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「小岩井農場」詩碑

1.テキスト

  汽車からおりたひとたちは
さつきたくさんあつたのだが
  みんな丘かげの茶褐部落や
  繋(つなぎ)あたりへ往くらしい
 西にまがつて見えなくなつた

     宮澤賢治 春と修羅より
                  宏書

2.出典

小岩井農場」(『春と修羅』) パート一より

3.建立/除幕日

2006年(平成18年)4月22日 建立

4.所在地

岩手県滝沢市大釜風林 JR小岩井駅前

5.碑について

 約600行に及ぶ賢治の最長の詩作品「小岩井農場」は、作者が小岩井の駅で下車する場面から始まります。
 1922年5月21日に行われたこの壮大な詩的実験の出発点を記念して、賢治生誕110年にあたる2006年、当時の面影も残すJR小岩井駅前に、長詩の冒頭近くの一節を刻んだ詩碑が建てられました。

 碑の横に立てられた「碑の由来」という看板には、次のように記されています。

 大正十年六月二十五日(土)盛岡・雫石間の橋場線開通とともに、小岩井駅(小岩井農場に因んで小岩井駅と命名)が開業した。「つつましく肩をすぼめた停車場」と宮澤賢治は表現した。
 賢治の心象スケッチ『春と修羅』の中の長編詩「小岩井農場」には「わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた」という一節で始めるように、この駅が起点となっている。
 この地をこよなく愛し、まことの平和の世界を念じた賢治が、駅のホームに降り立った姿が想起される。

碑文は「小岩井農場」パート一の一節から採った。
碑石の土台には小岩農場の風景を篆刻した。
宮澤賢治生誕百十年を記念しこの碑を建立する。

                   平成十八年四月二十二日
                   小岩井自治会・まちづくり推進委員会

 この説明にもあるように、碑の台座には、小岩井農場の風景が描かれています(下写真)。岩手山を背景に、上丸牛舎やサイロなどが見えますね。
 位置関係からすると、画面の中央奥の方に、5年前に建てられたもう一つの「小岩井農場」詩碑が隠れていることになります。

 この日、小岩井駅で汽車を降りた賢治は、農場へ行くために、駅前から北北東の方向に延びる「本通り」を歩きますが、碑のテキストにあるように、ここで下車した人の大半は、駅前を東西に走る「駅前通り」を西に向かったようです。

 「丘かげの茶褐部落」というのは、これだけではどこのことかわかりません。しかし「盛岡手づくり村・四季だより」というページの記載によれば、これは現在は御所ダムの造成によって御所湖の湖底に沈んでしまった、20数戸の「尾入野部落」あたりを指すのだそうです。昔そのあたりには、長くて高い「茶褐色」の岩肌が露出した崖があったことと関係しているようです。
 駅から出てきた人々の行き先としてもう一つ挙げられている「繋」の部落ともども、どちらも小岩井の駅からは線路をはさんで反対側の、南の方角にあたります。
 馬車に乗ろうかなどと迷っているうちに、気がついたら駅前に一人取り残された賢治は、ここで一瞬さびしさを感じたのかもしれませんが、この次の行からは、また気をとりなおして元気に歩き始めます(「いまわたくしは歩測のときのやう・・・」)。

 小岩井の駅から見るとほぼ真北には、岩手山がそびえています。下の写真は駅の跨線橋の窓から眺めたところで、右下に小さく見えているのが、この詩碑です。