「春と修羅 第二集」に、「善鬼呪禁」という作品があります。月夜に野を歩いていた賢治が、真夜中にもかかわらず農作業をしている百姓夫婦をふと見かけ、「こんな夜中に働いていると、近所から苦情が出かねないし、「録でもないこと」も起こるし、妻も疲れているのだから、区切りをつけて寝たらどうだ」と、心の中で勧告しているという内容の詩です。
作者が通りがかりに何気なく見かけ、ふと心に感じた些細ななエピソードのように思われますが、しかし結局のところ賢治はなぜ「農作業をやめて寝るべきだ」と考えているのか、そして奇妙な題名の意図するところは何なのか、私にとっては何となく腑に落ちないところの残る作品でした。
作品中で「農作業を中止すべき」と賢治が考えている理由としては、上にも挙げたように、(1)「葉擦れの音」に対する苦情のおそれ、(2)「録でもないこと」の惹起、(3)妻の疲れ、という3点が書かれています。それぞれ、はたして十分な説得力があると言えるでしょうか。
そもそもこの百姓夫婦も、何も好きこのんで夜中に働いているのではないでしょう。いくら疲れていても、どうしても明朝までにしておかなければならないような事情があって、やむをえず無理をしているのではないでしょうか。ですから、まず(3)を理由として作業中止を勧められるのは、当人たちにとっては「大きなお世話」でしょう。
(1)の問題も、「稲の葉擦れの音」という程度ならば、他家への迷惑のために中止するほどの理由になるのか、私には今ひとつ合点がいきません。賢治のように「音が気になる」人はあるかもしれませんが、農家どうしの間ならば、「○○さんのところも大変だなあ」と同情こそすれ、「うるさいからやめろ」と苦情を言ったりするものでしょうか。
そして(2)に至っては、「苗代の水が黒くなる」「大豆が行列する」「月に暈が現れる」「空が魚の眼球に変わる」などということを2人の農作業のせいにされては、当人たちもとうてい納得はできないでしょう。
総じて、私が従来この作品について感じていた印象としては、これは気楽な散歩者から見たひとつの感興かもしれないが、かならずしも「百姓」の側に立って物事を感じ・考えているとは言い難い、というものでした。
もちろん、賢治のこのスタンスが悪いと言うつもりはありません。
おそらくこれが「春と修羅 第三集」の時期であったならば、賢治が夜中に農作業をしている夫婦を見かけ、その妻が疲れてよろよろしていたら、またこの作品とは違った思いを持って書きとめたのではないかと思います。それはそれで、情感のある作品になったかもしれません。
しかし一方で、『春と修羅』の諸作品に見られる超絶的な感覚の凄さ、表現の独創性は、ある意味で「芸術家的な無垢さ」、あるいは「現実からの自由さ・無責任さ」のおかげで、あのような稀有な形で実現した部分もあったように、私は思うのです。そのような何かが、『第三集』になると変化していることに関しては、賢治の読者それぞれに、いろいろな思いがあるでしょう。
・・・というような周辺的なことを思わずあれこれ考えてみたりするのですが、あらためてこの作品に戻って、それでは賢治がここで書きとめておきたかったのは、いったいどういう感興だったのか、ということを考えてみたいと思います。賢治はこれを「過労呪禁」という題名で雑誌に投稿もしていますから、自らそれなりに有意義な作品と考えていたはずです。賢治の興味の中心は、どこにあったのでしょうか。
それを考えるためには、この「善鬼呪禁」という不思議な題名について、問う必要があるでしょう。
この言葉はいったい、何を意味しているのでしょうか。
まず「善鬼」というのは、この真夜中に農作業をしている男のことを指しているのでしょう。「風をま喰ふ野原の慾とふたりづれ」と描写されているように、賢治はこの男が深夜にまで働いている心の底に「慾」を感じとり、それが男の行動への反発の原因にもなっているのでしょうが、彼をこのように「慾につき動かされている」存在と見なしたことを、「悪鬼」とは言えないまでも、「善鬼」と喩えて表現しているのでしょう。
では、「呪禁」とは何でしょうか。『新宮澤賢治語彙辞典』には、「呪禁」とは「まじないで邪霊等をはらうこと」と記されていますが、なぜここで「まじない」が出てくるのか、私にはもう一つぴんときませんでした。
そんな時たまたま、網野善彦他編『中世の罪と罰』(東京大学出版会)という本を読んでいて、中世日本の農村においては、「夜に田を刈ること」、あるいは「夜に稲を持って通る者」さえもが、罪科の対象になっていたということを知ったのです。
このようなタブーが存在していたことが、ひょっとしたら「呪禁」と関係あるのでしょうか・・・。
[この項つづく]
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