『【新】校本全集』第十六巻(下)年譜篇(2001)のp.222では、右のように賢治たち父子が比叡山から降りて宿泊した旅館の名を「布袋屋」としています。しかし以前に書いたように、「三条小橋商店街」の方のお話では、三条小橋の近くにあった旅館は、「布袋屋」でなく「布袋館」だったということです。
しばらく前に国会図書館に行った時に、当時の旅館の名前を収録した書籍によって、これを確認してみました。
まず、奈良の「対山楼」の時にも参照した、1913年(大正2年)発行の『帝國旅館全集』という本があります(左写真)。
これは賢治父子の旅行の8年前に出た本ということになります。もちろん、旅行時点とすべての旅館が同じとはかぎりませんが、そのp.89は、下の図のようになっています。
最下段の、右から11番目に、「布袋館」の名前が見えます。住所は、「三條小橋東入ル」です。
次にもう一つ、上の本より少し後に出た『全国旅館名簿』という本がありました(左写真)。
「全國同盟旅館協會」というところの編纂で、こちらは賢治父子の旅行の5年後に出ています。
この本の京都市下京区の一部をコピーしたのが、下の図です。
右から10番目に、「布袋館」が載っています。住所は、やはり「三條小橋東」となっています。
ということで、2つの資料が一致しているので、やはり旅館の名前は「布袋館」が正しかったのだろうと思います。
『【新】校本全集』年譜篇において「布袋屋」とされているのは、政次郎氏の記憶をもとにした記載かと推測しますが、「対山楼」にかぎらず旅館の名前というものは、微妙な記憶違いをしやすいものなのでしょうか。
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