山梨の「アザリア記念会」の向山さんから、会報『アザリア』第参号や広報『にらさき』、その他の資料を送っていただきました。どうもありがとうございました。
ところで話はかわって、賢治の文語詩「岩手公園」に、「タピング」一家のことが出てきますが、私はこの「タピング」の綴りは、『新宮澤賢治語彙辞典』にも‘Tapping’と書かれているので、そうとばかり信じこんでいたのですが、実際には‘Topping’だったんですね。
下に、多磨霊園にあるタッピング一族のお墓のページへのリンクを載せておきます。
ヘンリーが「老いしタピング」、ジュヌヴィエーヴは「老いたるミセスタッピング」、ウィラードはその長男で「大学生のタピング」です。「なが姉」のヘレン・タッピングも、盛岡中学で英語を教えていたのだそうですね。ヘンリーの生年も、墓碑には1853年と書かれていますが、1857年説がけっこうあるようです。
それにしても、タッピング一族と日本との関わりは、ちょっと見てもいろいろと興味深いことがあります。
それについては、またいずれもう少し調べてみたいと思います。
「岩手公園」詩碑
耕生
耕生です。
>私はこの「タピング」の綴りは、『新宮澤賢治語彙辞
>典』にも‘Tapping’と書かれているので、そうとばか
>り信じこんでいたのですが、実際には‘Topping’だっ
>たんですね。
これも驚きました。新発見ですね。
米語の発音は英語の「オ」が「ア」のようになることが多くあります。例えば、滝のWater fall を明治の人は「綿降る=ワタフル」と覚えたようです。その意味で賢治の米語の発音は正しかったのですね。
しかし米国にはおもしろい名字がいろいろとあるのですね。Bush(ヤブ)さんとか、Rice(コメ)さんとか、今またToppinng(トッピング)さんとか。
少し前の笑い話にこんなのがありました。
「またアメリカが米の輸入自由化を主張してるね」
「そりゃそうだ。なにしろ米国だから」
ちなみに、お米はすでに全面的に輸入自由化されています。今は数百%という高関税で輸入を防いでいます。ガットの農業交渉は、この高関税の段階的撤廃を迫る穀物輸出国と食料安全保障を主張する日本の論戦の場です。
今年は冷害が懸念されています。今年の北陸地方の7月の日射量は平年の50%とか、8月に入ったというのに梅雨がまだ明けません。「寒サノ夏」が再来するのでしょうか。今ちょうど、水稲の開花期を迎え、気がかりな事です。
夏のこの時期、全国各地で夏祭りたけなわですが、観光に浮かれるだけでなく、本来の目的である豊作祈願もしっかりしておきたいものですね。
karaokegurui
「岩手公園」は賢治の文語詩の中でも代表作のひとつだと思うのですが、新発見ですね。
私もTappingだと思い込んでいたので、目から鱗の落ちる思いです。
それにしても、タピング一家は日本の歴史にそれなりの貢献というか影響を与えていますね。
そういう人たちのことを賢治が美しい詩の中に名前を残しているのはやはり素晴らしいことだと思います。
hamagaki
耕生様、karaokegui 様、コメントをありがとうございます。
おそらくご存じの方はご存じだったと思いますので、とうてい「新発見」ではないと思いますが、私にとっては意外なことでした。
Henry Topping 氏のお孫さんに当たられる方は、Kenneth Clark Topping 氏とおっしゃって、この方も日本には不思議な縁があり、お名前が日本で紹介される機会があるのですが、常に「ケネス・クラーク・トッピング」さんと呼ばれているようです。
考えてみると、同じ Hepburn という姓を、昔は「ヘボン(式ローマ字)」と呼んだのに、戦後の女優さんの名前になると「(オードリー・)ヘップバーン」と言うところなど、最近は綴り字の(日本人的な)「読み」に引きずられていて、昔の方がなるべく現実に耳で聴いた発音に忠実に、カナ表記しようとしていたのかなと思います。
実は私は来週、タピング一家にちょっとゆかりのある地を訪ねてみようと思っていますので、またブログでレポートをさせていただきますね。
それにしてもこの夏の異常な気象、集中豪雨による被害とともに、耕生様ご指摘のように、農作物への影響も心配ですね。
かぐら川
多磨墓地にあるタッピング家の墓の紹介ページは何度か見ていたのですが、つづりには目がいきませんでした。エスペラントの日本普及につながるガントレットとタッピング、福音丸ビッケル船長につながるタッピング。このhamagakiさんの記事をきっかけに「二人のミセス・タッピング」というタイトルでまとめようと思ったのですが、時間がなくてブログに予告のタイトルだけ書きこんであります。今後、少しずつ書いていこうと思っています。
いずれにしてもhamagakiさんの報告の後になりそうです。楽しみにしています。
耕生さん。ガントレットはしばらく金沢の四校にもいたのですね。マッケンジーとのつながりも興味のあるところですが、マッツケンジーの紹介にかなりページを割いている梅染信夫さんの『北陸のキリスト教』には、エスペラントのことはふれられてないのが残念です。
先日、福野高校のことを書きこんだ主眼は、「寒い夏を身近に感じるここ数日、昭和6年の冷夏の年、岩手にいたこの二人の農業人(賢治と稲次郎)のことを切に思います。」だったのですが、稲次郎という農業人を賢治の横に置くことで、昭和の時代に生きた賢治が少し身近な人になったように思います。
かぐら川
上に、「稲次郎」とあるのは“稲塚権次郎”のことです。いつからか、自分のなかでこの省略形になっていました。すみませんでした。