「小岩井農場」詩碑アップ

 先日、JR小岩井駅前で見てきた「小岩井農場」詩碑を、「石碑の部屋」にアップしました。新たな碑のアップは、去年の連休に訪れた「丹藤川」碑以来、1年ぶりです。


 ところで、今回の詩碑に刻まれたテキストの直前には、下記のように小岩井駅前の風景が描かれています。

JR小岩井駅つつましく肩をすぼめた停車場と
新開地風の飲食店
ガラス障子はありふれてでこぼこ
わらじや sun-maid のから凾や
夏みかんのあかるいにほひ

 当時の面影を残していると言われる小岩井駅のかわいらしい駅舎(右写真)は、今も「つつましく肩をすぼめた」ように見える気もします。

 また、駅前の商店は、現在は下の写真のようになっています。

小岩井駅前の商店

 「新開地風の飲食店」とあるのは、小岩井駅の開業とともに工藤政治という人が開いた、「工藤商店」という飲食店だったようです(岡澤敏男著『賢治歩行詩考』より)。上の写真で右から2軒目は、現在「工藤輪店」という自転車店になっていますが、ご子孫のお店でしょうか。

 ちなみに、森荘已池著『ふれあいの人々 宮澤賢治』には、若き日の森荘已池氏が賢治に誘われて、一緒に小岩井農場に行った時のおもしろい逸話が収められています。夕方にふらっと森の家にやって来た賢治は、突然「小岩井農場に行ってみましょう」と言い、二人は急いで盛岡を発ちました。
 以下、森荘已池の記述です。

 小岩井駅に降りると、あたりはもう暗かった。「何か食べましょうか」と賢治は言った。が、駅前には数軒の家があるだけ。角から四、五軒目が「ソバ屋兼飲み屋」で、たった一軒明るくて、ガヤガヤ騒ぐ声がしていた。
 私たちがソバを二ぜん食べる間、木こりか、イカダ流しのような労働者風・田舎風の人たちは、ぴたっと、ものを言わなくなった。あんなにガヤガヤしていた人たちが、全く無言になった。私は変にこわくなって、おかわりのソバが、やっとノドをおりた。
 賢治がお金を払って、ふたり外に出ると、飲み屋の中はまたガヤガヤとにぎやかになった。

 店から出ると賢治は、二人が店にいる間、なぜ周囲の人たちが声をひそめていたのかという不思議の原因について、謎解きをしてみせます。というのは、森が何度も自分に対して「賢治さん」と呼びかけて話していたので、人々は「検事」が店にやってきたのかと勘違いして、警戒していたのではないかというのです。
 この時の「ソバ屋」というのが、「工藤商店」だったのでしょうね。「春谷暁臥」(「春と修羅 第二集」)という作品が書かれた、夜の徒歩旅行の際のエピソードです。


 さて、「小岩井農場」のテキストに戻ります。前記の「飲食店」の描写の後に、「わらじや sun-maid のから凾や/夏みかんのあかるいにほひ」とありますが、また岡澤氏の調査を参照すると、これは当時駅前に田沼春松という人が開いた「田沼商店」という食品・雑貨店のことだそうです。上の写真で、左端のスーパーは「キャメルマートたぬま」というお店で、こちらも80年以上前と同じ名字を冠した店舗で、現在も食品や雑貨を売っておられるわけですね。

 ところで、ここに出てくる「sun-maid のから凾」というのは一見すると何のことかわかりませんが、この‘sun-maid’というのは、カリフォルニアにある大規模な干しぶどうの製造販売会社の名称で、同社製の干しぶどうの空き箱が、田沼商店に置かれていたのでしょう。

SUN-MAIDロゴ SUN-MAID 社のサイトによれば、同社は1912年に‘California Associated Raisin Company’として創業し、1915年(大正4年)に‘SUN-MAID’という商標(右写真)を用い始めています。
 「小岩井農場」が書かれたのは、その登場からわずか7年後ですから、当時こんな片田舎で、アメリカ輸入のハイカラな乾燥果物が売られていたというのは、ちょっとした驚きです。さすがに、牛乳やパターも作る大規模な西洋式農場のお膝元、というところでしょうか。
 また、それを目ざとく見つけて書きとめているところも、いかにも賢治らしい感じですね。
 SUN-MAID(=太陽の乙女)のキャラクター図案は、公募によって1916年から用いられているとのことで、下の画像は1921年、すなわち「小岩井農場」が書かれた前年に同社から発行された、「干しぶどう」を使ったレシピ集の小冊子です。現在とほとんど変わらない乙女の姿で、このような絵柄が、賢治の見た「から凾」にも描かれていたのでしょうか。

SUN-MAID社1921年小冊子

 なお、加倉井厚夫さんの「賢治の事務所」の中の「駅玄関付近から駅前の町並みを見る」というページには、小岩井駅前のわかりやすいパノラマ写真も掲載されていますので、ご参照ください。