朝は少し早く目覚めたので、朝食前に花巻城址の方まで散歩をしました。昨日のようなよい天気ではなくて、かなり曇っています。
昔お城があった高台に南から登っていくと、市役所の向かいに、「時鐘堂」という建築物が見えてきます(右写真)。この鐘は、江戸時代にはお城の二の丸にあったということですが、明治維新とともに現在の場所に移設されたのだそうです。
この移動に伴い、鐘楼が撤去された跡地として二の丸に残された盛り土が、通称「四角山」として賢治のいくつかの作品にも登場する場所ですね。
これほどの立派な鐘楼がそびえていた土台ならば、形も四角く「山」と呼ぶのも似つかわしかったのでしょう。
朝食を終えて出かける頃には雨も降ってきたので、今日は自転車での移動はあきらめて、まずはタクシーで一路西へ、「江釣子森山」へ向かいました。
江釣子森山は、賢治の作品にもたくさん登場する重要な山の一つです。私が初めて花巻に来た時にも、西のはずれにかわいらしく盛り上がった姿が、最初から心に残りました。
この山は、花巻から見て手前に標高277mの釣鐘形の小山があり、奥にもう一つ標高379mのピークがあるという形をしていて、両方を合わせて「江釣子森山」と呼ぶという説と、手前のが「江釣子森」で奥のは「三角山」だ、という説とがあるようです。いずれにしても、「経埋ムベキ山」の一つにも選ばれていますから、私としては以前から気になっていたのでした。
今日は、手前の方の「小山」に建つ「円万寺」というお寺と「八坂神社」という神社に、タクシーで寄ってみただけで、とくに詳しく歩きまわることはできませんでした。ひょっとしてこの山のどこかに、法華経の「一字一石塔」があれば、「国土」という文語詩との関連でおもしろいかな、などと思ったのですが、狭い境内にはそんなものは見つかりませんでした。しかしまたそのうちに、来てみたいと思います。
ただ何と言っても、この山からの稗貫平野の眺めは格別です。
屋敷を囲んで散在する林のことを、一般に「居久根(いぐね)」と言うそうで、また賢治は作品中ではこれを「牆林(ヤグネ)」とも書いていますが、その緑の塊が、まるで海に浮かぶたくさんの島のように幻想的に見えます。
本降りとなってきた雨の中、引き続きタクシーで山を下りて花巻駅へ行くと、10時58分発の釜石線の列車にぎりぎり間に合いました。切符を買うと飛び乗って、宮守へと向かいました。
宮守村が遠野市と合併したことを記念して、つい最近落成した「みやもりホール」において、「宮沢賢治と遠野」展が開かれていることは、以前に新聞記事へのリンクでもご紹介しました。その展示の中心は、やはり合併を記念して故沢里武治氏の長男・裕氏から遠野市へ寄贈された、賢治関連の品々です。その詳細については、加倉井厚夫さんが「緑いろの通信4月23日」において見事な写真入りでレポートをしておられるので、むしろそちらをご参照いただければ幸いです。
展示品では、多数の直筆の書簡やレコードなども見事でしたが、私としては何と言っても、賢治が沢里武治氏に書名入りで贈ったあの有名な肖像写真の実物が見られたことに、感激しました。
現在、「宮沢賢治」という名前から多くの人が連想する、帽子をかぶりコートの襟を立て、うつむき加減で手を後ろに組んだあの姿は、この一枚の写真に由来するのです。その現物が目の前にあると思うと感無量で、陳列ケースの中にあるとは言え、少し斜めから光の反射を透かすと、写真の焼き付けや献辞のインクの色彩までが、鮮やかに見てとれました。
これ一枚を見られただけでも、釜石線に乗って宮守までやってきた甲斐があったというものです。
ところで余談ですが、展示ケースからすぐ顔を上げたところの壁には、全く同じ写真を複製して大きく引き伸ばしたものが張ってあったのですが、そちらの複製の方には、例によってあの見慣れた「©林風舎」というロゴが入っているのが、何とも皮肉な感じがしました。
花巻駅近くの賢治グッズ店である「林風舎」は、賢治のこの姿の図像や、これまた有名なミミズクの絵などを「商標登録」していて、そのイメージを「勝手に使われないように管理している」とお聞きしています。しかしそうなると、その当の写真の「オリジナル」の所有者である遠野市当局でさえも、「©林風舎」というお墨付きを入れておかなければ、複製を掲示することもできないんでしょうか。商用なんかでなく、学術的な目的の展示でも・・・?
私は法律には詳しくないのでよくわからないのですが、素人目には不思議な感じです。
あと、展示会場ではおそらく20年は昔の映像と思われる岩手放送の番組で、沢里武治氏が自ら大正琴を弾き、「星めぐりの歌」を歌っているという貴重なビデオも放映されていました。
おそらくこれは、『【新】校本全集』において、それまでの「星めぐりの歌」の楽譜から、フェルマータの一部が削除された、という校訂の妥当性を検討する上での資料ともなるものと思いますが、詳細についてはあらためて調べてみたいと考えています。
しばらく賢治の「生写真」にひたって、名残を惜しみながら展覧会の図録を購入すると、「みやもりホール」を後にしました。
昼ごはんには宮守の「道の駅」まで歩き、食堂「銀河亭」で、「わさびうどん」を食べました(右写真)。これは、宮守地区の名産品である生わさびを、各自が小さなおろし金で摺りおろしながら入れて食べるという形式のものです。わさびの緑色が、ふだん西日本では目にしないほど鮮やかでした。
食事を終えるとまた駅まで歩いて、ふたたび釜石線に乗りました。14時半頃に花巻に着くと、イーハトーブ館に少しだけ寄って本などを買って、16時40分発の飛行機で空港を飛び立ちました。
機内では、一昨日の旅行の始まりから読んでいた『ダ・ヴィンチ・コード』を、ちょうど読み終わりました。あと半月ほどで映画が公開されるようですが、小説においても、いかにもハリウッド的なスリリングな展開を楽しめました。「ちょっと高尚にした『インディ・ジョーンズ』」という感じでしょうか。
また、これとイメージ的には似通っているようでいて、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』や『フーコーの振り子』などの作品が、いかに奥深く傑出したものであったかということも、逆に痛感したのです。
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