岩波茂雄あて書簡214aが入札会に

 知り合いの古書店主さんから電話があって、「こんど賢治の直筆書簡がオークションに出ますが、おひとついかがですか?」と尋ねられました。
 「ええっ!」と驚いて詳細をお聞きし、送っていただいた「仮目録」が、本日手もとに到着しました。その表紙が下の写真です。

七夕古書大入札会

 この7月8日に、東京で「七夕古書大入札会」というのがあるのだそうです。
 そして、そこに出品されるという賢治の書簡は、下記の赤い枠で囲った品です。

岩波茂雄宛書簡214aなど

 これは、1925年(大正14年)12月20日付けの岩波茂雄(岩波書店店主)あて書簡で、『新校本全集』では、「214a」という番号が付けられているものですね。「ペン書便箋両面使用」とありますが、全集によればこの用紙は便箋ではなくて、賢治が詩作品の推敲用に自作した、「赤罫詩稿用紙」と呼ばれるものです。そして、岩波茂雄氏に見せるため作品サンプルとして同封していた「鳥の遷移」の謄写刷りも、ちゃんと付いているようです。

 そもそもこの書簡は、賢治が前年に出版した『春と修羅』の創作スタンスや、自らの世界観について述べた重要な資料でもあり、賢治研究においてしばしば引用されるものです。下に、その一部を引用します。

とつぜん手紙などをさしあげてまことに失礼ではございますがどうかご一読をねがひます。わたくしは岩手県の農学校の教師をして居りますが六七年前から歴史やその論料、われわれの感ずるそのほかの空間といふやうなことについてどうもおかしな感じやうがしてたまりませんでした。わたくしはさう云ふ方の勉強もせずまた風だの稲だのにとかくまぎれ勝ちでしたから、わたくしはあとで勉強するときの仕度にとそれぞれの心もちをそのとほり科学的に記載して置きました。その一部分をわたくしは柄にもなく昨年の春本にしたのです。心象スケッチ春と修羅とか何とか題して関根といふ店から自費で出しました。
(中略)
わたくしは渇いたやうに勉強したいのです。貪るやうに読みたいのです。もしもあの田舎くさい売れないわたくしの本とあなたがお出しになる哲学や心理学の立派な著述とを幾冊でもお取り換へ下さいますならわたくしの感謝は申しあげられません。わたくしの方は二・四円の定価ですが一冊八十銭で沢山です。あなたの方のは勿論定価でかまひません。
(後略)

 つまり、売れ残っている自分の『春と修羅』を一冊80銭に割り引くので、それと岩波書店で刊行している哲学書や心理学書を、交換してくれないかという申し出だったわけです。常識的に考えると、紹介者もなくいきなり無茶な要望のように感じられますが、やはり岩波茂雄氏はこの見知らぬ田舎教師の提案には、返事を出さなかったようです。

 また、賢治が書簡に同封していた謄写刷りの「鳥の遷移」は、森佐一あて書簡215において、「それから夏には謄写版で次のスケッチを拵えますから・・・」と書かれていたことに対応するものと見なされ、「春と修羅 第二集」の構想がそれなりに現実的だったことを実証する、一つの根拠ともされてきたものです。

 このような貴重な意味を持った書簡が、オークションに出品されるとは、まるで夢のような出来事ですが、気になるのはそのお値段ですよね。
 ということで上の写真を見ると、赤に白抜きで 500 と書いてあるのがおわかりと思いますが、この数字の意味は、「最低落札価格が500万円」ということなのだそうです。
 一緒に出されている他の品を見ると、明治24年の夏目漱石の正岡子規あて書簡・毛筆200行という立派なものが最低落札価格200万円、谷崎潤一郎の短篇毛筆原稿30枚が100万円というのですから、比べてみても賢治の書簡の人気がいかに高いかということがうかがわれます。

 まあこの値段を聞くと、「おひとついかが?」というわけにはいかなくなりますが、それでも何だか心が躍る気持ちがするとともに、いったいどんな人が落札するのだろうか、ちゃんと大事にしてもらえるかな・・・などと、余計な心配までしそうになります。

 この入札会そのものは、専門の業者のみによるもので一般の人は入れませんが、7月6日と7日に行われる「一般下見展観」ならば「入場無料」ということですから、お時間のある方にとっては目の保養になるかもしれません。場所は、千代田区神田小川町の「東京古書会館」だそうです。賢治が最後の上京で病臥した「八幡館」の、すぐ近くですね。


 さて、この「岩波茂雄あて書簡214a」の存在は、賢治の没後ずっと世に知られていませんでしたが、1970年代になって青木正美氏が、古書市に出品されていたものを偶然に発見したもので、その経緯は『古本市場 掘出し奇譚』に書かれています。そして、その後この書簡がまたどのような運命をたどったのかについて私は存じませんが、今回また古書市に(今度は掘り出し物としてではなく最高水準の価格ながら)出品されるということには、何か不思議な因縁を感じます。

 またもう一つ、こっちはささやかな偶然ですが、書簡に同封されていた「鳥の遷移」は、6月21日付け、つまり今日スケッチされたという由来を持つ作品です。
 謄写刷りになっているテキストは、赤罫詩稿用紙において推敲されるよりも早い段階の草稿で、下にその全文を引用しておきます。
 ここに出てくる「鳥」は、3年前の妹トシの死の後、いくつかの作品に亡き妹の魂の象徴として登場したその姿の残映なんでしょうね。「遷移」は、作品場面とともに、3年間の賢治の心の中でも起こってきたわけです。

   鳥の遷移

鳥がいっぴき葱緑の天をわたって行く
わたくしは二こゑのかくこうを聴く
あのかくこうが
飛びながらすこうしまへに啼いたのだ
それほど鳥はひとり無心にとんでゐる
鳥は遷り
あとはだまって飛ぶだけなので
前のひびきがそれぎりになり
碧い鏃のグラフをつくる
  ……青じろいそらの縁辺……
かくこうは移り
いまわたくしのいもうとの
墓場の方で啼いてゐる
  ……その墓森の松のかげから
    黄いろな電車がすべってくる
    ガラスがいちまいふるえてひかる
    もう一枚がならんでひかる……
鳥はいつかずっとうしろの
森にまはって啼いてゐる
あるひはそれはべつのかくこうで
さっきのやつはだまってくちはしをつぐみ
水を呑みたさうにしてそらを見上げながら
わたくしのいもうとの墓にとまってゐるかもしれない