「オホーツク挽歌」の中に、次のような部分があります。
鳥は雲のこつちを上下する
ここから今朝舟が滑つて行つたのだ
砂に刻まれたその船底の痕と
巨きな横の台木のくぼみ
それはひとつの曲つた十字架だ
幾本かの小さな木片で
HELL と書きそれを LOVE となほし
ひとつの十字架をたてることは
よくたれでもがやる技術なので
とし子がそれをならべたとき
わたくしはつめたくわらつた
(貝がひときれ砂にうづもれ
白いそのふちばかり出てゐる)
やうやく乾いたばかりのこまかな砂が
この十字架の刻みのなかをながれ
いまはもうどんどん流れてゐる
海がこんなに青いのに
わたくしがまだとし子のことを考へてゐると
なぜおまへはそんなにひとりばかりの妹を
悼んでゐるかと遠いひとびとの表情が言ひ
またわたくしのなかでいふ
(Casual observer! Superficial traveler!)
サハリンの栄浜の海岸で、賢治がまたトシのことを追想している場面です。砂浜に十字の形をした跡がついていたので、賢治は昔トシが見せてくれた一つの遊びを思い出しました。
「幾本かの小さな木片で/HELL と書きそれを LOVE となほし/ひとつの十字架をたてる」・・・。これは、マッチ棒や爪楊枝などを使った、一種のパズルのようなものなのでしょう。
「地獄」が、「愛」と「十字架」に変わるというのは、東京でキリスト教系女子大の寮生活を送っていたトシが、いかにも兄の前で披露しそうな、ちょっとしゃれた余興ですね。ただ、法華経一辺倒だったある時期までの賢治にとっては、それはあまりにキリスト教的な香りがするので、「つめたくわらつた」だけですませてしまったのでしょう。
賢治は、そんな何気ない自分の態度まで思い出しては、自責の念をかみしめているようです。
ところで今日はマッチ棒を使って、その「HELL と書きそれを LOVE となほし/ひとつの十字架をたてる」という手順を、アニメーションGIFとして作成してみました。
下のボタンの「実行」を押すと、マッチ棒の移動が始まります。「戻す」を押せば、また何度も繰り返してみることができます。
耕生
耕生(kulturisto)です。
いやあ、面白い!
思わず何遍も遊んでしまいました。
実はこのゲームの内容が今ひとつ理解できなかったのです。本当にLoveと十字架ができるというのは驚きでした。これは今でもキリスト教関係では有名な遊びなのでしょうか?
>とし子がそれをならべたとき
>わたくしはつめたくわらつた
賢治の、この態度の謎解きまでしていただき、ありがとうございました。
今度の石川・賢治を読む会で皆さんに自慢できそうです。
といっても、今のペースだと「オホーツク挽歌」にたどりつくまでには、まだ大部時間がかかりそうですが・・・。
hamagaki
耕生様、こんばんは。
> これは今でもキリスト教関係では
> 有名な遊びなのでしょうか?
私もよく分かりませんが、ネット検索をしてみたかぎりでは見つかりませんでしたので、「有名」というわけではないんじゃないかと思います。
私の思い込みでは、古きよき時代の「乙女」の遊びという感じなのですが…。
出口恒
これはマッチ棒で遊ぶものではありません。宮沢賢治
は木片と言っているでしょう。本来は日本では皇室に伝わる古来からの神示、少なくともこの十字架は英国の新聞社が10万ドル出して懸賞募集したことに始まります。詳細は私の著書「誰も知らなかった日本史」
を見ていただければ秘密をすべて明かしていますが。
私も同じ9個の木片で遊びました。ここでは画像を送れないようなので残念ながら 実際はその木片で漢字の「神」も作りました。日本では孝明天皇・出口王仁三郎由来です。「切紙神示」で検索してみてください。
dyd@
hamagaki
出口恒様、コメントに感謝申し上げます。
このたびは、非常に興味深いご教示をいただきまして、ありがとうございました。