賢治作のコミックオペレット「飢餓陣営」の前半部に相当する歌曲、「一時半なのにどうしたのだらう」と「糧食はなし四月の寒さ」を一体として作成して、「歌曲の部屋」にアップしました。
この劇の前半部は、「せりふ」なしに、独唱、二重唱、合唱など、「歌」だけで進行していくという構成になっているのが最大の特徴で、今回の演奏でも、できるだけ臨場感を出すようにいろいろ効果音も入れてあります。もともと賢治の台本にあって場面展開を表している「銅鑼」の音がユーモラスですし、兵士たちの「足踏み」の音も雰囲気を添えます。
だんだん兵士たちが疲れて弱っていく様子を、「声質」で表すのは難しかったのですが、歌のテンポがだんだん遅くなり、調が半音ずつ下がっていくところなどで、何とか表現しようとしています。
全体で7分近くになりましたが、詳細は当該ページの解説とともに、お聴き下さい。
toyoda
新しい作品楽しく聴かせていただきました。「飢餓陣営」で賢治が試みたことは、時代の先端を行っていたと思います。先日、最近頭角を表してきたと私は思っている大谷能生の講演会
宮澤賢治『セロ弾きのゴーシュ』
…ゴーシュはだれにセロを習ったのか。・・・を聴いてきました。
その中で大谷氏は、宮沢賢治は、音楽をパッと聴いて本質をすぐつかむ人だと話していました。まさしく音楽もそのように本質をつかむ人で、ところがこういう人は、音楽を演奏することはそんなに得意ではない、むしろ本質を掴んでしまうので、詩にその才能を発揮していると話されていました。
私は、音楽の本質を掴んだという証拠が「飢餓陣営」だと思います。その雰囲気を感じられるこの演奏おもしろく思いました。
宮沢賢治が音楽の本質を知り抜いた上での農学校での実践は、音楽を学校教育に見事に生かしていると思います。
花巻農学校の同窓会報に書かれていたと思うのですが「教諭 宮澤賢治」で「田植えは、農家はもちろん、農学校にとっても秋の取り入れと共に農業の二大行事であり、全職員、全校生徒総出で朝から終日にぎやかに取り組むのがならわしである。賢治は水田担当であった。田植えの日は学校における主役である。校長以下全職員、全生徒、すべて賢治の掌握することである。「青い槍の葉」を田植え歌として全生徒に歌わせる。力強い歌声があたり一面にこだまする」と書かれています。これも音楽の本質を知った実践ですね。
hamagaki
toyoda 様、「飢餓陣営」の演奏をお聴きいただきましてありがとうございます。
年が変わってからのお返事になってしまいましたが、旧年中はいろいろとあたたかいお書き込みをいただきまして、ありがとうございました。本年も、どうかよろしくお願いします。
宮沢賢治が「音楽をパッと聴いてすぐ本質を掴む人」というのは、まさにその通りなのだろうと思います。レコードを聴けば賢治の頭のなかには「情景がありありと浮かんだ」と言いますし、林光氏は、賢治の歌曲は、一般的な「音楽的素養」を超越したところから、「素養の網の目を食い破ってこぼれおちるものだった」と書いておられました(『宮沢賢治の音楽』より「音楽家ミヤザワケンジの贈り物」)。
そのような特異な音楽への感受性を持ち、賢治が片田舎の農学校でやろうとしていたことは、たしかに当時の最先端だったわけですね。生徒たちも、驚きつつも、本当に楽しかっただろうと思いますし、まず何よりも賢治自身が楽しかったのでしょう。
そのような賢治の歌曲を、拙いコンピュータ演奏にしてみるのが、私にとっては楽しみでしたが、残念なことにまだ手を付けていない作品は、どんどん残り少なくなっていきます。