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障害者の権利に関する条約・前文

  • 内容分類: 雑記

 2006年12月13日に国連総会において採択され、日本政府も昨年9月28日に(やっと百何番目かの国として)署名した「障害者の権利に関する条約」は、「障害」という概念のパラダイムを転換し、社会の側の責務も明らかにした点で、画期的な内容を持つものでした。
 日本の署名において用いられた「外務省による仮訳文」というのもありますが、これは逐語的で正確そうには見えるものの、迂遠で読みにくいのが難点です。私としては、最もその本質をつかみとってわかりやすいと思うのは、八尋光秀弁護士による、「武器としての要約」と名づけられた抄訳です。

 その条約の「前文」は、力強く次のように始まります(八尋訳)。

すべて人間の固有の尊厳、平等、権利をすべからく保障することが、世界の自由、正義、平和の基盤をなす。

 この次には、「世界はそれを理解し合意した。」という文が続きますが、世界が真にこのことを理解し合意した暁には、すべての戦争や人権抑圧はなくなると言えるほど、これはラディカルな宣言です。
 さて、この前文冒頭の一文を読むと、何となく連想するのが、「農民芸術概論綱要」における、宮澤賢治の次の有名な言葉です。

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

 「世界」のあり方と「個人」のあり方とが、密接不可分であるという認識において、この二つの言葉は共通しているわけですが、障害者権利条約の方は、「個人」→「世界」という方向に矢印が向かっているのに対して、賢治の方は、「世界」→「個人」という順序を強調しており、一見するとその向かう方向は「正反対」であるようにも思えます。

 しかし実際には、この二つの言葉は正反対のことを言っているのではないでしょう。障害者権利条約の求めるように「すべて人間の固有の尊厳、平等、権利をすべからく保障する」ようなことは、「個人」のレベルでは現実的に無理で、そのためには「社会」を全体として変えていく必要があります。一方、賢治が言うように「世界がぜんたい幸福に」なる際にも、その時はすでに、すべての「個人」も何らかの変化を遂げつつあるでしょう。
 すなわち、いずれにしても個人と世界が不可分な関係のもとに、両方ともに変化をする必要があるということを、どちらの言葉も述べているのです。

 ただ、しいて賢治の言葉の方に違ったニュアンスが見出されるとすれば、賢治が言っている方の「個人」とは、世界人類すべての「個人」を指しているのではなく、「菩薩行」を為している人=自ら悟りをひらく能力があるにもかかわらずこの世に留まって、すべての衆生を彼岸に導く人・・・のことを言っているのかと思われる点です。たとえば、「〔堅い瓔珞はまっすぐ下に垂れます〕」(『春と修羅』補遺)という作品において、「いちばん強い人たちは願ひによって堕ち/次いで人人と一諸に飛騰します」と書かれているような、「いちばん強い人」などのことかと思います。
 そして賢治自身も、自分の実践活動を「菩薩行」と呼ぶことはありませんでしたが、自分の個人としての幸福は、「世界ぜんたいが幸福にならないうちは」、あり得ないと考えていたのでしょう。それが、上のような言葉に表現されたのだと思います。

 いずれにしても、「個人」と「世界」という両極端を媒介しつつ、それをともに変革していこうとするのは、容易なことではありません。障害者権利条約の方は、国連という組織から各国の政府へ影響を与えることによって、そしてそれぞれの国の政治を通してその実現を図ろうとし、賢治の方は、仏教とりわけ法華経にそのような力があると信じ、自らの身を投じました。
 この二つのうちで、どちらが実効性のある方法と思いますかと訊かれたら、現代の日本人の大半は、国連を通した活動の方、と答えるでしょう。しかし、国連のもとでも止むことのない多くの戦争や人権蹂躙のことを思うと、しばしば我々はどうしようもない無力感にとらわれることもあります。

 しかし、賢治もおそらく無力感にさいなまれながら生きた人でした。ある時期からの彼は、「多くの侮辱や窮乏の/それらを噛んで歌ふ」(「告別」/「春と修羅 第二集」)ようにして、数々の詩や物語を紡ぎ出していったのです。そのような中でも、類い稀な彼の想像力は、「世界」と「個人」、「宇宙」と「微塵」というようなスケールの両極端を同時にとらえきって、「銀河を包む透明な意志」を構想しました。

 「グローバル化」が進み、インターネットを介すれば「個人」が直接に「世界」のあらゆる情報に繋がることも可能になった現代、国連条約の前文において「個人」と「世界」が対置されるのも当然と言えば当然ですが、似たような視点を80年も前に持っていた宮澤賢治という人は、やはりただ者ではなかったと、あらためて思います。


すべて人間の固有の尊厳、平等、権利をすべからく保障することが、世界の自由、正義、平和の基盤をなす。世界はそれを理解し合意した。・・・