際に身に着けていることもできたはずで、あえてそうせず貝の火を残したまま行動したのは、鷲の大臣が「宝珠よりも生き物の命の方が大切」と考えていたからと推測されます。
そしてそうであれば、その宝珠の回収のために、部下の命を危険にさらすとは思えません。
そして、災害の後に貝の火が回収された方法としては、貝の火の機能として「自分で飛んで行った」と考える方が、自然な感じがします。
ホモイや鷲の大臣以外の他の所有者の場合も、その人の行動と貝の火の輝きが、通常の予想と逆の相関を示すのであれば、多くの例が蓄積されていくうちに、いずれ誰かが気づいてもよさそうなものです。
となると、貝の火が一般の衆生を騙し続けることができるためには、何かそのように皆を欺くような「魔力」があったと考えるしかないように思われます。
そこで、三つ目の理由になりますが、貝の火がそのような「魔石」であり衆生を欺いているというのは、一般的に考えると非常に面白い趣向ではありますが、宮沢賢治が書く物語の設定としては、どうしても異質なものに思われるのです。
私としては、賢治の世界観の基盤には、浄土真宗を信じていた時代も法華経に移ってからも一貫して、「全ての衆生の救済を目ざし活動している仏(あるいは宇宙意志)という善意の存在があって、それは最終的には衆生を遍く無上道に導く」というような信仰があるように思うのです。
そして彼が書く物語は、そのような世界観を直接表現するわけではないものの、決してそれと矛盾することはなく、物語のどこかには、そういった善意によって示される「まこと」や「本当の幸い」への信頼が、秘められているように思うのです。
賢治の物語において、ご指摘のように「二元的・多元的な視野・価値観を以った捉え方を貴ぶ風」があるのは、確かにその通りと思います。
「どんぐりと山猫」の、「このなかでいちばんばかで、めちやくちやで、まるでなってゐないやうなのが、いちばんえらい」という言葉は、一般的な価値観を大きく転倒し、混ぜ返すものです。
しかし、ここで賢治は「価値相対主義」を説いているわけではなくて、たとえ価値は多元的であるように見えても、仏から見れば真の価値としての「善」や「正義」は確固として一元的に存在しており、ただ限られた洞察力しかない我々にはわからないだけなのだ、と考えているのだと思います。
「虔十公園林」の、「あゝ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません。たゞどこまでも十力の作用は不思議です」という話ですね。
また賢治には「黄いろのトマト」のように、一見すると世界の「理不尽さ」を抉り出すようなお話もありますが、しかし賢治は、自然主義文学のようにただ世界の「理不尽さ」や「冷酷さ」をここで描こうとしたのではないと思います。
「黄いろのトマト」という物語の眼目は、ペムペルとネリの遭遇した出来事を語る「蜂雀」が「あゝ、かあいさうだよ。ほんたうにかあいさうだ」と繰り返し同情し、それを聞いた「私」も「大へんかなしくなって」涙をこぼしたように、苦しみを味わった子供たちと他の者が一緒に苦しみ、今さら何もできないけれども何とかしてやりたいという、慈しみの感情を分かち持つという、そこにこそあるように思います。
私は上のコメントにおいて、「このお話が持っているある種の「理不尽さ」」という誤解を与えるような書き方をしてしまいましたが、これは物語の見かけ上のことを言っただけのことで、私自身はこの「貝の火」という物語を「理不尽な悲劇」と考えているわけではなく、「一見理不尽に見えるけれども、底の深いところでは仏の意志は貫徹しており、その視点から見れば、失明したホモイも〈しあわせ〉だったのだ」と感じています。
ということで、貝の火が実は魔石であり、実は衆生を欺いているという仮説に戻ると、それによってこの魔石が衆生を惑わすだけの存在であれば、これは仏教的価値観をベースにした賢治の物語にはそぐわない、ということになります。
しかしそうではなくて、この宝珠が「衆生を欺きつつも救済に導く」という役割を果たしているのであれば、仏でも救済のために「方便」という嘘をつくということもあるわけですから、賢治の信仰や世界観と矛盾しないことになります。
ただし、ここで違和感が生ずるのは、仏の使う「方便」の場合は、それによって衆生が救われると仏はすぐに「実はこれは方便であった」ということを衆生に明かしてくれるものであり、仏というものは「衆生をずっと騙し続けることはない」という、やはり相当に善意の存在に思われるというところです。
これに対して、たとえば旧約聖書の「ヨブ記」では、ヨブが神から受ける一見理不尽な災厄に関して、神は最後までその意図を説明することはなく、「人間が神の行いを理解することはできない」という原則が貫かれます。
このように厳格で畏怖すべき西洋の神に比べると、仏の方が「人に優しい」感じを私は抱いており、このようなところからも、「魔石が最後まで衆生を欺きつつ救済に導く」という設定には、違和感を覚える次第です。
賢治が「貝の火」を書いたのは、国柱会で「法華文学ノ創作」を勧められるよりは前のことで、そこまで意図的に仏教的価値観を込めようとしたわけではないでしょうが、それでも彼の持っていた信仰内容や仏の善意への信頼は、物語の設定に強く影響しただろうと思うのです。
以上、あくまで私が勝手に考えたことにすぎませんが、しかしこの「貝の火」という童話を、「理不尽な悲劇という一側面」でのみとらえるべきではないというご指摘は、私も全く同感です。
そして、ホモイにとってはたとえ宝珠なんかをもらうよりも、「父母との平和な日常の方が有り難かった」としても、このお話のような苦難の道へと踏み出さざるをえなかったというのは、その後の賢治自身の運命と一緒で、やはり避けることができなかったのだろうと思います。