普代村の方からご連絡があり、こんど11月4日(日)に、“日報130コンサート「ふるさと」”の一環として、普代社会体育館で「てぼかい合唱団」などのコンサートが行われるとのお知らせをいただきました。(「岩手日報」の社告参照。)
“日報130コンサート「ふるさと」”というのは、「岩手日報」の創刊130周年を記念して、岩手県内の各地で昨年から地元の人々を中心としたコンサートを行っている企画で、今年はこの普代村で7ヵ所めだそうです。
普代村は、三陸海岸北部にある「北緯40度の村」で、2004年には賢治の三陸旅行にちなんで、「敗れし少年の歌」詩碑が建立されました。地元のPTAを中心に1984年に発足した「てぼかい合唱団」は、今度のコンサートにおいて、「ポラーノの広場のうた」など賢治歌曲の披露や「ツェねずみ」の劇などとともに、ありがたいことに再び、あの「敗れし少年の歌へる」も、歌っていただけるのだそうです。
せっかく連絡をいただいたのに、当日は聴きにうかがえないのが残念です。ご盛会をお祈りしています。
ところで、週末の山梨行きを前に、賢治と嘉内がその別れまでにかわした書簡などを読んだりしていたのですが、いかにこの「別れ」が後の賢治に大きな影響を及ぼしたかということを、あらためて痛感します。
書簡を見るかぎり、少なくともこの「別れ」までの賢治は、自ら「農民のために尽くそう」とか、ましてや自分自身が農民になろうなどとは、夢にも思っていなかったのは明らかです。
嘉内が自分と袂を分かたざるをえなかった理由である、まさにその彼の理想を、別れた後の賢治は独りでかみしめ、自らの身に刻み、結局は力尽きるまで歩んでいったわけです。
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