「こんにゃく座」で活躍された竹田恵子さんの、「賢治 たたずむ、歩く、飛行する」というアルバムが素敵です。
2004年のライブの録音ですが、歌手も共演者も楽しみながら刺激しあいながら、賢治の世界をつくりあげていく様子が伝わってきます。
賢治 たたずむ、歩く、飛行する 竹田恵子 ALM RECORDS 2004-12-07 Amazonで詳しく見る |
まず第一に、長谷川集平さんによる、上のジャケット絵がいいですね。小岩井農場とおぼしきところを、賢治がのし、のし、と歩いていきます。
遠くに馬車が走り、ラリックスの林も見え、これは「わたくしはかつきりとみちをまがる」という「小岩井農場」の最後の場面なのかもしれません。
さて、アルバムの中身は次のようになっています。
星めぐりの歌 (宮澤賢治 曲・林光 編)
林と思想 (林光 曲)
さはやかに刈られる蘆や (林光 曲)
すきとほるものが一列 (林光 曲)
ひとひははかなく (三宅榛名 曲)
馬 (萩京子 曲)
まなこをひらけば四月の風が (萩京子 曲)
函館港春夜光景 (萩京子 曲)
歩行について(林光 曲)
・くらかけの雪
・おきなぐさ
・岩手山
・さっきのつや消しの
・すきとほってゆれてゐるのは
続・歩行について (林光 曲)…新作初演
・こんなあかるい穹窿と草を
・空があんまり光れば
・犬
・きみにならびて野にたてば
・馬のひづめの痕が
なめくじのへらへら歌 ~オペラ「賢かった三人」より~ (林光 曲)
お日さんに ~「鹿踊りのはじまり」より~ (林光 曲)
プレイ3 (林光 曲)
・高原
・風の又三郎
・くらかけ山の雪
序詞(「注文の多い料理店」序) (林光 曲)
演奏は、歌の竹田恵子に、ピアノが志村泉、クラリネットが菊池秀夫、チェロが阪田宏彰、アコーディオンが柴崎和圭、ヴァイオリンが山田百子、それにサックスの坂田明が加わって、独特の即興演奏によって妙味を加えています。
「なめくじのへらへら歌」というのは、「洞熊学校を卒業した三人」で、銀色のなめくぢが「あぁかい手ながのくぅも…」と歌いながら蜘蛛をからかいに行き、逆に威張り返される場面を歌っているのですが、ここでは坂田明氏が「蜘蛛」の役になって台詞をしゃべり、客席の笑いを誘っています。
三宅榛名さん作曲の「ひとひははかなく」は、東北砕石工場時代の文語詩「ひとひははかなくことばをくだし」にもとづいていますが、この頃の賢治の苦しみを、緊張にあふれた厳しい響きが表現しています。
また、萩京子さん作曲の「馬」の素朴な哀しさや、「函館港春夜光景」のユーモラスな楽しい響きも魅力的です。
この夜のコンサートのために書かれ初演された「続・歩行について」について、作曲者の林光氏が寄せている含蓄のあるコメントを、下記にご紹介しておきます。
文字通り「歩行について」のつづきであるこの「続・歩行について」は、前作への補完であって、だが同時に新たな展開でもある。
よく知られた詩人のあの前かがみの写真と、長詩「小岩井農場」の記述がごく自然に結びついて、前作の題名になったのだが、今回、また「春と修羅」を読みかえしているうちに、詩人にとって歩行はまた、旅(“Reise”)であり、また同時にさすらい(“Wanderung”)でもあることに気がついた。 “Reise”と“Wanderung”、どちらもあの夭折した歌謡の王様が好んで用いた語彙であり、そのことを意識しつつ、これらの曲を書いた。
「あの夭折した歌謡の王様」というのは、もちろんシューベルトのことですが、今回私は、「続・歩行について」の終曲「馬のひづめの痕が」を聴いていて、不思議な世界に連れて行かれました。
この曲は、「オホーツク挽歌」からの一節を引用したもので、最後は、「わたくしはしばらくねむらうとおもふ」の行で終わり、それに続いて「しばらく・・・しばらく・・・」とリフレインがつづくのですが、この箇所が、マーラーの交響曲「大地の歌」の終曲「告別」の終結部の美しい引用になっているのです。
マーラーの原曲では、‘ewig...ewig...’(永遠に・・・永遠に・・・)と繰り返し歌われるところが、林氏のパラフレーズでは「しばらく・・・しばらく・・・」となっているのは、賢治がこの作品のここの箇所において、表向きは「しばらくねむらうとおもふ」と言いながら、ほんとうはこのオホーツクの砂浜で、「永遠に眠ってしまいたい」と思っていたという隠れた「声」が、歌に重なって聴こえてくるように感じられるのです。
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