謹賀新年

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 あけましておめでとうございます。大晦日から元日にかけて、全国的にかなり冷え込んで、大雪の降ったところもあるようですが、皆様いかがおすごしでしょうか。

 当サイトは、途中で模様替えなどもしましたが、最初にアップロードしたのは、1999年の11月でした。ということで、発足から満10年を迎え、11年目に入った新年です。
 10年になったからどうというわけではありませんが、作りはじめた当初は、将来どうするなどと意識もしていませんでしたから、10年たってもまだやっているのかと思うと、ちょっと不思議な感じがします。

 これからもいつどうなるかわかりませんが、私としてはできるかぎり長く続けていきたいなと思っています。
 本年も、どうかよろしくお願い申し上げます。

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 個人的には、12月30日から本日まで、両親が住んでいる四国の田舎に帰省していました。
 私の父方の祖父という人は、私が生まれる前に亡くなっていたので、もちろん私はまったく知りませんし、その人となりについて親から聴くことも少なかったのですが、昨年に斎藤茂吉について少し触れた時に、この祖父が長崎医学専門学校の出身だったようなことを思い出し、帰省した時に父に尋ねてみようと思ったことがありました。
 それは、ひょっとして斎藤茂吉が長崎医専に教授として赴任していた時期(1917年4月~1921年10月)と、祖父の在学期間が重なっていたなどという、旨い話はないか、ということでした。

 あまり期待はしていなかったのですが、驚いたことに答えは YES でした。その昔、祖父がお酒に酔った時などには、「斎藤茂吉のまね」などと言って、舌で唇を時々ぺちゃぺちゃなめながらしゃべるような様子を、父に見せてくれたりしたものだというのです。
 おまけに、それまで私は祖父の生年など知らなかったのですが、年齢を勘定する際に、1896年(明治29年)生まれだったらしいと聞かされました。何と、祖父は宮澤賢治と同年だったのです。
 空間的には遠く離れた場所ではありますが、賢治が盛岡高等農林で関豊太郎教授に学んでいた頃、私の祖父は長崎医専で斎藤茂吉教授に学んでいたのです。

 というようなことを初めて知って、私にとってはこれまでは遠くにかすんだままの人だった祖父が、何かちょっと身近になったような正月でした。

正月の風景(岡山)
元日の夕方(岡山県あたりで、列車の窓から)