「ヒデリ」論の私的メモ

 先日、「入沢康夫『「ヒドリ」か、「ヒデリ」か』」という記事を書いて、入沢さんの近著をご紹介いたしましたが、当該記事に昨日コメントをいただき、「Web上にある入沢康夫氏の「「ヒドリ―ヒデリ問題」について」(宮沢賢治学会イーハトーブセンター・ライブラリ所収)という文章を読んでも納得がいかないので、「迷わぬようにお導きください」との依頼を受けました。
 私は、この問題に関して人様の「導き」をするような立場にはありませんし、ご参考のために何かを書こうとしても、入沢氏の上掲書の内容を受け売りする以上の知識も何も持っていません。この問題に関するモノグラフまで出された専門家を差し置いて私がそのようなことをするなど、僭越きわまりないとも思います。
 そこで、上記コメントのご依頼に対しては、「どうか直接、入沢氏の著書をお読み下さい」とだけお返事をしようかと、当初は考えました。

 しかし、それもあんまり素っ気ない対応ですし、賢治に対する真摯な思いから縁あって拙サイトにコメントを下さったことを思えば、ここは私なりに、入沢康夫氏の『「ヒドリ」か、「ヒデリ」か』の内容をもとに、「なぜ、「ヒデリ」と校訂することが妥当であると、この私も考えているのか」ということを、個人的メモとして記させていただくことにします。
 入沢康夫様、ご著書からかなり多くの引用をさせていただくことになりますが、どうかご容赦下さい。以下の文章では、入沢康夫著『「ヒドリ」か、「ヒデリ」か 宮沢賢治「雨ニモマケズ」中の一語をめぐって』(書肆山田)のことを『入沢書』と略記します。

 コメントを下さったノラ様は、「なぜ「ヒドリ」では不適切で、「ヒデリ」へと校訂せざるをえなかったか」という点がどうしても納得できないということのようですので、その点を中心に、私の理解している範囲のことを述べます。
 なお、ノラ様のお考えは、ノラ様のこちらのブログ記事の「コメント欄」に長文で書かれています。


1.賢治が実際に「ひどり」と書いた(書きかけた)他の例の存在

 「〔雨ニモマケズ〕」の手帳上のテキストでは、もちろん「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」となっているのですが、賢治が「ひどり」と書いた(書きかけた)のは、この一例だけではありません。

 一つは、「毘沙門天の宝庫」(「口語詩稿」)という作品の下書稿において、「旱魃」という語にルビを振ろうとして、「ひど」まで書いて「ど」の字を消し、続けて「でり」と書いているのです。「ひでり」と書こうとしたが、「ひど」と書きかけて自分で気づいて訂正したわけですね。
 下画像は、『入沢書』p.57に掲載されている「毘沙門天の宝庫」の下書稿において、賢治が「ひ[ど→(削)]でり」と訂正した箇所です(赤丸は引用者)。

「毘沙門天の宝庫」(下書稿)より

 「ひ」の次に「ど」と書いて、グルグルと渦で消し、下に「でり」と書いてあります。
 この作品においては、賢治自身が書きながら気づいたので、「ひどり」という単語としては残りませんでしたから、後に論争の種となることもありませんでした。それでも、「賢治が「ひでり」と書こうとして、うっかり「ひどり」と書きそうになる傾向があったかもしれない」という、一つの所見にはなります。

 ところが、現実に「ひどり」という形で残されてしまった例が、「〔雨ニモマケズ〕」以外にも存在するのです。
 下の画像は、童話「グスコーブドリの伝記」が、1932年(昭和7年)に最初に『児童文学』という雑誌に発表された際の誌面の一部で、『入沢書』p.54に掲載されています(傍線は引用者)。

「グスコーブドリの伝記」(『児童文学』発表形より)

 赤い傍線を引いた部分に、「ひどり」と書いてあります。これは、作者の原稿をもとに活字を組んで出版された最終形態ですから、これを尊重して、「グスコーブドリの伝記」のこの箇所は、あくまでも「ひどり」として現在も出版し、子供たちに読ませるべきでしょうか。
 問題は、ここで「ひどり」と記されている単語の意味も、「〔雨ニモマケズ〕」の「ヒドリ派」の人々が主張するように、「日雇い稼ぎの賃金・またはその労働のこと」なのか、否かです。

 文章の内容を検討すると、「次の年もまた同じやうなひどりでした。」とあることから、その前の年の描写を見ると、「植ゑ付けの頃からさつぱり雨が降らなかつたために、水路は乾いてしまひ、沼にはひびが入つて、秋のとりいれはやつと冬ぢゆう食べるくらいでした。」とあります。
 これは、「ひでり=旱害」の記述以外の何物でもありません。

 かりにここで、前の年に「日雇い稼ぎに出た」などという記載があったとしたら、「次の年もまた同じやうなひどりでした」という文の意味は、「次の年も同じように日雇い稼ぎに出た」と考えられなくもありませんが、前年に「ひでり」の描写があって、「次の年も同じように日雇い稼ぎに出た」では、文章の意味が通りません。どこにも「同じやうな」ところがないのです。

 したがって、「グスコーブドリの伝記」におけるこの「ひどり」の語は、「ひでり」の誤りであると考えられます。当然のことながら、これまで出版された各種全集においては、この箇所は校訂によって「ひでり」と改められています。

 誤りが起きたポイントとしては、(1)作者が原稿に「ひどり」と書き誤っていた可能性、あるいは(2)作者は「ひでり」と書いていたが活字に組む段階で誤って「ひどり」としてしまった可能性、の二つが考えられますが、「毘沙門天の宝庫」下書稿に現れていたように、賢治が「ひどり」と書き誤りやすい傾向をもっていたことからすると、(1)の蓋然性が高いように思われます。そもそも、活字を組む職人さんが、まるで現代の「ヒドリ―ヒデリ問題」を予測したかのように、そんなに都合よく「ひでり」を「ひどり」と組み間違えてくれたとはとても思えません。
 したがって、「グスコーブドリの伝記」においても、賢治は「ひでり」と書こうとして誤って「ひどり」と書いていた可能性が高いのです。
 となると、「〔雨ニモマケズ〕」においても同様に、「ヒデリ」と書こうとして「ヒドリ」と書いてしまった可能性は、やはりありえます。

 ここでちょっと個人的に思うのは、「〔雨ニモマケズ〕」において「ヒドリ」説を主張する方は、「グスコーブドリの伝記」のこの箇所に関しても「ひどり」説を主張されて当然と思うのですが、なぜか「〔雨ニモマケズ〕」のことしか問題にされません。なぜ「グスコーブドリの伝記」も取り上げられないのか、理由を一度お訊きしてみたいものだと思っています。
 もしも、「グスコーブドリの伝記」において、「ひどり→ひでり」の校訂を是とされるならば、「〔雨ニモマケズ〕」だけにおいて非とされるのは、理屈に合わないと思います。


2.同じ手帳に記された類似内容の戯曲メモに「ヒデリ」とある

 「〔雨ニモマケズ〕」が記されている手帳は、賢治が晩年に病床で使っていたものですが、その同じ手帳の少し後には、「土偶坊」と題した一種の戯曲のメモのようなものが記されています。下の画像が、その一部です(『新校本全集』第十三巻(上)「本文篇」p.531より)。

「土偶坊」メモ

 題名と思われる「土偶坊」は、「デクノボウ」と読むのでしょう。右ページの最後の行にも、小さな字ですが「デグノ坊見ナィナ」などと記されています。題名の横には、「ワレワレカウイフモノニナリタイ」と書かれており、これはまさに「〔雨ニモマケズ〕」最終2行の「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」に対応しています。この戯曲?の構想が、「〔雨ニモマケズ〕」の内容と密接に関わっていることを、示唆しています。
 さて、このメモで左ページの「第五景」と題されたところには、「ヒデリ」という言葉が書かれています。すなわち、賢治はおそらく「デクノボー」が主役となるであろうこの戯曲において、「ヒデリ」の場面を考えていたのです。
 この事実も、「〔雨ニモマケズ〕」においても、「ヒドリ」ではなくて「ヒデリ」の時のデクノボーの様子が描かれていると考えることの妥当性を、支持していると思います。


3.「ヒデリ」なら文章の整合性があるが「ヒドリ」では崩れる

(1) 対句的表現
 「〔雨ニモマケズ〕」というテキストは、「雨ニモ」「風ニモ」「雪ニモ」、「東ニ」「西ニ」・・・など、「対句」的表現に満ちています。
 問題の箇所が、「ヒデリノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオロアルキ」であれば、それぞれ「旱害」と「冷害」という、気象条件による代表的な農作物への被害として、「対句」をなします。しかし、これが「ヒドリ」ではそのような対応は生まれず、形式としてあまり整いません(『入沢書』p.111と関連)。

(2) 乾燥→涙という意味関係
 これは、原子朗氏の説を紹介する形で『入沢書』p.21に書かれていることです。「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」では、「日雇い労働が辛いから涙を流す」という単なる生理的な涙にすぎない。しかし、「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」であれば、その「ナミダ」は、「雨のごとく降ってほしい」という賢治の「心理の」涙なのであり、単なる哀れみや悲しみの涙ではないと、原子朗氏は述べておられます。

(3) 「ヒドリ」とした場合の主体の問題
 「ヒドリ」説をとっておられる方は、この「ヒドリ(日雇い稼ぎ)」を行うのは、作者であると解釈しておられるのか、作者が見ている農民か誰かであると解釈しておられるのか、どちらなのでしょうか。
 「ヒドリ」説の説明を聞いていると、後者のようなニュアンスが感じられるのですが、文章を普通に読むと、なかなかそうは意味がとりにくいと言わざるをえません。

北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ

 上記の文章において、「ツマラナイカラヤメロト」言うのは作者(のめざす姿)であり、「サムサノナツハオロオロ」歩くのも作者(のめざす姿)であり、「ミンナニデクノボート」呼ばれるのも作者(のめざす姿)です。「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」において、「涙を流す」のは作者(のめざす姿)だが、「ヒドリ」を行うのだけが第三者というのは、日本語の文章として不自然です。
 この点について、入沢氏はわかりやすい例を挙げて説明しておられます(『入沢書』p.107-108)。

 「○○○○の時は △△△△する」という文の前半の「○○○○の」のところには、辞書によれば行為か状態・環境を表わす語句(連体修飾語句)が入って「何々が何々する(した)場合には」または「何々が何々である(あった)場合には」という意味になります。
 そして、この「何々が」が特に示されていないなら、その行為や状態は、後半の△△△△する人の行為や、その人の状況(自分の体調や気分・自分の周囲の状況・環境等)であると理解するのが、日本語としての普通な扱いです。
 実例を掲げたほうが判りやすいでしょう。「兄の外出の時は 門口まで見送る」とあれば、外出するのはまぎれもなく兄で、見送る人とは別人ですが、もしも前半に「誰が」を示す語がない文、例えば「外出の時は 帽子をかぶる」という文では、外出するのは、後半の「帽子をかぶる人」であるとうけとるのが、普通でしょう。
 もう一つ別な例を挙げれば、「友人が病気の時は見舞いに行く」と「病気の時は薬を飲む」を比べた時、後者で病気なのは「薬を飲む人」当人であることは、すぐ判るはずです。
 「ヒドリ」が、上記の拡張した意味(日雇い稼ぎの労働)だとしますと、これは行為を表す言葉であり、「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」だけでは、それが誰の行為か示されていませんから、さきほど見た例のように、ナミダヲナガす人の行為という意味にとるのが自然です。つまり「日雇い稼ぎをするのは、涙を流すそのひと」ということになり、この行全体の意味は《自分が日雇い稼ぎをする時には涙を流す(ような人にわたしはなりたい)となって、初めに掲げた《日雇い稼ぎをして生きていかねばならぬ貧しい農民の身の上を思いやって涙を流す(ような人にわたしはなりたい)という意味とは、大きくズレてしまいます。

(4) 文章の明快さ
 これも、『入沢本』p.109-110より引用させていただきます。

 この「〔雨ニモマケズ〕」の全体は、読めばすぐ気がつくことですが、内部に籠められている深い思想内容は別として、表面の言葉のつながりや、いちいちの言葉の意味を辿っていく限りでは、対句的表現を多用し、たいへん明快で歯切れよく判りやすく出来ています。物理化学や宗教や哲学などの専門語の使用はいっさい避けて、やさしい日常の共通語(いわゆる標準語)で終始しているのも大きな特徴です。そういう全体の中で、「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」の行だけが、このままでは意味がすっきりととり難い、奇妙な一行となっています。ここだけ「ヒドリ」という方言が混じっているというのも、他の行と異なる点ですが、賢治の作品では、たまに方言や方言的言い回しが混じることもありますので、ここではそれは問題にしません。しかし、それをたとえば「日雇い仕事」と置き換え、「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」を「日雇いに出なければならぬ農民の辛苦を思って涙を流す」と読もうとしましても、この言い方ではなかなかそういうふうには読みとれない、全体の判りやすく辿りやすい言葉の運び方ともしっくり行かない、という点が問題なのです。


 さらに細かい点まで挙げるとすれば、まだたくさんあるのですが、これ以上となるとやはり『入沢本』を直接読んでいただくのが一番でしょう。

 以上、入沢康夫氏のご著書を全面的に参考にさせていただきましたが、その中から一部を要約したり「つぎはぎ」したりしたのは私の勝手な作業ですので、上の文章の全体としてのわかりにくさや不十分な点は、私の責任にあります。