岩手山と澱粉堆

 『春と修羅』に収められている有名な「岩手山」という作品があります。

   岩手山

そらの散乱反射のなかに
古ぼけて黒くえぐるもの
ひかりの微塵系列の底に
きたなくしろく澱むもの


 賢治が終生愛したはずの岩手山に対する否定的な描写が印象的で、深い絶望感のようなものも感じられます。
ルビンの盃 また、1・2行目においては「山」が実体としてとらえられるのではなく、逆に「そら」をえぐる欠如態として、やはりネガティブに認識されているのが特徴的です。普通は、山というものの形をこのように見る人はいませんよね。ちょうど「ルビンの盃」(右図)のように、「図」と「地」が逆転しているのです。
 さらに3・4行目では、山の形姿は空からの沈殿(上→下)として描かれます。これも、山は地殻が隆起して生まれる(下→上)という、実際の地質学的な成因の逆になっています。

 さて、賢治のこのような若き日の心象は、遠く後年の「心相」(「文語詩稿 一百篇」)という作品に反映しているようです。

   心相

こころの師とはならんとも、 こころを師とはなさざれと、
いましめ古りしさながらに、 たよりなきこそこゝろなれ。

はじめは潜む蒼穹に、 あはれ鵞王の影供ぞと、
面さへ映えて仰ぎしを、 いまは酸えしておぞましき、
澱粉堆とあざわらひ、
いたゞきすべる雪雲を、 腐せし馬鈴薯とさげすみぬ。

 後半4行が岩手山のことを指しているのは、その「下書稿(二)」において、「死火山」という言葉が登場していることからも確かでしょう。

 ここでもやはり岩手山が沈殿物と見なされていますが、「馬鈴薯」「澱粉」と出てくると、皆さんは小学校の理科の時間にやった実験を思い出しませんか?
 皮をむいたジャガイモをおろし金ですりおろして、それを布きれに包んでしぼり、しぼり出た液体を静かに置いておくと、下に白い粉が沈殿します。上澄み液を捨てて、沈殿物を乾燥させると、「でんぷん」がとれるというものです。
 「心相」においては、岩手山の上をすべる雲が「馬鈴薯」で、そこから沈んだ澱粉堆が岩手山だということになっていますが、描写に実感がこもっていて、賢治も何らかの形ではこの実験をやったことがあるのだろうと感じます。

 あと、この作品で岩手山は「鵞王の影供」と呼ばれていますが、「ガチョウの王様」というイメージが、私には今ひとつぴんときません。岩手山の別名として、「巌鷲山」というのがありますが、ひょっとして賢治は、「鷲」のつもりで「鵞」と書いてしまったのではないかと思うのですが、どうでしょうか。

[後記]
 その後、入沢康夫様が懇切なコメントによって、私の蒙を啓いてくださいました。「鵞王」とは仏の別称であり、上記の最後の段落は私の勝手な妄想でした。申しわけありません。