チップの払い方

 京都では、今日が祇園祭の宵山、明日は山鉾巡行です。
 このところ更新をサボってしまっていますが、実はしめ切りを過ぎた原稿をかかえて、四苦八苦しているところです。

 ところで『宮澤賢治資料集成 第七巻』に掲載されている、「人間宮澤賢治」と題された座談会(出席者は、藤原嘉藤治、堀籠文之進、白藤慈秀、阿部繁、羽田正、森荘已池で、昭和26年2月刊行の『東北文庫』に初出)に、次のような藤原嘉藤治の発言がありました。

藤原 料亭でおしゃくの身の上をききますとありッたけの金をやつてしまいます。花巻でも台温泉でも私は見ました。湯口村の方に行つて肥料設計をして、野原をつききつて台温泉に行きました。鍋倉でお百姓さんは十二、三人おりました。宮澤さんは台温泉のカフエーみたいな所でサイダーを飲み、女給に十円のチツプをくれました。チツプは五十銭か一円ぐらいの時の話です。花巻の吹張のあたりの飲み屋で、宮澤さんは女給に、たいまいのお金をチツプにやつたのです。そのお金は、他人のお金をあずかつているもので、邦文堂の親父の所に、金をかせと行つたら、邦文堂の親父は、金は貸さない、お前達はベンとトクだべと言つたのです。
 それを八木英三さんが新聞に書いたので、清六さんが読んで、邦文堂にドナリこんだものです。女のうれいは、ちよつと、その女と二言三言話しただけで解るものだと言つていました。その時は料理代は私が出してチツプは宮澤さんが出すことになつて、それがあずかつたお金なので、かりに行つたもので、サイダーをのんでいるうちに、女の身の上話をきいて同情したものでした。

 これらの逸話は、藤原嘉藤治が賢治と行動をともにして体験したことを語っているもので、かなり信頼性は高いと思いますが、その内容は、以前に「7日乗船説と9日乗船説(2)」という記事に引用した、教え子・晴山亮一の証言、すなわち賢治がサハリンへ渡って帰途に着く前の宴会で、あり金の全部を芸者に渡してしまったので、盛岡から花巻までは徒歩で帰った、という話を彷彿とさせます。
 情にほだされると、人から預かったお金までを女給にチップとして上げしまうほどだというのですから、サハリンの芸者の話を聴いて、帰りの旅費など考えずに祝儀を渡してしまうというのも、十分にありえることに思えてしまいます。
 「女のうれいは、ちよつと、その女と二言三言話しただけで解るものだ」、などという賢治の言葉はハードボイルドでかっこいいですが、それに対応する彼の行動の方は、むしろ喜劇的ですね。

 で、私がこんな些末なことが気になってしまう理由は、「晴山証言が事実ならば、帰途は北海道を素通りする9日乗船説の方の蓋然性が高くなる」と思うからなのです。ただ、藤原嘉藤治の語るような賢治の行動が当時あまり有名になってしまっていたとすると、晴山亮一の記憶の中で、サハリンの話に他の料亭での逸話がまぎれ込んでしまったという可能性も否定できなくなりますから、やはり難しいところですね。
 しかし、台温泉や吹張町の女給さんの話にさえそこまで心を動かされるという賢治に対して、何の事情があってか故郷を遠く離れ、サハリンという北の最涯ての地まで流れてきて、寂しく芸者をしている女性が身の上を語る…(まるで演歌の世界!)。
 そりゃあ、「あり金全部」になってもおかしくないなと、私などは思ってしまうのです。

 つい先日の記事、「『宮沢賢治とサハリン』」にも関連したお話でした