5年以上前から自宅で使っていたパソコンがだんだん調子悪くなって、この頃は決して1回では起動しなくなったり、使っている最中に落ちてしまったりするようになって半年。Windows 7も出たことだしと思って、とうとう新しいのを買いました。
で、今日は古い機械からの移行や新たな設定などをしていたのですが、5年も使っていたものを置き換えるとなると、これは結構大変な作業です。写真や音楽など厖大になったデータを移すにも時間がかかりますし、古いパソコンで馴染んでいたソフトが新しい方には入らなかったり、インストールしても認証されなかったり・・・。
まだまだ作業は終わりませんが、もともと今日、記事にしてみたかったことは、賢治は1919年(大正8年)の3月までトシの看病のために東京に滞在していた際に、「新芸術座」で「カルメン」を見たのではなかったか、という一つの推測でした。もちろんこれは、新たに提唱するというほどのことではなく、多くの人も考えておられることでしょうが。
これが何に関わってくるかというと、この時の「カルメン」の話が、「東京デオ目ニカゝッタコロ」という記事で書いたように、賢治と嘉内がもう一つの会見をしていたということの傍証になるのではないかと、考えたのです。内容については、またあらためて書くことにします。
かぐら川
この折の上京と、賢治とカルメン、ともに大いに興味のあるところです。白金台下の下宿跡を思い出したり(まだでしたらぜひ訪ねてみてください。)、岩波文庫の『白秋愛唱歌集』の解説を読みながらいろんな想像をふくらませています。
続項を楽しみにしています。
hamagaki
かぐら川さま、いつもコメントをありがとうございます。
いろいろ調べてみて、まだすっきりと結論がでているわけではないのですが、賢治がカルメンを見たであろうという推測の根拠、それはいつだったのか、その劇中歌を賢治と嘉内がいかにして共有したのだろうかということについて、私なりの考えを書いてみたいと思っています。おそらく来週以降になるかと思いますが。
ところで、「白金台下の下宿」というのは、私は知りませんでした。また勉強しておきます。
かぐら川
たいへんすみません。直前に別のことで白金台近辺の地図を見ていたのでそのまま筆がすべって?しまいました。
もちろん、白金台下ではなく目白台下の“雲台館”のことです。
5年前の初冬にこの「雲台館」を訪れたときに、真剣に賢治の生き方を追ってみようと思ったのですが、ほとんど何ごとも見出し得ていないことに今、忸怩たる思いでいます。そんなことにあらためて気づかせていただいて感謝します。
hamagaki
かぐら川さま、ありがとうございます。
ちょうど明後日の日曜に東京へ行く用事があるので、もしも時間があったら「雲台館跡」も見てみようと思って、すでに携帯電話のマップに印を付けていたところでした。
奥田弘氏の「宮澤賢治の東京における足跡」によれば、昭和41年に奥田氏が訪ねた時点では、旧雲台館は「東京鉄道管理局音羽寮」となって、しかし建物は震災にも戦災にも耐えて、賢治が泊まっていた当時のままに残っていたそうですね。
桂林寺というお寺の近くのようですが、かぐら川さまが訪ねられた当時は、どんな様子だったのでしょうか。
かぐら川
昨日来、北陸はあっという間に、雪に覆われてしまいました。
googleで“「雲台館」の賢治を訪ねる”を検索していただければ5年前に書いたものがでてくるかと思います。
簡単な道案内にもなるかと思います。
細い小路を入っていったところです。
天気が心配ですがいい旅になることをお祈りします。
かぐら川
5年前の落書き、下の投稿者名 かぐら川をクリックしたらリンクするようにしておきました。
今、あらためて読んでみたら賢治の岩手病院での片思いへの関心も、私のなかでは賢治をめぐる病気圏への関心と同根だということに気づきました。
hamagaki
かぐら川さま、こんばんは。
"「雲台館」の賢治を訪ねる"、拝読させていただきました。文章から、5年前当時の空気感も伝わってくるようですね。
明日は午後から用事があるので、朝ちゃんと起きられたら、ぜひ行ってみます。
東京のホテルにて、iPhoneからの書き込みでした。