お正月に読んだ本(2)

 1月3日には、箱根駅伝の「復路」、アメリカンフットボールの「ライスボウル」など、楽しみな見ものも多いのですが、毎年これらが終わるのと一緒に「正月休みも終わる」という、さびしさも漂ってくる日です。

賢治歩行詩考 さて、岡澤敏男著『賢治歩行詩考 長篇詩「小岩井農場」の原風景』(未知谷)は、小岩井農場資料館の元館長である著者が、この農場に関する広範な知識と深い愛着と、大正時代の「農場林相図」など貴重な資料をもとにして、賢治の長詩「小岩井農場」の行程を現代において辿りなおしてみた、という労作です。
 これだけでも、賢治ファンにはこたえられないところですが、さらに美しい口絵カラー写真や本文中の説明写真も豊富、巻末にはこの作品の「初版本」「下書稿」「清書後手入稿」のテキストが、対照しやすく段組みになって収録されているという親切さです。

 内容においても、私にとってはいろいろ勉強になる知見がいっぱいでした。「パート二」における「黒いながいオーヴアを着た医者らしいもの」の登場に際しては、当時の小岩井農場の「医局」の状況が紹介されたり、「パート七」の「くろい外套の男が雨雲に銃を構へて立つてゐる」という箇所では、この銃は播いた種を鳥害から守るために雇ったハンターに空砲を撃たせる、当時行われた「威銃(おどしじゅう)」という手法であったことが指摘されます。
 また、「パート四」で、「すきとほるものが一列」に「すあしのこどもら」が出現する現象は、賢治の幻覚と解釈するのが一般的だったと思いますが、これも6月6日の「創立記念祭」に行われる運動会の練習のために、社宅から小岩井小学校に登校してきている児童たちではないかとの説が提示されます。

 なかでも白眉は、賢治はじつはこの「小岩井農場」のちょうど2週間前の5月7に日も農場を訪ねていて、この作品は、7日と21日の二つの体験が「モンタージュ」されて成立したのではないかという、新たな提起です。
 ご存じのように、作品中の賢治は降雨に遭って農場の途中から引き返しますが、5月21日の農場の記録では降雨はまったく記録されておらず、さらにこの年の「作業日誌」によれば、上記のような「威銃」が行われたのは5月11日までで、21日には行われていません。7日であれば、天候は日誌にも「曇午後雨」と記録されており、また「威銃」も確かに行われていて、銃を持った男が農場にいたわけです。

 これらの説や知見については、今後さまざまな検討がおこなわれることでしょう。しかしそのような意味を別にしても、ぜひともこの本は一度小岩井に携行して、農場の小道や林を散策するハンドブックにしてみたい、と感じさせるものです。