林 光〔宮澤賢治の詩によるソング集〕

 林光氏の特定の「作品集」として、この表題に掲げたような「〔宮澤賢治の詩によるソング集〕」というものがあるわけではありませんが、ここでかりに、林氏の曲を集めたページのタイトルとして、このように付けさせていただきました。

 作曲家 林光 氏の素晴らしさについては、ここであらためて述べるまでもありません。代表作として、『原爆小景』『森は生きている』『第三交響曲<八月の正午に太陽は…>』『ヴィオラ協奏曲<悲歌>』などを挙げることができますが、賢治のテキストにもとづく作品として、『オペラ「セロ弾きのゴーシュ」』もありますし、ここにそのごく一部をご紹介するような「ソング」もたくさんあります。そして、2002年のイーハトーブ賞を受賞した「オペラシアターこんにゃく座」の芸術監督もしておられます。

 「歌曲」という呼び名と意識的に区別して、林氏は「ソング」と称する歌を多数書いておられますが、この「ソング」というものの概念について、林氏自身は次のように説明しておられます。

 ソングはもちろん英(米)語で歌を意味するが、英語圏を越えてグローバルに用いられる呼び名としてなら、時事小唄、歌われるライトヴァース、世相風刺歌、抵抗歌といった雰囲気も、そこには漂う。(中略)
 ソングは、リート(たとえばシューベルト)とちがって、移調、編曲、伴奏の書き換えや異なった楽器の使用、発声、歌い回し(歌い崩し)等、すべての点で原曲の楽譜から距離をとることが許されるが、原曲の書法は、ごらんのようにポップスやミュージカルの簡易編曲譜と異なり、作曲者の個性が表されたもので、それもまたソングの伝統につながっていると言うことができよう。(オペラシアターこんにゃく座ソング集「まえがき」より)


 ここでは、林氏の愛する宮澤賢治の詩にもとづいた多数のソングの中から、次の6曲を、Vocaloid の演奏によってご紹介します。

1.岩手軽便鉄道の一月
2.グランド電柱
3.ポラーノの広場のうた
4.あまのがわ
5.高原(合唱版)
6.祈り(合唱版)

1.岩手軽便鉄道の一月

 ここでご紹介する「岩手軽便鉄道の一月」は、1985年に林氏が、<劇団黒テント>が演っていた「宮澤賢治旅行記」という舞台作品の挿入歌として作曲したものです。
 舞台に出ていた5人の役者で、何か楽器ができる人がいるかと林氏が尋ねたら、アコーディオンを弾いたことがある人が一人、学校の縦笛なら吹けるという人が二人いたということで、そういう変わった編成の伴奏による、楽しい歌曲です。

 歌詞は、『春と修羅 第二集』の最後を飾る、「岩手軽便鉄道の一月」です。ほんとうは、詩の3~4行目に「うしろは河がうららかな火や氷を載せて/ぼんやり南へすべってゐる」という一節があるのですが、林氏がここに間奏を入れたくて、劇団に縦笛なら吹けるという人がいると聞いて喜んだ拍子に、うっかり詩の2行をととばしてしまったのだそうです。

 今回の演奏には、勝手ながら林光氏の魅力的な伴奏に加えて、歌詞の「鏡をつるし」という言葉の箇所に、チェレスタの音を入れさせていただきました。
 思えば、「鏡をつるし」というのは、宮澤清六氏が最初の賢治歌曲集を編集した際に、標題として採用した言葉です。

演奏

歌詞

ぴかぴかぴかぴか田圃の雪がひかってくる
河岸の樹がみなまっ白に凍ってゐる

よう くるみの木 ジュグランダー 鏡を吊し
よう かはやなぎ サリックスランダー 鏡を吊し
はんのき アルヌスランダー 鏡をつるし
からまつ ラリクスランダー 鏡をつるし
グランド電柱 フサランダー 鏡をつるし
さはぐるみ ジュグランダー 鏡を吊し
桑の木 モルスランダー   鏡を……
ははは 汽車(こっち)がたうたうなゝめに列をよこぎったので
桑の氷華はふさふさ風にひかって落ちる

2.グランド電柱

 1991年9月に作曲された「グランド電柱」は、「生活クラブ生協神奈川」の創立20周年記念事業の「宮澤賢治冬季大運動会」という音楽劇の中で、生活クラブ生協の会員たちによって初演されました。
 林光氏はこの曲について、「「グランド電柱」という詩も、いわば大真面目な大歌曲に仕上げてしまっては困るし、そうかといってただ軽いだけのものになっても仕方がない。ちょうどその中間にあるようなものだと思います。」と述べておられます(林光『作曲家の道具箱』一ツ橋書房)。
 1993年には、オペラシアターこんにゃく座公演「ケンジのエノケン」のために、さらに伴奏にクラリネットとヴァイオリンが加わった版も作られました。ここでお聴きいただくのは、このピアノ・クラリネット・ヴァイオリン伴奏版です。

演奏

歌詞

あめと雲とが地面に垂れ
すすきの赤い穂も洗はれ
野原はすがすがしくなつたので
花巻(はなまき)グランド電柱(でんちゆう)の
百の碍子(がいし)にあつまる雀

掠奪のために田にはいり
うるうるうるうると飛び
雲と雨とのひかりのなかを
すばやく花巻大三叉路(はなまきだいさんさろ)の
百の碍子にもどる雀

3.ポラーノの広場のうた

 次にご紹介する「ポラーノの広場のうた」は、さらりと何気なく書き下ろしたような小品ですが、そのせつないメロディー、漂う詩情には、尽きせぬ魅力があると思います。
 この曲について林氏は、みずから次のように述べておられます(1993年宮沢賢治学会冬季セミナーにおける講演より)。

 この詩はとても賢治っぽい言葉です。子どものときに読んだときにもそう思いました。それと同時に、なんとなく賛美歌っぽいところがあって、そうなってしまうと困るなと思われることばもあったりする詩ですけれども、もちろん、賢治はある借り物の曲にあわせてこの詩を書いたわけです。それをあるとき突然、思いたって作曲したのがこれです。
            (・・・林氏による歌と演奏・・・)

 終わりにちょっと出てきました「星めぐりの歌」は、宮沢賢治のサインをここにもらったということです。

 つまり林氏は、賛美歌の旋律を母体とした、もとの「ポラーノの広場のうた」に対する一種のアンチテーゼとして、この作品を書いてみたということかもしれません。元歌が、みんなで一緒に声を合わせ、同じ方向を向いて唄うためのものだとすれば、この林氏の歌は、一人で口ずさむにもぴったりです。たとえば、トキーオの街の片隅でひっそりと暮らしていたレオーノキュースト氏にとっては、ファゼーロから送られた楽譜よりも、この林光版の方がふさわしかったかもしれません。

 作者によれば、これは「前年暮れから正月にかけて誕生した友人の二世たち三人に贈るために」、1985年2月15日に作曲したということです。ピアノ伴奏の最後にちらっと出てくる「星めぐりの歌」の断片が、「宮沢賢治のサイン」というのは素敵ですね。

演奏

歌詞

つめくさ灯ともす 夜のひろば
むかしのラルゴを うたひかはし
雲をもどよもし  夜風にわすれて
とりいれまぢかに 年ようれぬ

まさしきねがひに いさかふとも
銀河のかなたに  ともにわらひ
なべてのなやみを たきゞともしつゝ
はえある世界を  ともにつくらん


4.あまのがわ

 賢治が生前に唯一「童謡歌詞」として、雑誌『愛国婦人』に発表した作品に、林光が曲を付けたものです。旋律を構成する音階の特徴から、「沖縄童歌」風の響きも持っている歌です。
 1986年に作曲され、音楽教育の会全国大会に贈られたものですが、後にオペラ「セロ弾きのゴーシュ」の第四場の挿入歌としても用いられました。「狸の子」が登場するときに歌われる、愛らしいものです。

演奏

歌詞

   あまのがは

あまのがは
きし小砂利こじやりいへるぞ。
そこのすなごもいへるぞ。
いつまでても、
えないものは、みづばかり。

5.高原(合唱版)


 「高原」は、『春と修羅』に収められた同名の作品に、林光氏が曲を付けたものです。
 この「高原」は当初、「風の又三郎」「くらかけ山の雪」とともに、「プレイ3」と題した作品の1章として、1977年に作曲されました。部分的に不確定な記譜も採用した前衛的な作で、同年に伊藤叔(歌)、松代晃明(クラリネット)、林光(ピアノ)によって初演されています。
 その後1986年になって作曲者は、山形のアマチュア合唱団「じゃがいも」のコンサートのために、上記の「高原」の旋律を混声四部合唱版に「改作」しました。
 ここで演奏してお届けするのは、こちらのバージョンです。

 林光氏は著書『ゴーシュの仕事場』(一ツ橋書房)の中で、このア・カペラ合唱版「高原」のことを、ルネサンス時代に流行した多声合唱曲にならって「マドリガル様式」とも呼んでおらます。実際、この呼び名は賢治の牧歌的な詩と、複雑に絡み合う各パートの様子を適確に表現しているように思われます。そして、1977年版と同じメロディーながら、この合唱版の方が、より調性的な響きで親しみやすい曲になっています。

演奏

歌詞

海だべがど、おら、おもたれば
やつぱり光る山だたぢやい
ホウ
髪毛(かみけ) 風吹けば
鹿(しし)踊りだぢやい

6.祈り(合唱版)

 この「祈り」は、童話「烏の北斗七星」に出てくる有名な言葉、(あゝ、マヂエル様、どうか憎むことの敵を殺さなくていゝやうに早くこの世界がなりますやうに、そのためならば、わたくしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまひません。)という部分に、林光氏が曲を付けたものです。
 最後は、「早くこの世界がなりますように…」と何度も繰り返されて、終わります。

 初演は、1995年8月15日、「憲法九条を考える集会」で行われたということです。

演奏

歌詞

あゝ、マヂエル様、どうか憎むことのできない敵を殺さなくていゝやうに早くこの世界がなりますやうに、そのためならば、わたくしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまひません。