鎔岩流

   

   喪神のしろいかがみが

   薬師火口のいただきにかかり

   日かげになつた火山礫堆(れきたい)の中腹から

   畏るべくかなしむべき砕塊熔岩(ブロツクレーバ)の黒

   わたくしはさつきの柏や松の野原をよぎるときから

   なにかあかるい曠原風の情調を

   ばらばらにするやうなひどいけしきが

   展かれるとはおもつてゐた

   けれどもここは空気も深い淵になつてゐて

   ごく強力な鬼神たちの棲みかだ

   一ぴきの鳥さへも見えない

   わたくしがあぶなくその一一の岩塊(ブロツク)をふみ

   すこしの小高いところにのぼり

   さらにつくづくとこの焼石のひろがりをみわたせば

   雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き

   雲はあらはれてつぎからつぎと消え

   いちいちの火山塊(ブロツク)の黒いかげ

   貞享四年のちいさな噴火から

   およそ二百三十五年のあひだに

   空気のなかの酸素や炭酸瓦斯

   これら清洌な試薬(しやく)によつて

   どれくらゐの風化(ふうくわ)が行はれ

   どんな植物が生えたかを

   見やうとして私(わたし)の来たのに対し

   それは恐ろしい二種の苔で答へた

   その白つぽい厚いすぎごけの

   表面がかさかさに乾いてゐるので

   わたくしはまた麺麭ともかんがへ

   ちやうどひるの食事をもたないとこから

   ひじやうな饗応(きやうおう)ともかんずるのだが

   (なぜならたべものといふものは

    それをみてよろこぶもので

    それからあとはたべるものだから)

   ここらでそんなかんがへは

   あんまり僭越かもしれない

   とにかくわたくしは荷物をおろし

   灰いろの苔に靴やからだを埋め

   一つの赤い苹果(りんご)をたべる

   うるうるしながら苹果に噛みつけば

   雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き

   野はらの白樺の葉は紅(べに)や金(キン)やせはしくゆすれ

   北上山地はほのかな幾層の青い縞をつくる

     (あれがぼくのしやつだ

      青いリンネルの農民シヤツだ)

 

 


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(宮澤家本は手入れなし)