お正月に読んだ本(4)

「宮沢賢治研究 文語詩稿・叙説」 このお正月に読んだ本の中で、最も圧巻だったのは、島田隆輔著『宮沢賢治研究 文語詩稿・叙説』(朝文社)でした。
 帯のコピーによれば、「賢治作品のなか、二百数十篇に及ぶ文語詩に光を当て、まとめた著者十二年にわたる文語詩研究の書。校本宮澤賢治全集、新校本宮澤賢治全集の成果や賢治自身の直筆原稿などを綿密に辿り精査し、読み拓いた一書。」とのこと。まさに、そのとおりの労作です。

 部分的には、特定の作品・作品群を扱った「各論」的な論考も含まれていますが、全体の骨格をなしているのは、賢治の文語詩の全草稿に関して、用紙、筆記用具、紙面に記入された「了」や「写」などの記号などを手がかりにして、それらがいかにして成立していったかを綿密に跡づけていく、「総論」的な研究です。
 そこでは、書簡や他の作品と関連づけながら、厖大で複雑な草稿を時系列的に整理していくことで、下表のような5つの「層」が抽出されます。(下の表は、本書のものを横書きに変えて引用したもの。実際には、II と III の間の横罫線は点線に、III と IV の間の横罫線は太い実線になっています。)

 I プレ稿段階 丸善などの用紙に鉛筆起稿。符号なし
 II 初期稿[前]段階 26系・無罫・24系用紙上に鉛筆で起稿。ほとんどの稿に「了」印付与
 III 初期稿[後]段階 無罫・22系用紙上にインクで起稿。ほとんどの稿に「了」印付与
 IV 再編稿段階 22系・既使用用紙上展開。中に鉛筆や赤・藍・青インクの「写」印付与
 V 定稿(集) 定稿用紙に藍インクで清書。

 著者によるその調査の手際は、賢治がこのような場合にしばしば喩えたように、「地質学」的な作業も連想させます。また、このようにして作品の時間的推移の「形式」を分析することで、それぞれの段階において作者が何を考え、どのような構想のもとに推敲を進めていったかという、「内容」までが浮き彫りになってくるという有り様は、本当に見事なものです。

 そして、上の表のようなおおまかな見取り図を骨格として、「第一章 初期論」「第二章 再編論」「第三章 <写稿>論」「第四章 ウル定稿本文考」という順で、個別の作品の分析が進められ、本書の論が肉付けされていきます。第四章に至って、賢治が構想したと著者の推定する、内容別の「詩篇」区分試案が示されます。
 「附章」では、賢治の『文語詩篇ノート』の段階的な成立過程も分析されています。私などは、最初にまず『文語詩篇ノート』が完成してから、それをもとに文語詩の草稿が作られていった、などとばくぜんと思っていた感じですが、文語詩の起稿・推敲のプロセスと、『文語詩篇ノート』の成立との間には、動的な相互作用が想定されるわけですね。

 さて、巻末の「後語」において著者は、「本書は、宮沢賢治/文語詩稿の草稿段階を中心に、その成立過程に関する試論を提案するもの、いつか構想論にたどりつくための、私にとって、これはひとつの助走である。」と記しています。
 書名のとおり、この大著(534ページ)でも、まだ「叙説」にすぎないのでしょう。しかしその「本論」が現れた暁には、『春と修羅』に関して入沢康夫さんがなされたお仕事(「詩集『春と修羅』の成立」)や、また「春と修羅 第二集」に関して杉浦静さんがなされたお仕事(「宮沢賢治 明滅する春と修羅」)に相当する業績を、こんどは厖大な「文語詩」の領野に関して達成してくれることになるのではないかと、今から期待されるところです。

 ちょっと気は早いですが、今年の何らかの賞の有力な候補となることは間違いのない本だろうと思います。