宮沢りえの「星めぐりの歌」

  • 内容分類: 雑記

 井上ひさし作の戯曲「父と暮せば」は、もちろんのこと、

父と暮せば 父と暮せば
井上 ひさし (著)
新潮社 (2001/1/30)
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また、それを黒木和雄監督が映画化した作品も、

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 いずれにしても、たとえば峠三吉や原民喜の詩や小説のように、あるいは丸木位里・俊の絵画のように、また林光の合唱曲「原爆小景」のように、「原爆」というものについて日本人が表現し、後世に伝えていくべき価値のある、貴重な芸術的遺産の一つだと思います。

 この「父と暮せば」について、作者の井上ひさし氏は、次のように「種明かし」をしておられます(英文対訳版「劇場の機知 ― あとがきに代えて」より)。

 ここに原子爆弾によってすべての身寄りを失った若い女性がいて、亡くなった人たちにたいして「自分だけが生き残って申しわけがない。ましてや自分がしあわせになったりしては、ますます申しわけがない」と考えている。このように、自分に恋を禁じていた彼女が、あるとき、ふっと恋におちてしまう。この瞬間から、彼女は、「しあわせになってはいけない」と自分をいましめる娘と、「この恋を成就させることで、しあわせになりたい」と願う娘とに、真っ二つに分裂してしまいます。
 ……ここまでなら、小説にも詩にもなりますが、戯曲にするには、ここで劇場の機知に登場してもらわなくてはなりません。そこで、じつによく知られた「一人二役」という手法に助けてもらうことにしました。美津江を「いましめる娘」と「願う娘」にまず分ける。そして対立させてドラマをつくる。しかし一人の女優さんが演じ分けるのはたいへんですから、亡くなった者たちの代表として、彼女の父に「願う娘」を演じてもらおうと思いつきました。べつに云えば、「娘のしあわせを願う父」は、美津江のこころの中の幻なのです。

 こうやって、また別の見方では PTSD の回復の一コマとも言える素晴らしいドラマが誕生したわけですね。

 ところで、このお話の中のささやかな小道具として、賢治の「星めぐりの歌」が使われていることは、皆さんご存じでしょうか。
 以下は、当該部分の抜粋です。

竹造 さっき出かけしなに、木下さんがいうとられたろうが。「夏休みが取れるようなら岩手へ行きませんか。九月の新学期までに一度、家へ帰ろうと思うとるんです。美津江さんを連れて行ったら両親が非常に(じょうに)よろこびますけえ。」
美津江 ……夏休みは取ろう思うたら取れる思う。
竹造 ほいなら是非(ぜっぴ)行ってきんさい。
美津江 岩手はうちらの憧れじゃった。宮澤賢治の故郷じゃけえねえ。
竹造 その賢治くんちゅうんは何者かいね。
美津江 童話や詩をえっと書かれた人じゃ。この人の本はうちの図書館でも人気があるんよ。うちは詩が好きじゃ。
竹造 どがいな詩じゃ?
美津江 永訣の朝じゃの、岩手軽便鉄道の一月じゃの、星めぐりの歌じゃの……。
竹造 ほう、星めぐりのう。
美津江 (調子高く)「あかいめだまのさそり、ひろげた鷲のつばさ、あおいめだまの小いぬ、ひかりのへびのとぐろ……」。星座の名をようけ読み込んだ歌なんよ。

 賢治を愛する、井上ひさしさんならではの箇所ですね。

「星めぐりの歌」(MP3: 237kB)