お正月に読んだ本(3)

賢治小景 かの盛岡高等農林学校を卒業され、その後岩手県内各地の高校教諭や宮城学院女子大の講師などを歴任した板谷栄城氏は、私が読んだだけでも『宮沢賢治の、短歌のような』(NHKブックス)をはじめ、『宮沢賢治が見た心象』(NHKブックス)、本名の「板谷英紀」著として『賢治と岩手を歩く』(岩手日報社)、『銀河鉄道をめざして』(ちくま少年図書館)など、これまでにもたくさんの賢治関係の本を書いておられます。
 このたび出た『賢治小景』(熊谷印刷出版部)は、著者が2001年4月から2003年12月まで、朝日新聞岩手版に連載した同名のコラムを、1冊にまとめたものです。計104回分が、見開きの2ページずつに、読みやすく収められています。

 もちろん1回ずつが読み切りになっていて、それぞれに魅力的なカットが添えられています。たとえば、1937年頃に満州では、森荘已池氏を中心として「宮沢賢治研究会」ができていて、そこにはあの森繁久弥氏も熱心に参加して、一緒に声を合わせて「精神歌」を歌っていた、などというエピソードも載っているのです。
 期間と回数から推測するに週1回ずつの連載だったのでしょうが、いろいろと蘊蓄に富んだ記事が続いていて、私も折々こんなブログなど書いていても、当然ながら格の違いというものを感じてしまいます(笑)。

 ところがこの板谷氏は、宮沢賢治学会に対しては何か特別の思いをいだいておられるようなのですね。たとえば、ある有名な研究者を名指しして、「賢治論としてはアマチュア以下のレベルだと言わざるを得ません。」とこきおろしたり、また別のところでは、「バカマジな賢治研究学者の批評のトゲは痛いよ」と書いたり、大きな新聞の長期連載記事としては、調子があまり穏やかではないのです。
 最終回近く、童話作家の小川未明と坪田譲治について触れたコラムの最後は、次のように結ばれます。

 賢治研究者は数え切れないほどいます。しかし、未明にとっての譲治のような態度で、賢治を理解しようとするのは目下私1人だけです。その私の考えも、賢治学会からは完全に黙殺されています。
 私はそのことを賢治の最大の悲劇と考えます。

 ・・・それにしても、いったいどんないきさつがあったというのでしょうか。