賢治は「カルメン」を見たか(予告)

 5年以上前から自宅で使っていたパソコンがだんだん調子悪くなって、この頃は決して1回では起動しなくなったり、使っている最中に落ちてしまったりするようになって半年。Windows 7も出たことだしと思って、とうとう新しいのを買いました。
 で、今日は古い機械からの移行や新たな設定などをしていたのですが、5年も使っていたものを置き換えるとなると、これは結構大変な作業です。写真や音楽など厖大になったデータを移すにも時間がかかりますし、古いパソコンで馴染んでいたソフトが新しい方には入らなかったり、インストールしても認証されなかったり・・・。

 まだまだ作業は終わりませんが、もともと今日、記事にしてみたかったことは、賢治は1919年(大正8年)の3月までトシの看病のために東京に滞在していた際に、「新芸術座」で「カルメン」を見たのではなかったか、という一つの推測でした。もちろんこれは、新たに提唱するというほどのことではなく、多くの人も考えておられることでしょうが。
 これが何に関わってくるかというと、この時の「カルメン」の話が、「東京デオ目ニカゝッタコロ」という記事で書いたように、賢治と嘉内がもう一つの会見をしていたということの傍証になるのではないかと、考えたのです。内容については、またあらためて書くことにします。