爆音聴音のAワンとG1

 「爆音聴音」というのは、木曜日の夜にお笑いコンビが学者さんのところへ行くNHK番組の題名ではありません(←それは「爆問学問」!)。
 太平洋戦争のさなか、国民学校の「音楽」の授業では、アメリカや日本の各種戦闘機の爆音が録音されたSPレコードをかけて、戦闘機の機種、高度などを聴き分けさせるという訓練を、子どもたちに行っていました。それが「爆音聴音」です。
 音楽における「聴音=ソルフェージュ」の練習というのは、先生がピアノで弾くメロディーを聴いて楽譜に書きとるというもので、私も中学生の頃に受けていたことがありましたが、これを何と「爆音」で行うわけですね。四国の片田舎で育った私の父が戦時中に小学校でそういう授業を受けたという話をツイッターでしたところ、山梨県でも行われていたとの情報もいただきました。

 「音を楽しむ」と書く「音楽」の授業において、今にも到来するかもしれない空襲に備えて、「生き延びる」ための聴音訓練が行われていたという現実・・・。それは、戦争という限界状況下の子どもたちの日常を、浮き彫りにしてくれています。突然の敵襲への怯えやこういう訓練も知らずに育つことができた私たちは、幸運だったのでしょう。
 しかし考えてみれば、この戦時中の教育訓練は、「敵」が伴う爆音がはっきりと聴覚によってとらえられ、もしもそれを感知したら「防空壕へ入る」などの対処行動が明確化されていたおかげで、実施することができたわけです。
 これに比べて、いま福島で暮している子どもたちは、自分が置かれている環境がはたして危険なのか安全なのかも知らされず、自分たちの日々の行動が適切なものなのかどうかもわからないままに、「毎日、明るく、楽しく、仲良く、安心した生活を送ること」を求められているのです。(下記は、文部科学省から教育現場への配布資料「放射能を正しく理解するために」より)

文部科学省「放射能を正しく理解するために」p.40

 政府当局が発表する情報をそのまま鵜呑みにできないのは、戦時中でも現代でも同じでしょうが、戦争のように「敵」がはっきり見えず危険性の評価も定まらない状況は、もっと得体の知れない不安を伴っています。
 文部科学省は上記の資料で、子どもに対しても年間 20mSv という(専門家からは異論の多い)基準をあらためて明示するとともに、「放射能のことを必要以上に心配しすぎてしまうとかえって心身の不調を起こします」と怖がらせるようなことを言って、この際みんなで思考を停止することを推奨しています。

◇          ◇

 とは言っても、これからの福島が、日本がどうなっていくのか、「必要以上に心配しすぎてしまう」ことを禁じ得ません。人々の生活の場所はどうなるのか、今は作業員の方が事態収束のために働いているものの本来は立ち入るべきでない原発近辺の区域は、1年後、5年後にいったいどうなるのか・・・。

 その昔、賢治も岩手山の麓のある場所に行った際に、そのあまりにも荒涼・殺伐として不毛な情景に、「地獄」を幻視したことがありました。岩手山東麓の「焼走り溶岩流」という地域がそれで、最大幅2.8km×1.0kmの範囲に、1732年に岩手山が噴火した時に流れ出た溶岩の冷えて固まったものが、一面ゴツゴツと暗黒色に広がっているのです。

焼走り熔岩流

 噴火からもう300年近くが経とうとしているのに、黒い溶岩は風化もせず生々しい姿ではるか遠くまで続き、なんか地球上の景色ではないような感じがしてきます。「甲子園球場39個分」の広大な土地には、少量の苔類がかろうじて生えているだけで緑はまったくなく、文字どおり「不毛の地」という情景です。もちろん放射能なんかないのですが、噴火によってその後300年にもわたり普通の植物が1本も生えなくなってしまうとは、自然の生み出した不思議な環境です。

 さて、宮澤賢治はこの「焼走り溶岩流」を訪れた際に、「鎔岩流」(『春と修羅』)および「国立公園候補地に関する意見」(「春と修羅 第二集」)という詩を作りました。前者は格調高くこの風景を謳い、後者はそれと対照的に、とてもユーモラスな語り口です。

三三七
     国立公園候補地に関する意見
                           一九二五、五、一一、

どうですか この鎔岩流は
殺風景なもんですなあ
噴き出してから何年たつかは知りませんが
かう日が照ると空気の渦がぐらぐらたって
まるで大きな鍋ですな
いたゞきの雪もあをあを煮えさうです
まあパンをおあがりなさい
いったいこゝをどういふわけで、
国立公園候補地に
みんなが運動せんですか
いや可能性
それは充分ありますよ
もちろん山をぜんたいです
うしろの方の火口湖 温泉 もちろんですな
鞍掛山もむろんです
ぜんたい鞍掛山はです
Ur-Iwate とも申すべく
大地獄よりまだ前の
大きな火口のヘりですからな
さうしてこゝは特に地獄にこしらえる
愛嬌たっぷり東洋風にやるですな
鎗のかたちの赤い柵
枯木を凄くあしらひまして
あちこち花を植えますな
花といってもなんですな
きちがひなすびまむしさう
それから黒いとりかぶとなど、
とにかく悪くやることですな
さうして置いて、
世界中から集った
猾るいやつらや悪どいやつの
頭をみんな剃ってやり
あちこち石で門を組む
死出の山路のほととぎす
三途の川のかちわたし
六道の辻
えんまの庁から胎内くぐり
はだしでぐるぐるひっぱりまはし
それで罪障消滅として
天国行きのにせ免状を売りつける
しまひはそこの三つ森山で
交響楽をやりますな
第一楽章 アレグロブリオははねるがごとく
第二楽章 アンダンテ やゝうなるがごとく
第三楽章 なげくがごとく
第四楽章 死の気持ち
よくあるとほりはじめは大へんかなしくて
それからだんだん歓喜になって
最后は山のこっちの方へ
野砲を二門かくして置いて
電気でずどんと実弾をやる
Aワンだなと思ったときは
もうほんものの三途の川へ行ってるですな
ところがこゝで予習をつんでゐますから
誰もすこしもまごつかない またわたくしもまごつかない
さあパンをおあがりなさい
向ふの山は七時雨
陶器に描いた藍の絵で
あいつがつまり背景ですな

 溶岩がゴロゴロの殺風景な情景を生かし、ここを「地獄」に見立ててあれこれ演出し、国立公園候補地として売り込んだらどうかという空想です。
 いろいろな趣向が並べられますが、最後はここで「交響楽」を演奏して、その最中に「野砲」をずどんとぶっ放すという破天荒な企画・・・。

 ところで、この賢治の着想のヒントに、チャイコフスキーが1880年に作曲した「序曲1812年」という曲があったことは、かなり確かだろうと私は思っています。
 「序曲1812年」は、同年のナポレオンによるロシア遠征を題材に、結局は彼の率いるフランス軍を退却に追い込んだロシア軍(および冬将軍)を讃える標題音楽で、フランス軍を表わす「ラ・マルセイエーズ」の旋律と、ロシア帝国国歌「神よツァーリを護り給え」が、象徴的に使われます。そして、最後の方では実際に何発もの大砲(カノン砲)が効果音として使われるという、勇壮な(悪趣味な?)音楽なのです。
 下記は YouTube から、2007年埼玉県朝霞駐屯地における陸上自衛隊による「序曲1812年」の吹奏楽版演奏の、最後の部分です。

 これはもちろん空砲ですが、賢治は「野砲を二門かくして置いて/電気でずどんと実弾をやる」というんですから、賢治もかなり悪ノリですね。

 ということで、長々とまとまらないことを書いてきましたが、今日のテーマは、この「電気でずどん」の次の行(終わりから8行目)の、「Aワンだなと思ったときは/もうほんものの三途の川へ行ってるですな」に出てくる「Aワン」というのはいったい何か?ということです。実は、この「Aワン」とはどういう意味かと、先日の深夜にツイッターで質問を受けたのです。

 はて、これは今までちゃんと考えたことはなかった問題でした。当初は何のことか見当もつきませんでしたが、作品中の状況としては、野砲で「ずどん」とやった直後に、「Aワンだなと思ったときは・・・」と続きますので、なにか野砲に関係があるような文脈です。
 「教えて!goo」によれば、アメリカ軍の武器には「A-1」などの型番が付いたものがいろいろあるようなので、その場では苦しまぎれに「野砲の型番か何かではないでしょうか?」などとお答えしたりもしましたが、どうもしっくりきません。

 そこで次の日に、この作品の先駆形テキストも調べてみると、その「下書稿(二)」においては、この部分は「Aワン」の代わりに「G1」となっていたのでした。

最后は山のこっちの方へ
野砲を二門かくして置いて
電気でずどんと実弾をやる
G1だなと思ったときは
もうほんものの三途の川へ行ってるですな

 つまりこれは、「Aワン」と「G1」のどちらでも当てはまるような、「何か」なんでしょうね。
 大砲の型番でも、「A-1」や「G-1」というのが存在する可能性を否定できませんが、よく似た製品だったら「A-1」「A-2」・・・とかいう風に番号が振られそうなもの。「A」と「G」というのはアルファベットとしてかなり離れていますから、もしこういう型番のものが存在しても、かなり異なったタイプの機種になってしまうのではないか・・・など、あてもないことを考えたりしていました。

 そんな時にふと、「A」と「G」という離れた文字が、仲良く並ぶ場合が一つあることに気がつきました。
 それは、「音名」です。

音名

 上図のアルファベットは英米式による音名で、ドイツ式だと「B」ではなく「H」になりますが、本日の問題には影響しません。階名でいう「ソ」が「G」、「ラ」が「A」で、ここでGとAが並ぶのです。

 野砲の音が「ずどん」と響いた時、その音を絶対音感のある人が聴いたならば、それが例えば「A」の音だとか「G」の音だとかいうことは、即座に判定できるはずです。「電気でずどんと実弾をやる/Aワン(G1)だなと思ったときは・・・」というのは、大砲の音が何の音だか分かった時には・・・」という意味なのではないでしょうか。
 これはまさに、冒頭に触れた「爆音聴音」にあたるわけですが、この場合は交響楽と一緒に爆音が鳴るわけなので、音の高さはより意識しやすいかもしれません。

A1とG1 もしそうであれば、「Aワン」「G1」というのも、おのずと定まります。音名の「オクターブ表記」において、国際式表記による「A1」(=ドイツ式表記による「A1」)、国際式による「G1」(=ドイツ式による「G1」)は、いずれもそれぞれ右記の音のことです。
 しかしこれは、通常の音楽ではめったに使われることのない、非常に低い音です。賢治が弾いていたチェロの最低音は「C2」ですが、それよりも3度、あるいは4度低い音で、一般的な音楽で旋律を奏でるために用いられるということは、まずありません。
 しかしそれだけ低いからこそ、「野砲」の音としては十分ありえるものとも言えます。

 ここで試しに、この音が実際にはどんな音なのか、お聴きいただきましょう。
 楽器としては、野砲の音をイメージするために、打楽器のティンパニを使ってみました。ただし、現実のティンパニは、F2が実用上の最低音とされており、カタログ上では径32インチの楽器でD2まで出るように書かれていますが、ここまではなかなか使いにくいようです。
 A1やG1となるとそれよりさらに低く、実際のティンパニでは演奏できません。しかし、これはあくまで「野砲」の音のシミュレーションですので、今回は「Microsoft GS Wavetable Synth」という Windows に付属しているソフトウェアMIDI音源を用いて、DTM的に出してみました。つまり、「ヴァーチャル・ティンパニ」の音というわけです。

 まずは、「A1」の音。

A1.mp3

 次に、「G1」の音。

G1.mp3

 いかがでしょうか。ノートパソコンなどの小型のスピーカーでは、低い音がうまく出ないかもしれません。そもそも、これほどの低音になると、通常の楽器音のように「音程」というものを感じとりにくくなってしまいます。
 しかし、「野砲」の雰囲気はけっこう出ているのではないでしょうか?

 ということで、詩「国立公園候補地に関する意見」やその「下書稿(二)」に出てくる「Aワン」「G1」という語は、野砲の音を「爆音聴音」して聴き分けた「音名」なのではないかというのが、今日のお話でした。

◇          ◇

 賢治の時代には、野砲の発射音の音名を当てたからと言って何の役に立つものとも思われなかったでしょうが、冒頭の「爆音聴音」につながる軍事目的の聴音訓練を推進したのは、ジャズもやっていた音楽教育者の笈田光吉氏で、1939年以降のことでした。最相葉月著『絶対音感』によれば、海軍大佐の平出英夫氏は「大東亜戦争と音楽」と題した講演の中で、「今日は音楽の戦争といえる時期にある。耳の感がよいことは、音に対する感がよいということであり、戦争の勝敗に非常な影響がある。」と述べたということです。
 また、日本最初の国際的ピアニストと言える園田高弘氏(1928-2004)は、東京音楽学校の学生時代にさまざまな艦船や爆撃機の音を聴き分ける実験に従事し、木更津の航空隊に呼ばれて「人間レーダー」のように飛行機の高度や方向を検知させられたこともあったということです。「本当なら学徒動員で、昭和20年9月1日から浦賀水道のの岬の要塞で水中聴音を行うところでした。一発で魚雷で死んでいたでしょう」とは、戦後の園田氏の言葉です。

 以上、「音楽力の軍事利用」という、今から思えば不思議な計画が進められていた頃の話です。
 そして今から何十年か経った先には、「原子力の平和利用」という計画は、果たしてどのように振り返られるのだろうかと、ふと関係ないことを考えたりもします。

焼走り鎔岩流