タイトル写真のランダム表示 上のタイトル写真に、もう一つ新しいパターンを増やして、これまでの写真とランダムに入れ替わって表示されるようにしてみました。 これまでの「賢治詩碑前広場」に加えて、新しい写真は、花巻農業高校にある「賢治先生の家(旧羅須地人協会)」です。前の芝生の庭園に、賢治の銅像ができる以前に撮った写真で、「われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である」の碑が、この場所にありました。 ツイートする この記事に付けられたタグ 羅須地人協会(5記事), 賢治詩碑(5記事) 前の記事 次の記事 コメント megumi 2007年7月 3日 05:08 はじめまして。 自宅療養中で、ネットサーフィンをしていて、こちらのブログに行きつきました。 何もしないでいるのも良くないと思い、ブログでも立ち上げてみようかと思うもなかなか一歩が踏み出せません。 宮澤賢治の作品は幼い頃に『銀河鉄道の夜』を読んだ程度ですが、こちらのブログを拝見して、「ひとりの作家をこんなにもいろいろな角度から見ることができるなんてすごい!」と感動しました。 …と同時に丁寧に組み立てられているブログにも感心しました。 「趣味」の領域は完全に超えておられるんだなぁ…と感じました。 私が、ブログを立ち上げられないのは、ここまで没頭できる物を持っていないからだろうと思います。 着メロ、早速ダウンロードさせていただきました。 今後、こちらのブログを読破(?)することを日々の楽しみにしたいと思っています。 内容からズレたコメントで申し訳ありません。 私も京都に住んでいることもあり、少し身近に感じたもので、コメントさせていただきました。 返信 hamagaki 2007年7月 5日 01:05 megumi 様、はじめまして。書き込みをありがとうございます。 例によって京都は、じめじめ・蒸し蒸しした毎日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。同じ街に住む者どうし、これまでにどこかですれ違ったりしていたかもしれませんね。 何かのご縁で、こんなところでお会いできて幸いです。 「趣味の領域を超えている」というのは、ひとまず過分なお誉めの言葉と解釈して、ありがたくお受けいたします。しかし家族などから見ると、これは「病膏肓に入る」という現象のようでもあるらしく、なにか呆れられている感じもします。 もちろんプロの宮沢賢治研究家の方などのお仕事と比べると、素人の手すさびにすぎない中途半端なものですが、それでも素人ならではの気楽さで、あちこち旅をしたり適当に思いつきを書いたりしていますので、それらの一くさりでも megumi 様のお目に(お耳に)かなえば、こんなに嬉しいことはありません。 これを機会に、今後ともよろしくお願い申し上げます。 (まことに僭越ながら、megumi 様もこの際ブログを始められることを、ひそかに期待しています。) 最後になりましたが、megumi 様のご快癒を、お祈り申し上げます。 返信 ヤジュル 2007年7月15日 20:59 思いのこもったタイトル映像にひかれます。 どうでしょう。賢治像とくらべて。 羅須地人協会もどんどん「進化」するんですね。 いつも拝見しています。 返信 hamagaki 2007年7月16日 10:19 ヤジュル様、あたたかいコメントをありがとうございます。 賢治像の建つ現在の眺めと比べて・・・、私の印象としては、以前の方が、「今は賢治はここにいないけれど、我々はその精神を承け継ごうとしている」という雰囲気は漂っていたように思います。 現在は、賢治の姿を生々しく見ることができて、より「臨場感」はありますね。 それぞれ人によって好みはあるでしょうが、私は昔の方が、奥ゆかしかった感じもします。ああ、もちろん「賢治像」そのものは、素晴らしいものですが。 それから、私もヤジュル様の新たな記事を期待しつつ、拝見しています。 今後とも、よろしくお願い申し上げます。 返信 コメントの投稿 コメントの返信 コメント (スタイル用のHTMLタグを使えます) お名前 メールアドレス(任意) URL(任意) サインイン情報を記憶
megumi 2007年7月 3日 05:08 はじめまして。 自宅療養中で、ネットサーフィンをしていて、こちらのブログに行きつきました。 何もしないでいるのも良くないと思い、ブログでも立ち上げてみようかと思うもなかなか一歩が踏み出せません。 宮澤賢治の作品は幼い頃に『銀河鉄道の夜』を読んだ程度ですが、こちらのブログを拝見して、「ひとりの作家をこんなにもいろいろな角度から見ることができるなんてすごい!」と感動しました。 …と同時に丁寧に組み立てられているブログにも感心しました。 「趣味」の領域は完全に超えておられるんだなぁ…と感じました。 私が、ブログを立ち上げられないのは、ここまで没頭できる物を持っていないからだろうと思います。 着メロ、早速ダウンロードさせていただきました。 今後、こちらのブログを読破(?)することを日々の楽しみにしたいと思っています。 内容からズレたコメントで申し訳ありません。 私も京都に住んでいることもあり、少し身近に感じたもので、コメントさせていただきました。 返信
hamagaki 2007年7月 5日 01:05 megumi 様、はじめまして。書き込みをありがとうございます。 例によって京都は、じめじめ・蒸し蒸しした毎日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。同じ街に住む者どうし、これまでにどこかですれ違ったりしていたかもしれませんね。 何かのご縁で、こんなところでお会いできて幸いです。 「趣味の領域を超えている」というのは、ひとまず過分なお誉めの言葉と解釈して、ありがたくお受けいたします。しかし家族などから見ると、これは「病膏肓に入る」という現象のようでもあるらしく、なにか呆れられている感じもします。 もちろんプロの宮沢賢治研究家の方などのお仕事と比べると、素人の手すさびにすぎない中途半端なものですが、それでも素人ならではの気楽さで、あちこち旅をしたり適当に思いつきを書いたりしていますので、それらの一くさりでも megumi 様のお目に(お耳に)かなえば、こんなに嬉しいことはありません。 これを機会に、今後ともよろしくお願い申し上げます。 (まことに僭越ながら、megumi 様もこの際ブログを始められることを、ひそかに期待しています。) 最後になりましたが、megumi 様のご快癒を、お祈り申し上げます。 返信
hamagaki 2007年7月16日 10:19 ヤジュル様、あたたかいコメントをありがとうございます。 賢治像の建つ現在の眺めと比べて・・・、私の印象としては、以前の方が、「今は賢治はここにいないけれど、我々はその精神を承け継ごうとしている」という雰囲気は漂っていたように思います。 現在は、賢治の姿を生々しく見ることができて、より「臨場感」はありますね。 それぞれ人によって好みはあるでしょうが、私は昔の方が、奥ゆかしかった感じもします。ああ、もちろん「賢治像」そのものは、素晴らしいものですが。 それから、私もヤジュル様の新たな記事を期待しつつ、拝見しています。 今後とも、よろしくお願い申し上げます。 返信
megumi
はじめまして。
自宅療養中で、ネットサーフィンをしていて、こちらのブログに行きつきました。
何もしないでいるのも良くないと思い、ブログでも立ち上げてみようかと思うもなかなか一歩が踏み出せません。
宮澤賢治の作品は幼い頃に『銀河鉄道の夜』を読んだ程度ですが、こちらのブログを拝見して、「ひとりの作家をこんなにもいろいろな角度から見ることができるなんてすごい!」と感動しました。
…と同時に丁寧に組み立てられているブログにも感心しました。
「趣味」の領域は完全に超えておられるんだなぁ…と感じました。
私が、ブログを立ち上げられないのは、ここまで没頭できる物を持っていないからだろうと思います。
着メロ、早速ダウンロードさせていただきました。
今後、こちらのブログを読破(?)することを日々の楽しみにしたいと思っています。
内容からズレたコメントで申し訳ありません。
私も京都に住んでいることもあり、少し身近に感じたもので、コメントさせていただきました。
hamagaki
megumi 様、はじめまして。書き込みをありがとうございます。
例によって京都は、じめじめ・蒸し蒸しした毎日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。同じ街に住む者どうし、これまでにどこかですれ違ったりしていたかもしれませんね。
何かのご縁で、こんなところでお会いできて幸いです。
「趣味の領域を超えている」というのは、ひとまず過分なお誉めの言葉と解釈して、ありがたくお受けいたします。しかし家族などから見ると、これは「病膏肓に入る」という現象のようでもあるらしく、なにか呆れられている感じもします。
もちろんプロの宮沢賢治研究家の方などのお仕事と比べると、素人の手すさびにすぎない中途半端なものですが、それでも素人ならではの気楽さで、あちこち旅をしたり適当に思いつきを書いたりしていますので、それらの一くさりでも megumi 様のお目に(お耳に)かなえば、こんなに嬉しいことはありません。
これを機会に、今後ともよろしくお願い申し上げます。
(まことに僭越ながら、megumi 様もこの際ブログを始められることを、ひそかに期待しています。)
最後になりましたが、megumi 様のご快癒を、お祈り申し上げます。
ヤジュル
思いのこもったタイトル映像にひかれます。
どうでしょう。賢治像とくらべて。
羅須地人協会もどんどん「進化」するんですね。
いつも拝見しています。
hamagaki
ヤジュル様、あたたかいコメントをありがとうございます。
賢治像の建つ現在の眺めと比べて・・・、私の印象としては、以前の方が、「今は賢治はここにいないけれど、我々はその精神を承け継ごうとしている」という雰囲気は漂っていたように思います。
現在は、賢治の姿を生々しく見ることができて、より「臨場感」はありますね。
それぞれ人によって好みはあるでしょうが、私は昔の方が、奥ゆかしかった感じもします。ああ、もちろん「賢治像」そのものは、素晴らしいものですが。
それから、私もヤジュル様の新たな記事を期待しつつ、拝見しています。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。