石本裕之『宮沢賢治 イーハトーブ札幌駅』(3)

『イーハトーブ札幌駅』表

 82年前の今日は、賢治が「オホーツク挽歌」の旅行に出発した日ですね。

 さて、石本裕之さんの著書『宮沢賢治 イーハトーブ札幌駅』は、これまで石本さんが書かれた論文と、今回の書き下ろし「タネリの地勢」から構成されています。各章の配列は、序文を除き、下記のように発表年の順になっています。
 まさに、この15年間の石本さんの賢治研究を集大成した一冊ですね。

2002 <賢治カクテル> ―「はしがき」にかえて―
1990 賢治と「札幌市」
1993 馬は噛み、馬は冷たく ―賢治、修学旅行引率前後の詩―
1994 二つの「津軽海峡」
1997 宮沢賢治立ち寄り地 ―生誕百年・旭川周辺―
1997 鳥の遷移 ―賢治詩において鳥が投影すること―
2003 宮沢賢治の1923(大正12)年
2004 雨ニモマケズと論語
2005 タネリの地勢

 <賢治カクテル>と「賢治と「札幌市」」については、すでにご紹介しました。

 次の章「馬は噛み、馬は冷たく」は、副題のとおり、賢治の「北海道修学旅行」引率前後の作品を、さまざまな角度から分析したものです。この旅行は、先日の「札幌セミナー」の2日目ツアーのテーマでもありましたから、まさに今回の出版はタイムリーでした。
 そして、この論文に孕まれていたいくつかの種子が、さらにその後の石本さんのお仕事の主題となって深められていくのですが、その様子は「二つの「津軽海峡」」、「鳥の遷移 ―賢治詩において鳥が投影すること―」へと読み進めていくことで、展望することができます。
 このような内的連関のおかげで、各章は発表年の時間的配列になっていながら、その主題も有機的につながっているという本書の構成が生まれています。その意味で、この章は、本書の中でも重要な意味を持っています。
 初出の洋々社『宮沢賢治12号』の掲載時には、胡四王山の賢治記念館登り口にある石碑をバックにした石本さんの写真が挿入されていて、私は旭川で初めて石本さんにお会いする前にあらかじめお顔を「予習」しておくことができたのですが、こんどの単行本には残念ながらお写真は載っていません。

 四章めにあたる「宮沢賢治立ち寄り地 ―生誕百年・旭川周辺―」は、石本さんと賢治の出会いから始まって、生誕百年の1996年頃まで、石本さんがどのように賢治と関わり、研究を深め、また北海道の地で賢治を愛する様々な人々との連繋をつくりあげてこられたか、ということを経時的に明らかにしてくれる文章です。また、長く住まれた札幌から名寄へ、そしてまた札幌に戻って、それから現在も住んでおられる旭川へ、という北海道内の移動軌跡は、この章に「石本裕之立ち寄り地」という趣きさえ与えてくれています。
 私はこの章を読んで、石本さんのこれまでの活動の幅広さについて、あらためて知ることができました。そしてここには、2年前に私のような者にもわざわざメールを下さって、旭川に賢治詩碑ができることを教えていただいたように、昔からずっと人との出会いを大切にされてきた石本さんの姿勢が、鮮やかに示されています。とりわけ、「旭川宮沢賢治研究会」誕生前夜あたりから、生誕百年の盛り上がりまでのダイナミックな人間模様は、読みごたえがあります。
 また石本さんは、ますむらひろし さんの論考よりも早い1993年に、作品「津軽海峡」に流れる時間と、校本全集などの年譜が示す時間との間にズレがあることに気づき、何人かの賢治研究者に問題提起しておられたことも、本章で初めて知りました。これもまさに先駆的だったわけですね。

 第六章にあたる「宮沢賢治の1923(大正12)年」は、一昨年の賢治学会「旭川セミナー」において、参加者に配布されたブックレットのために書かれた小文です。旭川の地を賢治が訪れ、作品「旭川」をスケッチした80周年を記念して詩碑が建てられたことが、この年のセミナー開催の契機だったわけですが、その運営主体となった「旭川宮沢賢治研究会」の設立にも、詩碑建立にも、いずれも石本さんが大きな寄与をされたことを思えば、石本さんにとってさぞ感慨深いセミナーだったことと思います。

 次の「雨ニモマケズと論語」は、時代も遠く離れたこの漢和二つのテキストにおける表現を比較検討するという画期的な試みです。もともと中国哲学を専攻しておられ、『「荘子」の中の孔子』という著書もある石本さんならではの視点です。
 私などには考えもつかないことですが、賢治の言語表現の源泉の一つを探るという意味で、興味深く読ませていただきました。

 最後の「タネリの地勢」は、各章の中でも最長で、今回の著書のために書き下ろされた力作です。
 これは、童話「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」においてタネリが歩いた行程を分析して、物語空間の地図を構成してみようという試みです。一見、本書に収められた他の論考とは異色のように見えますが、同じ「タネリ」が主人公である童話「サガレンと八月」が、明らかに「オホーツク挽歌」行と密接に関連していること、どちらにも北方系の(ギリヤークの)犬神が現れることなど、この童話もやはり北海道に深い関係があるのです。
 また、本書の他の章の多くが、「現実世界」において「札幌市」の「開拓紀念の石碑」を探したり、「旭川」における賢治の足跡をたどったり、小沢俊郎氏の言葉で言えば「賢治地理」の研究に関わっているに対して、この章で探求されているのは、作品の中の「幻想世界」の地理学であるとも言えます。見かけはかなり異なっているようでも、地理を扱うところは同じなのです。
 これらの意味で、やはりこの論考は、本書に収録される十分な意味を備えているわけですね。

 歪みやすく距離も伸縮自在の幻想空間を取り扱うために、石本さんがここで展開した地理学は「位相幾何学」的であるとも言えますし、方角の象徴や陰陽五行を援用するところなどは、「風水学」的とも言えます。
 ただでさえ、「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」は不思議な作品ですが、この「タネリの地勢」によって作品世界の地図を手にしてみると、さらにその不思議さや幻想性が増すという、(不思議)の自乗のような構造が現れます。

 この章の終わりで石本さんは、「この≪タネリ地図≫はイーハトーブ全体地図の、ジグソーパズルの一片です」と述べ、「雪童子たちが現れたのも、一郎と楢夫が歩いたのもこの近く」であり、「かねた一郎はタネリの小屋よりも東の方に住んでいて、山猫に会いに山の奥に歩いていったはずですし、その周辺に小十郎の家があったかもしれません」と指摘します。
 そしてそのさらに外側には、大小クラウスたちの耕していた野原や、少女アリスが辿った道、テパーンタール砂漠、イヴン王国などがあるのでしょう。

 最後に、今日これを書いていて思ったのですが、本書は、このように地理を扱う「空間論」が構成する各章のちょうど真ん中に、石本さんの履歴について述べた「宮沢賢治立ち寄り地」という「時間論」が配置されているという構図になっています。これは、時間座標が空間座標と直角に交わる四次元空間において、ある角度から見ればまさに「十字」の形になっているわけですね。
 ジョバンニとカンパネルラが、「北十字」と呼ばれるはくちょう座の駅から、南十字の駅まで一緒に旅したことを思い出しますが、石本さんの「イーハトーブ札幌駅」も、新しいもう一つの、十字の形をした駅なのです。

『イーハトーブ札幌駅』裏