「神様 (2011)」と活断層露頭

  • 内容分類: 雑記

 川上弘美『神様 2011』を、読みました。

神様 2011 神様 2011
川上 弘美
講談社 2011-09-21
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 たった45ページの、新書版と変わらないほど小さな本ですが、ハードカバーで繊細な装幀。表紙には、やさしく目を閉じたような「くま」が描かれています。
 内容は、川上弘美氏が1993年に書いたという初めての短篇「神様」と、2011年3月末に書いた「神様 2011」と、「あとがき」。

 いずれも、淡々とした静かな筆致です。

 「神様」という短篇は、現代の「なめとこ山の熊」であるかのように、ふと思いました。
 「わたし」と「くま」は、まるであたりまえのように対等です。命のやりとりをするような状況とは正反対にいますが、「小十郎」と「熊」のように、ふたりの間には心のかよい合いがあります。
 最後に「くま」は、「熊の神様のお恵みがあなたの上にも降り注ぎますように。」と、「わたし」のために祈ってくれました。「なめとこ山の熊」は、死んだ「小十郎」のために、月と星の光の下で、熊の神様に祈りました。

 ところで、この単行本で、「神様」と「神様 2011」の間には、下のような見開きの挿絵のページがはさまれています。

『神様 2011』挿絵

 前景は野菊と鉄条線、背景は川のようです。これは、「わたし」と「くま」がピクニックに行った川原なのかもしれません。

  「神様 2011」の中で、原発事故は「あのこと」と呼ばれていますが、事故そのものについては、何も述べられているわけではありません。すでに起こってしまったこととして、ひっそりと日常の中にあります。それでも「あのこと」のために私たちが失ってしまったもの、取り返しのつかないものは、淡々とした筆致によって、逆に鮮明に浮かび上がってきます。
 そういうものへの哀惜の念がこみ上げてくるのを、読みながら私は、おさえることができませんでした。
 たった45ページの、新書版と変わらないほど小さな本ですが、なんと強い力を持っているものかと思いました。

 高橋源一郎氏の小説「恋する原発」によれば、川上弘美氏はその後、「神様」と「神様 2011」のテキストを重ね合わせて、「神様 2011」という一つの作品にしたのだそうです。二つの作品を一つにするとは、いったいどういうことか?
 ここに、高橋源一郎氏が「恋する原発」(『群像』11月号)に引用した「神様 2011」を、再引用してみます。冒頭部分です。

 くまにさそわれて散歩に出る。川原に行くのである。歩いて二十分ほどのところにある川原である。春先に、鴫を見るために、防護服をつけて行ったことはあったが、暑い季節にこうしてふつうの服を着て肌をだし、弁当まで持っていくのは、「あのこと」以来、初めてである。散歩というよりハイキングといったほうがいいかもしれない。
 くまは、雄の成熟したくまで、だからとても大きい。三つ隣の305号室に、つい最近越してきた。ちかごろの引越しには珍しく、このマンションに残っている三世帯の住人全員に引越し蕎麦を同じ階の住人にふるまい、葉書を十枚ずつ渡してまわっていた。ずいぶんな気の遣いようだと思ったが、くまであるから、やはりいろいろとまわりに対する配慮が必要なのだろう。
[中略]
 川原までの道は元水田だった地帯)〔水田に沿っている。土壌の除染のために、ほとんどの水田は掘り返され、つやつやとした土かもりあがっている。作業をしている人たちは、この暑いのに防護服に防塵マスク、腰まである長靴に身をかためている。「あのこと」の後の数年間は、いっさいの立ち入りができなくて、震災による地割れがいつまでも残っていた水田沿いの道だが、少し前に完全に舗装がほどこされた。「あのこと」のゼロ地点にずいぶん近いこのあたりでも、車は存外走っている。)〔舗装された道で、時おり車が通る。どの車もわたしたちの手前でスピードを落とし、徐行しなから大きくよけていく。すれちがう人影はない。たいへん暑い。田で働く人も見えない。〕(「防護服を着てないから、よけていくのかな」
 と言うと、くまはあいまいにうなずいた。
 「でも、今年前半の被曝量はがんばっておさえたから累積被曝量貯金の残高はあるし、おまけに今日の SPEEDI の予想ではこのあたりに風は来ないはずだし」
 言い訳のように言うと、くまはまた、あいまいにうなずいた。くまの足がアスファルトを踏む、かすかなしゃりしゃりという音だけが規則正しく響く。
[後略]

 文中に出てくる( )〔 〕などの記号が謎ですが、以下はそれに関する高橋源一郎氏の説明。

 この「神様 2011」は三つの「層」でできている。「神様」と「神様 2011」で、変更が加えられていない部分はそのまま印刷されている。( )でくくられた部分は、「神様」にはなく「神様 2011」に新たに書き加えられた部分だ。そして〔 〕でくくられた部分は、「神様」にはあったのに「神様 2011」で削除された部分である。

 つまり「神様 2011」においては、「神様」と「神様 2011」との間でどこが変わったのかということを、はっきりと意識しながら読み進められるようになっているのです。この( )〔 〕を用いた表記ルールを知れば、「神様」と「神様 2011」を重ね合わせた作品の題名が、なぜ( )の付いた「神様 2011」になっているのかということも、腑に落ちますね。
 高橋源一郎氏は、つづけます。

 「あの日」の前と後で、世界はすっかり変わってしまった。簡単にいうなら、「あの日」の後、世界には( )でくくられた部分が出現し、世界から〔 〕の部分は消失したのである。
 だから、わたしたちは、この「神様 2011」を、掘り出された地層の断面のように読むことができる。そして、この「地層の断面」こそが、わたしたちが生きている世界の構造なのである。

 過去の地表と、現在の地表とを、それぞれ別々に見るのでなくて、それらが立体的に重なり合っている様子を、高橋氏は「地層」と呼んでいるわけです。
 記号によって分節されたテキストは、ふつうに読むには煩雑ですが、三次元の立体を二次元の紙に印刷した「展開図」を眺める時のように、少しイメージを働かせれば、不思議な「奥行き」が見えてきます。

 ところで私は、ほかにもちょうどこんな風に、テキストに〔 〕とか( )などの記号が付けられた「作品」があったことを、思い出します。

 一つにそれは、入沢康夫氏の詩「かつて座亜謙什と名乗つた人への九連の散文詩」です。
 その中の、「第三のエスキス」は、次のように始まります。

かつて座亜謙什と名乗つた人への九連の散文詩
第三のエスキス

〔(ナシ2かつて座亜謙什〔(ナシ2と→を名乗つた人→3と/名乗つた人→4と名乗つた人への〔(ナシ3〕〔一四→1連の散文詩〔(ナシ3エスキス4第二のエスキス)〕

        一、

あなたの〔(ナシ2あとを追つて→2逆にたどつて→3辿つてしばしばは逆に辿つて)〕私たちは長い→2しばらく→3長い旅をして来たのだが〔(ナシ3それでゐて私たちはまだ〔(一字アキ3あなたの本当の→2真実の名前を知らない〔(一字アキ3ただわづかに〔(一字アキ紙の余白に→3)〕〔(一字アキ3あなたが戯れのやうに〔(ナシ3、砂に書き遺して行つた座亜謙什の名でもつて〔(一字アキ3)〕私たちはあなたを〔(ナシ3、あなたの幻を呼ぶ〔(一字アキ2一字アキ私たちが村境の土手に並んで→3。私たちが、国境の土手に一列に並んで、二たび三たび〔(一字アキ3)〕西に向つて声をあげれ→3放て〔(一字アキ3暮春の月が私たちの〔(ナシ→頭上に〔(一字アキ3)〕黒い→3茶けた光を落してよこす一字アキ3幾本となく吊り下げる。
[後略]

 これは、さっきのよりももっと複雑です。「神様 2011」には、原発事故前と事故後の二つの地層が含まれていましたが、この入沢氏の詩には、もっとたくさんの何層ものレイヤーが積み重なっています。
 上記で、123・・・という「上付き数字」は、本来は「丸数字」なのですが、パソコンの機種依存文字を避けるため、ここでは便宜上こうしました。引用部分では1から4までの数字が出てきますが、これは、4回の推敲のそれぞれの段階で、字句がどのように書き換えられたかということを表しているようです。

 この作品において、「あなた」あるいは「かつて座亜謙什と名乗つた人」と呼ばれている人物は誰なのか。それは本来は、「詩」という構築された空間における出来事でしょうが、私たちとしてはひそかに「あの人」のことを考えて読んだとしても、とがめられることはないでしょう。
 「かつて座亜謙什と名乗つた人への九連の散文詩」が書かれた1977年、筑摩書房から刊行されていた『校本宮澤賢治全集』が完結し、その編集委員であった入沢康夫氏は、まさに「あなたの足あとを辿つて(しばしばは逆に辿つて)」厖大な草稿をめぐる長い旅を、終えたところだったのです。
 なによりも、上の作品で使われている複雑な記号は、その『校本宮澤賢治全集』の編集過程において、作者によるすべての推敲プロセスを表記するために、入沢氏らによって考案されたものでした。

 たとえば下記は、『春と修羅』所収「風の偏倚」における手入れの過程です。「詩集印刷用原稿」における推敲は1として、「菊池本」における推敲は2として、あわせて表示しました。

[前略]
〔(ナシ2杉の列には山鳥がいっぱいに潜み→んで
ペガススのあたりに立ってゐた→2る)〕〔のだが→1)〕
いま雲は一せいに散兵をしき
極めて堅実にすすんで行く
おゝ私のうしろの松倉山には
用意された一万の硅化流紋凝灰岩〔(ナシ1の弾塊があり
〔《(ナシ1(》明治廿九年→1)〕川尻〔(ナシ2断層〔(ナシ→地震のとき以来→1から→2以来/息を殺してま1)〕ってゐる。1
私が→2)〕〔(ナシ→巻時計を光らし過ぎれば落ちてくる
空気の透明度は水よりも強く→)〕
松倉→2ところが→しかも》〕山から生えた木は
敬虔に天に祈ってゐる
〔(ナシ2空気の透明度が→は水よりも強く
辛うじて赤いすすきの穂がゆらぎ→2
[後略]

 宮澤賢治のテキストの「地層」は、『新校本全集』において、たとえばこんな方法で記されています。
 賢治自身が稗貫郡の地層を調査するために山野を歩きまわったように、入沢康夫氏や天沢退二郎氏は、賢治の草稿に何層にも積み重なったレイヤーを調べあげたわけです。

 ところで、上の作品に出てくる「川尻断層」とは、『新宮澤賢治語彙辞典』によれば、「陸羽地震(川尻断層地震とも。賢治誕生4日後の1896(明治29)年8月31日)で生じた断層」とのことです。(ちなみに私は、この作品に出てくる「川尻断層」というのは「川舟断層」の誤記ではないかと個人的に思うのですが、ここでは措いておきます。)
 いずれにせよ、内陸を震源とした大きな地震の際には、活断層の露頭が地上に出現することがあります。最近では、阪神淡路大震災における「野島断層」が有名です。北淡町の小倉地区では、高さ50cm、横ずれ1.5mの地震断層が、長さ140mにわたって地表に現れたということです。

 「あのこと」の前と後で、世界の相貌はどのように変わったのか。それによって、私たちは何を失い、何に侵入されたのか……。
 川上弘美氏の「神様 2011」は、原発事故によって日常の中に忽然と(活断層露頭のように)出現した「地層の断面」を、静かに、しかし白日のもとにはっきりと、示してくれています。