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純粋贈与とそのリレー

 二人の人間の間に起こる出来事で、一方はそれを他方から贈られ・与えられたこととして体験する。
 贈与でありながら、そこには何の「返礼」も期待されていない。多くの場合、それはすでに不可能でさえある。
 贈られた側は、それによって否応なく何らかの「生成変化」をこうむる。時にそれは、過剰で暴力的と感じられることもある。
 しばしばそこを起点に、また新たな「贈与のリレー」が始まる……。

 上記のようにして、人間と人間との間に起こる「ある種の出来事」のことを、矢野智司氏は『贈与と交換の教育学』という本の中で、「純粋贈与」と呼んでいます。それは、マルセル・モースの『贈与論』以降、様々に論議されてきた「贈与」という概念を、批判的に乗り越えつつ、深く豊かに拡大しようとするものです。

贈与と交換の教育学―漱石、賢治と純粋贈与のレッスン 贈与と交換の教育学―漱石、賢治と純粋贈与のレッスン
矢野 智司

東京大学出版会 2008-02
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 矢野氏の挙げている、「純粋贈与」の具体的な例は、次のようなものです。

  1. アテネの街角で、様々な人に対して根源的な問いかけを続けたソクラテスは、市民に困惑や反発を招きもしたが、しかし一部の人の心には、新たな哲学の種子を胚胎させた。
    反対派のために有罪とされたソクラテスは、法の決定を受け入れ、毒を仰いで死んだ。
    ソクラテスの死後、その影響を受けたプラトンやクセノフォンらの哲学者は、師の考えをさらに発展させていく。
  2. 上記と同型のものとして、イエス・キリストの教えと、その十字架上の死。その後の使徒たちによる伝道。
  3. 夏目漱石の小説『こころ』における、「先生」の「私」に対する様々な関わりと、「先生」の自死。その後の「私」による追想と、手記の執筆。
  4. 夏目漱石と、その「漱石山房」に集った弟子たちとの関わり。漱石の死後の弟子たちの様々な回想と、創作活動。

 私自身、漱石の『こころ』を読んだのはもうはるか昔のことですが、この物語における「先生」の自死は、当時の私にはいま一つぴんとこないものでした。「先生」が、友人の「K」に対して深い罪責感を抱きつづけていたのは理解できるとしても、このタイミングで自ら死ななければならなかったのは、何故なのか? それは、現実に足場を持たない「高等遊民」と呼ばれる知識人の、脆弱さだったということなのか?
 しかし、そのような私の疑問は、矢野智司氏が示してくれた「純粋贈与」としての解釈によって温かく解け去るとともに、新たな視野が開ける思いがしました。

 矢野氏に導かれてあらためて読んでみると、「先生」は「私」の中に、再生しようとしていたのです。「私」にあてた遺書の中で、「先生」は述べます。

私は其時心のうちで、始めて貴方を尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中から、或生きたものを捕まへやうといふ決心を見せたからです。私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜らうとしたからです。その時私はまだ生きていた。死ぬのが厭であった。それで他日を約して、あなたの要求を斥けてしまった。私は今自分で自分の心臓を破つて、其血をあなたの顔に浴せかけやうとしてゐるのです。私の鼓動が停つた時、あなたの胸に新らしい命が宿る事が出来るなら満足です。(「先生と遺書」二)

 少なくとも「先生」は「私」に、何かを純粋に「贈与しよう」としていたのです。それは、「自分で自分の心臓を破つて、其血をあなたの顔に浴せかけやうと」するような、過剰で暴力的な側面をもっていますし、死ぬ以外にも他にやりようがなかったかとの思いは消えませんが、それでも「先生」は「私」に、何の見返りも求めずに、切実に何かを与えようとしてくれていたのです。
 先生の死の奥に、「K」に対する贖罪の気持ちもあったことは否定できないでしょうが、しかしそれだけだと考えてしまうと、これは何とも皮相な自殺になってしまいます。「私」がしっかりと受けとめてこその、「先生」の死なのです。

 突然に降りかかった、これほどまでに鮮烈な出来事にさらされると、人は何らかの変容をこうむらざるをえないでしょう。それがどんな意味を持つ体験であるのか、言葉で表現することも困難でしょうし、善いとか悪いとかいう基準で計れるものでもないでしょう。
 しかし、この「純粋贈与」を受けとった人間は、それを引き受けつつ、それ以前とは違ってしまった自分の生を、生きて行くしかありません。

 そしてこういう形で何かを受けとった人間は、それを与えてくれた人に「返礼」を行うのでなく、その体験を自分なりに咀嚼して、またあらためて他の人に「贈与」しようとすることが、しばしばあります。たとえば、ソクラテスの弟子たちが師の考えを書き残し発展させようと試み、イエスの使徒たちが迫害を耐えてその教えを広めようとしたように。
 ここに、矢野智司氏が「贈与のリレー」と呼ぶ現象が生じます。

 「純粋贈与」とは、基本的にこのように人から人へと受け渡されるものですが、宮澤賢治という変わった人は、人間世界の外部(=自然)から、人々のために、物語を受けとってくるという企てを行いました。
 矢野智司氏は、『注文の多い料理店』の「序」の引用に続けて、賢治のこのような試みについて、次のように位置づけています。

 もともと、賢治の童話は、作者が構想したのではなく、「林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりから」から賢治が贈られたものを、「ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを」というように賢治の身体(メディア)を一度通過させて、「そのとほり書い」たのだという。つまり、賢治の童話は、共同体の外部からの贈与物であり、それを賢治がメディアとなって、子どもに贈与したのだ。

 賢治にこのようなことができたのは、彼が自他の境界を超えて世界と溶け合い、それを「そのとほり」書くということ(=心象スケッチ)ができたおかげです。それを賢治は、子どもたちの「すきとほつたほんたうのたべもの」となるように願って、本の形にしたわけです。

◇          ◇

 思えば宮澤賢治という人は、いつも何かを人に「与えよう」としている人でした。
 質屋の店番を任されると、質草の値段不相応に多額のお金を渡してしまったり、東北砕石工場の技師になると、販売先の農民にも雇主の鈴木東蔵にも多くを「与え」たいので、自腹を切って値引きをしたり、自腹の出張を繰り返したりしました。
 死の前夜に、病床を一人の農民が訪ねてきて肥料相談を求めた時には、家族が止めるのも聞かずに長時間の相談に乗って、結果的には死期を早めてしまった可能性があります。しかしこれも、別に彼が死んでもいいと思っていたからの行動とは言えず、自分が人に与えられるものは、見返りなど関係なく、とにかく与えてあげたかった、ということなのかと思います。

 童話「祭の晩」には、次のような箇所があります。

 亮二はなんだか、山男がかあいさうで泣きたいやうなへんな気もちになりました。
「おぢいさん、山男はあんまり正直でかあいさうだ。僕何かいゝものをやりたいな。」
「うん、今度夜具を一枚持って行ってやらう。山男は夜具を綿入の代りに着るかも知れない。それから団子も持って行かう。」
 亮二は叫びました。
「着物と団子だけぢゃつまらない。もっともっといゝものをやりたいな。山男が嬉しがって泣いてぐるぐるはねまはって、それからからだが天に飛んでしまふくらいいいものをやりたいなあ。」

 また「銀河鉄道の夜」には、次のような箇所があります。

 ジョバンニはなんだかわけもわからずににはかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺をつかまへてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたやうに横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一一考へてゐると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持ってゐるものでも食べるものでもなんでもやってしまひたい、もうこの人のほんたうの幸になるなら自分があの光る天の川の河原に立って百年つゞけて立って鳥をとってやってもいいというやうな気がして、どうしてももう黙ってゐられなくなりました。ほんたうにあなたのほしいものは一体何ですか、と訊かうとして、それではあんまり出し抜けだから、どうしようかと考へて振り返って見ましたら、そこにはもうあの鳥捕りが居ませんでした。網棚の上には白い荷物も見えなかったのです。

 ここにあるのは、「自己犠牲」ではなくて、純粋に贈与をしたいという、理屈を越えた衝動のような思いでしょう。これら登場人物の感情は、そのまま賢治自身の心にあったものなのだろうと、私は思います。

 そして、こういう視点から見れば、カムパネルラがザネリを助けようとして川で溺れて死んでしまったのも、グスコーブドリがイーハトーヴの人々を冷害から救うために火山の灰とともに散ったのも、それぞれの場面では「自己犠牲」という行為を描くことが作者の目的だったのではなくて、実は「贈与」という出来事を呈示することが眼目だったのだ考えてみることができます。そしてそれは、私にとっては作品に新たな眺望を開いてくれるものでした。
 カムパネルラは、ザネリの命を救ったことにとどまらず、何よりもジョバンニに、生きる道を求める力を与えました。ブドリは、「たくさんのブドリのお父さんやお母さん」、「たくさんのブドリやネリ」に、その冬の暖かいたべものと明るい薪を贈りました。そして「たくさんのブドリやネリ」は、今度は人が命を失わずに、冷害を克服する技術を見つけようとするでしょう。

 そこからまた新たに「贈与のリレー」が始まるところが、「自己犠牲」 はそれ自体で完結してしまうところと比べて、最大の違いだと思います。

◇          ◇

 ところで、高木仁三郎氏は『宮澤賢治をめぐる冒険』において、このブドリの最期について、次のように述べています。

 このことについて、これは非常に悲劇的な作品だという言い方が私が読んだ限りでも作品評の中にいくつかありました。科学の限界を言っているという評もありますし、結局そこでブドリが死ぬことによってしか解決しなかったのは、とても悲劇的な作品であって、必ずしも成功ではないんじゃないか、という言い方もあると思います。
 私はあまり宗教的な観点というものがわからない人間ですので、そういう面から言うのではありませんが、この作品のこの結末は決して悲劇的ではないと思うんです。それは自己犠牲という文脈とも、またちょっと違うんではないかと思います。
 私が言っているのは、エコロジーという観点からものを見た場合の話です。実際にこの作品の一番最後のところは、

 そしてちやうど、このお話のはじまりのやうになる筈の、たくさんのブドリのお父さんお母さんは、たくさんのブドリやネリといつしよに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪で楽しく暮すことができたのでした。

 といって、終わっている。これは単にメデタシ、メデタシではなくて、むしろ、ブドリの試みというのが、また新しいブドリやネリに伝わって行くという、エコロジーの言葉でいえば、一種の循環ということを示しているのです。一つの死が次の生につながって行くという、仏教的にいえば輪廻ということになるのでしょうか。

 そして、「一つの死が次の生につながって行く」というこの部分は、13年後の高木仁三郎氏が死を前に、自らの「偲ぶ会」のために残した、「友へ 高木仁三郎の最後のメッセージ」という言葉に、ちょうど重なり合っています。

残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウムの最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの1年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。

後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な結局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。

 宮澤賢治から高木仁三郎へ、そしてまた「後に残る人々」へ・・・、という連鎖を思うと、たとえば、高木仁三郎氏もその一人である「イーハトーブ賞」の受賞者の方々などは、賢治からの贈与を確実に受けとめ、そしてそれを各々の立場から、さらに次に続く人々へと新たな贈り物を託す「贈与のリレー」を、目に見える形で行っているのだなと、あらためて感じます。

 そしてまた、今も地球のどこかで賢治の遺したものを読み継いでいるもっと数多くの人々は、たとえ目に見えない形でも、みんながやはりそのリレーに参加しているのだということを、思ってみたりするのです。

宮澤賢治をめぐる冒険―水や光や風のエコロジー 宮澤賢治をめぐる冒険―水や光や風のエコロジー
高木 仁三郎

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