賢治と嘉内の東京 宮澤賢治と保阪嘉内が、1916年(大正5年)から1921年(大正10年)の間で、東京に滞在していた期間を図にしてみました。 赤色が賢治の東京滞在、青色が嘉内の東京滞在です。 とりあえず今はこれだけですが、やはり賢治が書簡166(1920年7月22日)の中で、「東京デオ目ニカヽッタコロハ…」と書いているが一体いつのことだったのかということが、気になるのです・・・。 ツイートする この記事に付けられたタグ 保阪嘉内(40記事), 東京(12記事) 前の記事 次の記事 コメント コメントの投稿 コメントの返信 コメント (スタイル用のHTMLタグを使えます) お名前 メールアドレス(任意) URL(任意) サインイン情報を記憶
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